入学前のヒトコマ(ジョゼ)
雨が城と共にしかやってこないこの国において、良い土地とはすなわち雨が多く水が入手しやすいところという暗黙の了解があった。
城は巡回航路に乗って国中を巡る。
その軌道は出来る限り満遍なく回ろうとしていたが、それでもやはり偏りは存在する。
雨が他のところよりも少ない地域と、雨が多い地域と。
前者はスラムとして多くの人々を受け入れる受け皿となり、後者は貴族の住まう高級住宅地となった。
だが、貴族のステータスでもある長雨も、豪奢な部屋の中で一人テーブルで本と睨めっこする幼い少女には憂鬱なものでしかなかった。
「……魔法は呪文を唱えることにより虚空にその構成を導き出し、それを意志の力を持って発動させる。その発動した魔法の力の強さは単純に術者の魔力に比例する。一度魔法をかけられた物体に再度魔法をかけるには前の術者に匹敵する魔力が必要である」
ぐぅぅぅぅぅう、とだだっ広い部屋に怪音が鳴り響いた。
それでも、少女は本の朗読をやめようとはしなかった。
「再度魔法をかけるにはまず前の術者の用いた魔法に実際触れ、解析する必要がある。その後に前の魔法を解除する構成を描き出し、その上で新たな魔法をかけるという手順をとる。この解析の時点で時折、前の術者の思念が虚像となって術者の前に現れる事があるが、それはその魔法に込められた前の術者の尋常ならざる思い入れ、意志の強さを表すもので、その場合魔法の解除には多大な労力を強いられることになる。なぜならば新たな術を施そうとする術者にも前の術者と同等以上の意志の強さが必要となるためである」
きゅるるるるる、と音がして、今度こそ少女は本を投げ出して窓の外を眺めた。
「……鬱陶しい雨」
視線の先にある庭には、水を潤沢に使える一部の者にしか許されない噴水や水路が張り巡らされていたが、少女はその贅沢さに気付くことなく溜息をつき、視線を時計に向けた。
「もう三日目にもなるのに、まだ親族会議は続いているのかしら?」
そろそろ夕刻を示す時計から視線を外すと、少女は盛大にテーブルに突っ伏した。
少女が住まう広大な邸宅。
その中央の大広間では今、大勢の親族が一同勢ぞろいして間に休憩を挟みながらも不眠不休の勢いでもう六十時間近く議論に明け暮れていた。
「まったく、一つの結論を出すのにどれだけ時間をかければ気が済むのよ?」
「その結論に辿り着きたくないから時間をかけて議論するんですよ」
音もなく少女の部屋に入ってきた青年は本を投げ出してテーブルに突っ伏している少女を見てあきれ果てた。
「ちゃんと勉強してましたか?一瞬の気の緩みが怠惰を引き寄せ、結果魔法界で落ちこぼれることになるんですよ」
「ちゃんとしてましたぁ、レイの意地悪。見れば判るでしょう?レイに与えられた課題全部こなして、復習までしてたわよ」
「宜しい」
レイと呼ばれた青年は小さなバスケットをテーブルの上に置いて少女――ジョゼの正面に座ると、少女の手元から紙をとって目を通し始めた。
「……どう?」
「そうですね、まずまずの出来ですね。細かく答え合わせしますから、その間こっちの問題をしていてください」
にこりともせずにレイはジョゼに新たな問題を書きとめた紙を差し出した。
だが、ジョゼは問題文を一読するとじっとレイを見詰めた。
「……何か?」
「私に何か話すことは無いの?」
「何をです?」
どこまでもすっとぼけようとするレイの態度に、ジョゼはとうとう堪忍袋の緒が切れて勢いよく立ち上がった。
「今までお父様たちの会議盗み聞きしてきてたんでしょう!?なら、何がどうなってるかくらい教えてくれたって良いじゃない!私の将来のことを話し合ってるのよ、あの人たち!なのに当の本人の私の思惑なんてほったらかして!!」
一気に叫んだせいで肩で息をしているジョゼを前に、レイは冷酷に言いきった。
「自業自得です」
「何処がよ!?」
「後先考えずにとりあえず自分の言いたいことを言いたいだけ好き放題言ったこと、まさか忘れたとは言わせませんよ」
完全に据わりきった目で睨んでくるレイの眼差しを受けて、ジョゼはうっと言葉に詰まって大人しく椅子に座った。
――彼もまた、少女の発言の煽りを食って三日間寝てない種類の人間だった。
「ま、お嬢様があの発言をなさったのも同情の余地がありますし、集まった金の亡者どもが缶詰になって檄を飛ばしあうのも理解出来ますがね。ですがお嬢様の言い出した突拍子も無い提案は、あの腹黒くてずるがしこいばっかりの親戚縁者みんなにとっては死活問題だということくらい、判っていただかないと困ります」
