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この結婚は政治的策略  作者: 薄明
第1章
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 9.華燭之典(遊ばないで下さい)


「……ニーナ。ねぇ、ニーナってば」

 寝台の上でうつ伏せになり、足をバタバタさせながら、リューネリアは明日の準備と確認をしている侍女を呼ぶ。

 彼女はリューネリアが五歳になった時から仕えてくれている侍女だ。この度、ヴェルセシュカに嫁ぐ身となったリューネリアの為に、国を捨ててまで付いてきてくれた彼女は、姉のような存在で家族のようなものだ。

 そんな彼女の前では、気心が知れている分だけ、王女でいる必要がなくなる。

 今は他の侍女はいない。明日にはこの一カ月を過ごした部屋を引き払う為、そして彼女たちはパルミディアへと戻ってしまう為、荷物の片付けもあるだろうからと今日は早めに引き揚げさせたのだ。だから、こんな恰好をしていられるのだが。

「なんですか、リューネリア様。子供みたいですよ」

 呆れた眼差しを向けられ、バタリと足を下ろす。

 明日、ついに婚姻の儀を迎える。

 なんとか無事にこの日を迎えることが出来た事を喜ぶべきなのかどうなのか、悩むところだ。今まで無事だったのは、二大国のおかげと言えるが、果たして無事に成婚となったからには刺客がいつ舞い込むとも限らない。

「私、いつまで生きていられるのかしら……」

 決して悲観しての言葉ではない。先の見えない未来は、本来なら花嫁が思い描くだろう幸せを、ただ他人事のように感じてしまうのだ。

「大丈夫ですよ。いくら不甲斐ないといってもウィルフレッド様はこの国の第二王子です。リューネリアさまの目的を達成する踏み台ぐらいにはなって下さるでしょう」

 慰めにもならないような、王子を王子とも思っていない慰め方に、リューネリアはため息交じりの苦笑を零した。

 侍女にまで不甲斐ないと思われてしまうとは。

 可哀想だとは思うが、果たして本当にただのお馬鹿さんなのか、まだリューネリアは見極め切れていなかった。あれから何度か食事をしたり、お茶をしたりと話す機会を何度か設けた。その時の会話の端々からも感じたが、決して頭の回転は悪くないと思う。面倒くさがりなところもあるが、やり始めた事はやり遂げる種類の人間だと思う。

 多分、補佐官が切れ者なのだと思う。その影に隠れているため、目立っていないだけなのではないかと思うのだが、言いきれないところが痛いところだ。


「結婚……か――」

 リューネリアにとってはまさに命をかけた結婚だ。

 聞こえはいいが、そこに本来あるべき愛情は無い。

 ウィルフレッドの博愛主義は健在だ。それを兎角いうつもりはリューネリアにはない。ただ、協力関係であることが肝心であり、それ以上を望むことはない。

「さ、もうお休み下さい。明日は大変な一日になりますので」

 ニーナの言葉に素直に頷く気にはならなかったが、確かに寝不足で目の下にクマがある花嫁など無様である。ましてそれがパルミディアの姫として民衆の前に立たなければならないのだ。みっともなくては祖国に申し訳ない。

 しぶしぶ布団の中にもぐりこむと、ニーナが明かりを落としてくれた。

「おやすみなさい、ニーナ」

「おやすみなさいませ、リューネリア様」

 寝室の扉が閉まる音とともに、ニーナの気配が部屋から消えた。

 眠れそうにないと思っていたリューネリアだったが、ここ最近の疲れが出たのか、ほどなく眠りの中に引き込まれていった。



 神前での誓約後、リューネリアは命を狙われることなく無事、成婚の祝宴へと出席することが出来た。

 かなりの緊張を強いられてはいるが、主役であるため気は抜けない。しかし、今回はずっとウィルフレッドが側にいるため、命を狙うこと自体、難しいことであろう。邪魔なのはリューネリアであって、ウィルフレッドが邪魔なのではないのだから。もちろん、その点も踏まえて警備も万全に期しているらしいが……。

 隣に立つ今では夫となったウィフルレッドを見上げる。

 手は常に彼の左腕に添えられている。しかもなぜかその手の上に、彼の右手が乗っていて離れない。ちょっとした用で離れなければならないことがあっても、側に戻るとすぐに手を取られ、同じ位置に添えられる。

 これは仲が良いフリをしているのだろうか。

 疑問に思ってじっとウィルフレッドの腕に添えていた自分の手を見ていると、頭上から声を掛けられた。

「疲れましたか?」

「……ええ、少し」

 必要以上に近いような距離に、わずかに及び腰になりながら答えると、断りを入れながら人の輪から抜け出てくれた。

 人もまばらなバルコニーに連れて来られ、ほっと一息つく。

 歓迎の夜会から一カ月ほど経ったが、夜風は温かくなってきたようだ。あの夜は、晩春だというのに風が冷たいと思った記憶がある。しかも、今夜はどこかで花が咲いているのか、甘い香りがただよっている。

