3.
拠点の街並みを見下ろすが如く、白亜の王城は雄大な威容を示していた。
その視界の端、青い菱形のプレートが敷かれた一画――転移ポイントに、渦を巻く閃光が走り、やや遅れて二つのアバターが出現した。
シウスとノイエだ。二人は<央都アウレリア>へのテレポートを完了した瞬間、周囲の様相に顔を歪めた。
「おい運営! 何だよこのメールは! 見てんだろ、何とか言えよ!」
「ない……ない……<ログアウト>は!?」
「くっそ、通信エラー!? 外に連絡が取れれば、MAS社なんて一発で……」
「わけ分かんねぇ……どうなってんだこれ。VRダイバーの故障か?」
錯乱して声を荒らげる者、外部へのメールを試みる者、現実逃避を図る者――拠点は混乱の真っ只中にあった。
施設の壁際に座り、うずくまったまま動かないプレイヤー。泣きわめく子供のアバターも少なくない。
<クロスガイア>のサービス初日という歓迎すべきイベントも、こうなってしまえば阿鼻叫喚の地獄絵図と何ら変わりがなかった。
「想像以上に、ひどいですね……」
「聞き込みは今度にしましょう。拠点の施設がどの程度生きているか、確かめた方がいいと思います」
「そう、ですね。わたしは東地区を中心に回ってみます。シウスさんは西地区を担当して下さい」
「分かりました。20分後にここで落ち合いましょう」
シウスはメニュー画面で現在時刻を確認する。午後12時17分だった。
ノイエにもそれを見せてから、西地区に向かって走り出す。通路にひしめくプレイヤーの間をすり抜け、目的地に到達するまでの時間を活用して考え始めた。
(西地区は確か、初心者用の施設が多い場所だったはず……)
公式ホームページの情報でシウスが覚えているのは、<クロスガイア>はVRMMO初心者を意識した作りを謳っていたということだ。
NPCが基本操作を教えてくれる<訓練所>、ゲーム内の用語や設定を学ぶことのできる<図書館>が、例として挙げられていた。
(デスゲームにはそぐわない施設ばかりだ……消されてるかもな)
シウスは現状、運営の目的を金と推定していた。
数千人ものプレイヤーをサーバに閉じ込めるには、相応のVR技術と人員、そして資金が絶対に必要なはずである。デスゲームが終わった後の損害賠償や損失補填も考えると、金はいくらあっても足りない。
それでも運営はデスゲームに踏み切った。ならば、事前の準備に消費された以上の大金を手にする当てがあると考えていいだろう。
その手段とは――
(賭博、だろうな。誰が最後まで生き残るかを見世物にしたギャンブル……需要があってもおかしくはない)
20世紀の末、VRMMOデスゲームという架空の作品ジャンルが生まれてから、多くの小説やゲームが同題材を扱って来た。
人間の欲望に限りはない。娯楽を求める欲求が暴走し、今回の事態を招いたとしても、シウスは全く驚かない自信があった。
(だとすると、あのメールはプレイヤーの不安を煽るためのものか。復活もログアウトもできず、PKが解禁されたとなれば、取り乱しても仕方ない。互いに猜疑心を抱き、自動的に殺し合う……)
シウスはかぶりを振って、嫌な想像を振り払った。ノイエとの一件は、そうなる可能性も大いにあり得たのだ。
そうこうしている内に、西地区に辿り着いた。周囲を確認すると、何やら文句を叫んでいるプレイヤーは散見するものの、不自然に施設が消失していることはない。
(……俺が運営なら、初心者用の施設を抹消し、VRMMO経験者やCBテスターと対立させ、争うように仕向けるんだが)
それでも油断は禁物だ。シウスは付近の<図書館>へ足を運ぶ。
扉のない、常に開け放たれた出入り口を抜け、ロビー中央へ陣取る。
見たところ、現実の図書館と大きな差異はない。カウンターには女性のNPCが立っており、林立する本棚には、たくさんの蔵書が保管されていた。
本棚に近づき、分厚い書物にそっと手を触れると、ウィンドウが開く。
『<命の時代>
世界の始まりに、虚無の暗黒に降り立ったのは<命の神ガイア>である。
ガイアは交差する大地を創生し、御髪を一房垂らすと、そこから命が芽吹いた。