「小父様たちの都合なんて私の知ったことでは無いわ。私は至極当然のことを言ったまでよ。私にだって選択する権利がある筈でしょう?なのに、小父様方が連れてくるのは脳みそが足りないどころか無いんじゃないかと思えるくらい間抜けで、自尊心と自己権意欲だけは極大まで肥大化した馬鹿ばっかり。そんなのを相手し続けるのはもう沢山なの」
つんとすまして腕組みをした少女に、彼は溜息をついた。
彼女が爆弾発言をしたのはかれこれ三日前。彼の主人であるこの家の当主の誕生日の宴席でのことだった。
居並ぶ一族重鎮たちを目の前に、わずか八歳の少女はすっくと立ち上がって滔々と次の言葉をよどみなく言い切った。
『この家は私が継ぎます。婿をとって家を預けようという気はありません。古くは国の礎を築いた大魔道師に行き着くラ・ブリュイエール家が魔法の力の弱いものなど当主に据えれば歴史に残る笑いものになりましょう。なので、私は魔法を学ぶべく王立の魔法学校へ進学いたします。幸い古くから懇意にしてくださっている魔法学校校長にして王宮付きの魔道師筆頭、アーデガルト様も私の素質を高く評価してくださっています。私の意見に異議のある方は自ら私以上の力をお示しになってください』
――貴族の筆頭名門、王家に次ぐ地位にあるラ・ブリュイエール本家に跡継ぎが中々生まれなくてやきもきさせられた十数年。
その後ようやく女児が生まれ、やれやれ、本家はどこか分家どころから適当に(すなわち適切に、かつ権力バランスを考慮してさりげなく対抗馬を蹴落としつつ自分の手駒を持ち上げ、最終的には上手い落とし所を探し当てた後に)婿をとってブリュイエール一族の次代を担わせようと一族郎党皆水面下の争いを始めて八年目。
まさかこんなどんでん返しがやってこようとは誰一人として思い描いていなかったに違いない。
今まで彼女は自分に権力と栄光を運んできてくれる可愛いお人形にしか過ぎなかったのだから。
――当主の誕生祝の席は一瞬にして一族の最高会議の様相を呈したのは致し方の無いことであった。
「それで、ハンストはいつまでお続けになるおつもりですか?」
「勿論、頭の固い小父様方が残らず一掃されるまでよ!」
憤然と言い切ったジョゼを見て、レイは溜息をついて課題に赤インクの印を入れた。
「ま、お嬢様が勝手に餓死の道を選ばれるのは構いませんが、私の課題ぐらいきちんとこなしていただかねば困ります。お嬢様を出来損ないなんかに育て上げたら私の評価にかかわりますからね。前も間違えてましたよ、ここ」
「え、嘘!あんなに見直したのに!!」
レイから答案をひったくって齧り付くように答案に没頭するジョゼに、レイはさらに追い討ちをかけた。
「ハンストなんかして頭に栄養やってないからそんな馬鹿なミスをするんです。私の生徒が二度も同じ間違いをおかすだなんて許しません。観念してこれ食べてとっとと栄養補給してください。ハンストは中止です」
そう言うと、バスケットの中から大きなオレンジを取り出し、でん、とジョゼの目の前に置いた。
少女はごくっとつばを飲み込んで目の前のオレンジを見た。
つやつやと輝く橙色のはだ。
さっき置いた時、重い音がした。中はきっとぎっしり詰まっているに違いない。
きっとナイフで切ったらみずみずしい実が中に隠れているのだろう。
食べたらきっと甘酸っぱくて、そして……。
だが。
「……駄目」
ジョゼは自分の解答用紙でオレンジが視界に入らないように遮って、頑張ってそれに手を伸ばさないようにしていた。
「駄目、レイ、それ見えないところにしまって頂戴。魔法に必要なのは日々の努力と意志の力だってレイも言ってたじゃない。私、今ここでオレンジを食べてハンストを中断するわけにはいかないの」
半ば怒ったような口調でジョゼはレイに言いつけた。
その途端、鉄面皮のレイの顔が少しほころんだ。
「……合格ですよ、お嬢様」
「は?」
吃驚して我を張っていたのも何もかも忘れてジョゼがレイを振り返ると、レイは微笑みどころか拍手までつけてもう一度同じことを言った。
「合格です、お嬢様。魔法学校への進学決定、おめでとうございます」
部屋の中にレイの拍手だけが木霊すること数拍。
「本当に!?本当に私学校に行って良いの!?」
「こんなことで嘘ついてどうするんですか?」
「レイなら嘘吐きかねないからよ!やったわ!私、とうとうあの頑固親父たちに勝ったのよ!!」