 眼下に警備の者が人目につかないようそっと佇んでいるのを尻目に、リューネリアは遠慮がちにウィルフレッドを見上げる。

「あの……」

「なに?」

 視線を、彼の腕に絡めたままの自らの手に向ける。

「……手を離してもらえないかしら」

「離して欲しいの?」

 手袋の上からそっと撫でられて、一気にその場に熱が集中する。

「離して欲しかったら、振り払ってもいいよ」

 この場で、博愛主義者の手法を発揮しないで欲しい。

 いたたまれない。

 もし今、振り払うような暴挙に出ると、あまり喜ばしいことにはならない噂が立ちそうだ。人は少ないとは言え、視線は今日の主役たちに常に注がれている。少なくとも、ウィルフレッドやエリアスはリューネリアに出来る限りの協力を約束してくれた。地位と権力を望むなら、やはりウィフルレッドと仲がいいところを周囲に見せれば、迂闊にリューネリアをさげずむようなことを言う者はいないだろう。これは一種の牽制だ。結婚したからには、リューネリアはすでにヴェルセシュカの王族なのだ。ウィルフレッドがリューネリアを大切にするということは、ヴェルセシュカの王族から受け入れられたということになる。これは大切な第一歩とも言えるだろう。

 このことは、彼らとも話しあった結果、リューネリアも承諾したことだった。

 だが、何なのだろう。この豹変したようなウィルフレッドの態度は。

 こうやって女性を陥落させるのか。

 妙に冷めた目で見ている自分と、打算で振り払えないリューネリアの目の前で、ウィルフレッドは自らの腕に乗せていた手をいつものように唇へと運ぶ。貴族間では淑女への挨拶でもある行動なのだが、彼の口づけはいつもより長い。

 そう、普通の淑女ならば目の前で、この見た目だけはいい王子の挨拶を受けようものならうっとりとでもするのだろうが、リューネリアにとってこれは苦行でしかない。

 パルミディアでもこの挨拶は主流だが、戦争で夜会などのパーティは控えられていた。しかも、いつも執務室で内政を仕切っていたリューネリアは、公務でそこまで対外的な活動をしていたわけではなかった。つまり、慣れていないのだ。

 あまりのいたたまれなさに、手に思わず力を込めた。いっそのこと、このまま手を振り払ってしまいたい。

 だが、一瞬のためらいを見破られ、ウィルフレッドに手を握られる。そしてそのまま腕を引かれて、彼の腕の中に閉じ込められてしまった。

 思わず叫びそうになって、慌てて口を押さえる。

 この人は心臓に悪い。仲が良いところを見せるといっても、ここまでしなければならないのだろうか。

「ウィフルレッド様!」

 小さな声で非難する。

「仲のいいフリだよ」

 耳元に小声で返され、思わず言葉に詰まる。

 だが、笑いを含んだその声に、リューネリアは気づいてしまった。

「わたくしで遊ばないで下さい!」

「役得だよ」

 キッと見上げると、綺麗な笑みを浮かべていた。しかも、とても楽しそうに。

 これを周囲から見たら、どのように見えるだろうか。さぞ、王子は幸せそうに見えるのではないか。そして実際、恥ずかしがっている姫は恥じらっているように見えるのか。

 あまりの事に愕然とする。

「この際、キスでもしとく?」

 調子に乗って頬を撫でてくる王子に、リューネリアは低い声で応えた。

「張り倒さないという自信がありませんわ」

「それは残念」

 台詞の中身とは逆に別段、残念そうに見えないウィルフレッドの顔から笑みは消えない。

 ああ、そうなのかと気づく。

 最初の夜会の時も思ったことだ。この人は、人前に出ると完璧な王子の仮面をつける。執務室にいる時や昼食を一緒に取った時などは、もっと砕けた感じで、はっきり言ってしまえば不甲斐なく感じてしまうことが多い。だが今は完全に『王子』だ。普通に考えるなら執務室にいる時の方が本来の彼なのだろうと思えるのだが、違うと思った。ここまで完璧な仮面をつけられるものではない。

 じっとウィルフレッドを見上げていると、微笑を浮かべたままの彼に頬を撫でられた。

 ハッとする。

「隙を見せたら駄目だよ」

 そうだった。ここには見えない敵が沢山いるのだった。

「ごめんなさい」

「いや、分かってないみたいだけどね」

 最後の方は小声で、室内から流れてくる音楽によって、リューネリアの耳までは届かなかった。

 その後、しばらくして再び会場へと二人は戻った。


 結局、バルコニーに出ている間も手を離されることはなかった。


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