自らの誕生に歓喜した生命が涙を流すと、それは地を伝い、やがて大海と化した』
どうやら、<クロスガイア>のゲーム内における神話らしい。
デスゲームには似合わないロマンチックな文章に、シウスは呆気にとられてしまう。
「まあ、ファンタジーだしな……」
天を仰ぎ、無理やり自分を納得させる。
――ふと、天井からつり下がる板が目に付いた。
鎖で天井に繋がれた楕円形の板には、黒い文字で『WC→』と描かれている。
「ファンタジーにトイレ……?」
時代考証を完全に無視した表示だった。
シウスは、興味本位で矢印に従い、トイレへ向かう。ちょうど尿意をもよおしていたこともあるのだが。
――3分後。
用を足して、トイレから出る。<クロスガイア>の再現度は、こんなところにまで高いクオリティを維持していた。
(水洗トイレかよ。しかも、きっちり男女に分かれてるし)
蔵書エリアの反対側で、壁に取り付けられた、男と女を線で区切った表記を眺める。
運営の妙な拘りにため息がこぼれた。
デスゲームにプレイヤーへの配慮などして何になるのか。シウスには全く理解できない。
「……ん?」
そこに違和感を覚えた。メールの文面を思い出す。
『なお、実施期間の長期化による肉体の衰弱につきましては対応しかねますので、あらかじめご了承ください』
悪意に満ちた文面だ。プレイヤーの了承を得ず、一方的に巻き込んだことからしても、到底許せるものではない。
だというのに、施設のこの行き届いた配慮は何だ。まるで、プレイヤーを気遣っているようではないか。
シウスは確証を得るべく、女子トイレに駆け込んだ。
個室に備え付けられた棚を漁り、目的の品を探し出す。
「――あった」
トイレットペーパーだけではない。ウェットティッシュにナプキン、タンポンなど各種生理用品が並んでいた。
これは、明らかに不自然だ。運営は、デスゲームを主催すると同時に、高すぎる再現度によってプレイヤーが不自由することのないよう、拠点を作っている。
――賭博には、まるで不必要な手間を掛けたデスゲームなど、存在するのか――
気味の悪い矛盾がシウスを襲う。賭博のためのデスゲームという予想は、足元から崩壊しつつあった。この分では、食事や住居の問題も、何らかの対策が施されている可能性がある。
(でも、一番の問題は……)
時刻を見て、時間的猶予を認めたシウスは、<図書館>を全速力で退出する。「図書館内を走らないで下さい!」と言うNPCの声も耳に入らない。
西地区を探し回り――そして、約束の時間ぎりぎりに、央都の隅に隠れるように存在する、ある施設を発見した。
「――確定だな」
一息吐いて、シウスは施設の名称を空間投影ディスプレイに映す。
ウィンドウには、はっきり<娼館>と表示されていた。
◆
「当てが外れましたね、シウスさん……」
「ええ……これが賭博ならば、早期の脱出も可能かと思いましたが……」
王城前の噴水の縁に腰かけて、シウスとノイエは情報を交換していた。
噴水内の水の中で、カラフルな小魚達が優雅にダンスを踊る。二人の心境とは正反対だった。
ノイエはアイテムショップや武器屋、宿屋など、冒険に関する施設の多い東地区を調査した。判明したのは、宿屋にはプレイヤーの一人一人に個室が用意され、商店には豊富な食材アイテムと果物が販売されていたという事実だった。
「お昼なんで、これ、どうぞ」
ノイエはアイテムインベントリから思考操作でリンゴを取り出し、シウスに手渡すと、自分用にも一つ取り出して、短剣で器用に剥き始める。
シウスは礼を言ってリンゴを丸かじりにした。味覚は現実と変わりなかった。
「ちゃんと味はしますね。食材関連のアイテムが値段上昇したり、売り切れることは?」
「NPCに訊いたところ、ないようです。宿屋の値段も安かったので、プレイヤーが住居に困ることもないと推察されます」
至れり尽くせりな拠点の仕様に、シウスは頭を悩ませる。到底デスゲームとは思えないことばかりで、思考回路がショートしそうだ。
「……その、娼館まで完備されていたというのは、本当ですか?」