嬉しさの余り部屋中駆け巡ってはしゃぎまわるジョゼを尻目に、レイはバスケットの中からオレンジどころかサンドイッチやジュースまで取り出してテーブルの上に並べだした。
「この三日間の課題は全て会議の場に提出させていただきました。流石に、魔法学校の高学年の学生が解くような問題を次から次に解かれてはあの判らずやたちも認めざるをえなかったようです。後はお嬢様の意志の固さを確認するために、オレンジが意地汚いほど好きなお嬢様が手を伸ばさないのであれば、ということで勝手ながら最終試験をさせていただきました。お許しください」
「そんなのどうでも良いわ!私、とうとう魔法学校に行けるんですもの!」
喜びの余り寝室まで駆けてベッドの上でピョンピョン跳ねだしたジョゼを引き戻すため、レイは寝室のドアを意味ありげにノックした。
「とっととテーブルに戻ってお食事とってください。言っておきますけど、進学は主席死守が条件ですよ。いみじくもブリュイエールの名を戴く者が他の誰かに遅れをとることなど許さぬ、とお優しい小父様方は息巻いてます。お嬢様が一度でも主席から落ちれば即退学、一族のどこかから見繕われた馬鹿なボンボンと結婚ですから、頑張ってくださいね」
「嘘!」
夢から覚めたようにがばっと起きだしたジョゼに、レイは親指で今まで居たテーブルを指し示した。
「ですから、とっとと食べて、とっととお勉強再開です。言っておきますけど、主席死守はかなり難しいですよ。でも、ま、私が教えるんですから何が何でもその地位に齧り付いていただきます」
さらっと恐ろしいことを言ったレイの顔はいつになく楽しそうだった。
「ねぇ、魔法学校ってどんなところかしら?」
「お黙りなさい。おしゃべりしてると、頭の中で組み立てた折角の理論が紙に書き起こす前に消えてしまいますよ。」
「良いじゃない、少しくらい。レイもそこへ通ってたんでしょう?どんなところだった?」
目をキラキラと輝かせながらレイの顔を覗き込んでくるジョゼを見て、彼は仕方がないか、と諦めにも似た感情で笑った。
その昔、自分も入学が決まった時は同じくらい興奮して手がつけられなかった覚えがある。
あの時はもっと少女より年嵩だったが、と彼は思い出の引き出しを久しぶりに開けた。
「そうですね、学校の中に入って、一瞬ここは別世界かと目を疑いましたね。本当に信じられない光景が広がっていて……」
天国はこんな風なところなんだろうか、と思った少年時代。
純粋に上のみを見続ける事が出来た、あの頃。
――過去におぼれそうになった彼を、はしゃいだ声が遮った。
「そんなに綺麗なところなの、学校!?」
「そうですね、お嬢様には私ほどの感動は無いかもしれません」
「えー、どうしてぇ?」
駄々っ子のように尋ねる少女に対し、彼は微妙な笑顔を浮かべた。
ふんだんに水を使った噴水も、庭や回廊に張り巡らされた水路も、目の前の少女にとっては見慣れたものだ。
城がめぐってくるたびに壷を抱えて走り回っていたスラム出の自分とは違う。
「でも、どうしてレイは王宮に仕えなかったの?成績、良かったんでしょう?」
ふと、少女が子供特有の前後の脈絡の無い突然の話題転換をしてきて青年は一瞬、不意を突かれて微妙な間が空いた。
「……私はお嬢様と違って、とっても柔軟な神経をしていましたので」
「なによ、それ、どういう意味よ!?」
ぷぅっと頬っぺた膨らませてむくれたジョゼの額をレイは人差し指で小突いた。
「教えたでしょう、魔法を使うには意志の力が必要だと。私は素質だけなら十年に一人の逸材といわれましたし、理論体系も抜群に出来ましたけど、面倒くさがりだったんですよ。疲れる事がキライで、大きな魔法使うのが面倒で。それがアーデガルト様はじめ主だった魔道師皆に知られてましたからね。こんな不安定なのを王宮に雇うわけには、と採用されなかったんですよ。お嬢様なら大丈夫、お嬢様は百年に一度の才能の持ち主で、強固な意志の力をお持ちですから」
「……暗に強情って言ってない、レイ?」
「気のせいですよ」
青年は仮面の微笑を顔に張り付かせた。
だが、その内心では異なることを思っていた。
魔法学校。
彼が逃げ出した場所。
この王国のあらゆる暗部が詰め込まれた場所。
いずれは、目の前の少女が全て背負わねばならないもの。
自分は、恐怖で身動きが取れなくなり、そしてそのままブリュイエールに預けられた。
秘密を知るものとして、監視されるために。
結局のところ、彼には幼い少女を護ることも導くことも出来ず、ただ、恐怖へと一直線に続く道行きをまっすぐ手を引いてやることしか、出来なかった。