第四章②
「だいぶ仲良くなっただろうと思った時、俺はお前にクスリをしないかと誘った」
家で一緒に勉強をしていた時、突然卓郎は俺に覚醒剤の入ったアルミホイルを突き出してきた。この俺でもそれが何であるか分かっていたし悪い物である事も分かっていた。
だが断れなかった。断れる訳がなかった。
「断れる訳が無いよな?だって俺は、お前の生まれて初めての友達だからな」
小学生の頃から誰とも付き合わず、休み時間になればただひたすらドリルに打ち込んでいた。それはそれで良かった。学力も上がるし、周囲に壁を作る事で、面倒な協調性という物を意識せずに済んだ。だがその一方で、誰かと慣れ親しみたいという気持ちも少なからずあった。
そんな俺の作り出した壁を破ってくれたのは、他でもない卓郎だった。彼といればまるで、友達がいなかった頃の時間が埋められていく様な感覚がした。だから、クスリをしておかしくなるよりも、彼との友情が終わってしまう方が怖かった。
「こうして俺はお前をクスリ漬にする事に成功した。だが、これで実験の準備が整った訳じゃない。と言うのも、俺はあくまでお前の友達であって家族じゃない。つまり、学校にいる間はお前を観察する事が出来ても、家にいるお前は観察できない。そこで、妹の為代を使う事にしたんだ」
「為代を!?」
彼女もまた、この実験に付き合わされていたのか?物言わぬ屍となった妹に目をやった。
「彼女は幸いにも、俺に始めて会った時から好意を抱いてくれていたらしくてね。デートに誘ってやったら喜んで乗ってくれたよ。そして、ホテルでLSD入りのドリンクを飲ませたら、簡単に身体を許してくれた。死んでしまう前にもう一度抱きたかった。惜しい惜しい」
「貴様…」
俺の妹は精神だけでなく肉体も支配されていた…あの紫の怪人でさえもそこまではしなかった!
今すぐにでも奴に飛び掛りたかったが、今は話を聴こう…
「それはさておき、俺が為代をクスリ漬にした理由は一つ。お前や彼女自身の部屋を含む、この家のいたる場所に監視カメラと盗聴器を設置させる事だ」
「監視カメラ…」
昨日、誰かから見られているのを感じて部屋中を引っ掻き回し、ようやく見つけ出したあのカメラ…あれは為代が?
「カメラか盗聴器、どちらか一つを設置するたびに俺は為代の望む物を与えてやった。最も、アイツはクスリ以外何も望まなかったが」
「為代…俺を裏切ったのか…」
「おっと!お前に為代を責める資格は無い。お前だって、クスリ欲しさに親の財布や新聞代の入った封筒から金を盗み出してるじゃないか。リビングとキッチンのカメラがその姿をしっかり抑えてたぜ」
「うっ…」
…ねぇ、この中に入ってあった五千円を知らない?
今日の朝、母が俺に言った言葉…
俺はその時、知らないと答えたが実は知っていた。それが何に使われたのかも…
「こうして俺はお前達兄妹を観察し続けた訳だ。お陰で色々と発見があったよ。体育でも明らかに運動能力が低下していたし、前にも増して大量の菓子を馬鹿食いする様になった」
「だったらどうして俺を廃人にしようとするんだ?俺は大切な実験道具だろう」
「クスリのせいか知らないが、お前が馬鹿な事をしてくれたからだ」
「馬鹿な事?まさかお前は…」
「全部知ってるよ。お前があの夏祭りの日に俺達と別れた後、大川を殺した事を…な」
卓郎の一言に、俺の背筋に冷たい物が走った。全部…バレていたのか?
「この国の警察はすごーく優秀でね、お前なんかが一生逃げ通せる様な連中じゃないんだよ。どうせお前、捕まったら俺がクスリを薦めた事をチクるだろ?」
「その為の口封じって訳か…だから為代も殺したのか!」
「確かにアイツの口もコイツで潰す予定だったが、俺が手を下す前に、自分で死んじまいやがった」
卓郎は一瞬、為代の方を見ると、彼女の机の上に散らばったそれを一つ手に取った。
それは、卓郎があの夏祭りの日に為代に渡した、ラムネ菓子と思われる物だった。
「コイツはMDMA。通称、エクスタシーと呼ばれる合成麻薬だ。身体に合えば快感を得る事が出来るんだが、合わなかったらそのまま死んじまう事もあるそうだ。彼女は後者のタイプだったらしい。可哀想に。だが、彼女の死はお前のせいでもあるんだぜ」
「俺のせい?」
俺は今日の朝に彼女の部屋から聞こえてきた物音思い出した。もしかしてあれは…
「今日、いつもより少し早く起きた為代は、さっそくコイツを一錠飲んだ。そして、暫くして発作を起こした」
並大抵の病気よりも苦しかっただろう。彼女の死に顔がそれを物語っていた。
「為代は、隣の部屋にいるお前に助けを求めようとした。だがもう、隣の部屋へ行く力も残っていない。そこで彼女は思い切り壁を蹴って、その音でお兄ちゃんに自分の危機を伝えようとした」
そうか…覚悟していた内容だった。あの物音は妹の、必死のSОSだったのだ。
「だが無駄だった。お兄ちゃんは助けに来てくれなかった。どうせ、呑気に覚醒剤を吸ってたんだろうよ」
「……………」
すまなかった為代…お前を救ってやれなくて…
「今回の実験で俺は色々な事を学ばせてもらったよ。クスリっていうのは、使った本人だけでなく、その周囲の人間の人生をも破壊する。どんなに仲の良い兄妹でさえ、互いを欺き、裏切り、捨てる…それらがよく分かったよ。今までどうもありがとう、薬橋真価」
卓郎は椅子から立ち上がると、再び注射器を上げた。
「とにかく、もうお前は用済みだ。果ててくれ」
「最後に一つ、聞いていいか?」
彼の口から次々と発される事実の数々を聴いている内に、頭の中にある仮説が浮かんできた。常人が聴けば、本当に馬鹿馬鹿しい仮説が…
俺はズボンのポケットに手を突っ込みながら、出来るだけ静かに聞いた。
「お前は映画【パープル・マスク】に登場する紫の怪人の格好をして俺に襲い掛かった事はあるか?」
「俺が…?ハッ、馬鹿じゃないのかお前」
確信した。
「ぎゃあああああああ!?」
一瞬の出来事に対処が出来なかったらしい。包丁の刃は、綺麗に注射器が持たれている彼の右手首に突き刺さった。注射器は彼の手を離れ、床に落ちる。
「ナイフ投げを練習していた事があるって言ってなかったかな!」
残った左手で注射器を拾おうとする卓郎の顔面を思い切り蹴り上げて、壁に叩き付けた。
そして注射器を拾うと、鼻血を流して唸っている彼の首筋にその針を突き立てる。
「へへっ…」
卓郎は顔を歪めて笑った。
「刺すなら刺せよ。俺を廃人にした所でクスリの魔力からは一生逃れられないぞ」
「確かにそうだろうな。だが、お前の実験に一生付き合うよりはマシだ」
俺は針を卓郎の首筋に刺すと、中の液体を放出させた。