ノイエが躊躇いがちに問いかける。恥ずかしいのか、顔が赤い。
「女娼から男娼まで、より取り見取りでしたよ。プレイヤーが、性欲の問題で暴徒化する事態は避けられそうです。……ああ、もちろん有料でしたが」
「…………」
ストレートな物言いに、半眼が返って来た。
――もっと、オブラートに包んで下さい。そう言わんばかりの態度だった。
こほん、と咳払いをして、ノイエが質問を続ける。
「結局、運営の目的は何なのでしょうか? このような創作じみた事態を引き起こして、一体何を狙っているのでしょう?」
「……さっき話した通り、俺は最初、賭博だと思っていました。ですが、それにしては奇妙なほど設備が充実している。運営がプレイヤーをある程度の長期間、ここに閉じ込めるつもりであるのは明白でしょうけど」
シウスの脱出プランは、自分達が他のプレイヤーを圧倒的にリードすることで、賭けの運要素を排除し、デスゲームの娯楽性を失わせ、根本から破壊するというものだった。
しかし、賭博の可能性が低くなった以上、次なる手を考える必要がある。
<メールボックス>を開き、もう一度運営からのメールを読み直す。
『実施期間
2105年3月28日(土)10:00~クリア条件が満たされるまで』
この部分を見た限り、<クロスガイア>にはクリア条件が設定されている。メールの内容を信じるならば、素直にそれを満たすことが脱出への近道だ。
「やはり、クリア条件を満たすしかないのでしょうか……」
横からメールを覗くノイエの言葉には、運営への不信が見え隠れしていた。例えクリア条件を満たしても、運営がプレイヤーを解放する保証はないのだ――
「ははははっ! 嬢ちゃんがこのゲームをクリアするって?」
「――――!」
二人が同時に顔を上げる。思考の海に浸っている間に、白髪の大男と革鎧の少年が、目の前に立っていた。
男はノイエの容姿を眺めて、にやりと笑い、少年はシウスに嬉しそうな顔で一礼する。
「あ……」
「先程はどーも! 俺、オズマっす。職業は……えっと<騎士>か」
「そういえば、名乗ってもいませんでしたね。<剣士>のシウスです」
大男に見覚えはなかったが、もう一方はシウスが助太刀に入った槍使いの少年だった。
食べかけのリンゴを左手に持ち替え、軽く握手を交わしながら、自己紹介する。
「――シウス?」
その名前に、大男がぴくりと反応した。アバターの身長は190センチを超えており、金属製の重装甲を纏った力強い姿から推測すると、職業は<重戦士>だろう。
「お前、LFで見たことあるぞ。アバターの見た目どころか名前まで変えないなんて、不用心な奴……初心者か?」
「アバターを変えると距離感が狂うので、仕方ないんですよ。それに、名前は気に入っているので、変える気にはなれません」
「ふーん、そういうこともあるのか……」
どうやら男もLFからCGに移ったプレイヤーらしい。シウスの切り返しに納得すると、次はノイエに向き直った。
「それはそうと、嬢ちゃん。言っておくことがある」
「……何ですか」
ノイエの声は恐ろしく低く、視線は絶対零度の如く冷え切っていた。オズマがただならぬ雰囲気を感じ取って、三歩後ずさる。
だが、<重戦士>は意にも介さず、言葉を続けた。
「クリア条件なんて語ってたら、命がいくらあっても足りねぇぜ。お姫様は<王城>に引きこもってじっとしてろ」
「――くす」
シウスは、真昼間にもかかわらず、体感で気温が氷点下になった気がした。ノイエは笑顔を浮かべているが、逆にマグマのような底知れぬ怒りを抱えていることは確実だった。
「あなたが、どこの誰だか存じ上げませんが――」
白い少女は、螺旋状に剥かれたリンゴの皮を、男に示す。
それを宙に放り投げると、短剣を閃かせた。
数え切れないほどのピースに分断された皮の切れ端達は、ぽとりと地面に落ちた途端、淡い粒子に変化して溶ける。
「――こんな風になりたくなかったら、二度とわたしの前に現れないで下さい」
「ぶっはははは! やってみやがれ、もやしっ娘!」
明確に過ぎる敵対宣言に男は大笑いだ。
シウスとオズマは、二人の過激すぎる応酬に、共に頭痛を覚えていた。