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この結婚は政治的策略  作者: 薄明
第1章
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 8.才色兼備(つい癖で……)

 返事が欲しかったわけではなかったので、リューネリアもそのまま黙っていた。

 だが、しばらくしてウィルフレッドが再び食事の手を止めていることに気づいた。


「……以前も話したが、兄は身体が弱く、今ではほとんど自室から出ることはないが、昔は今よりはもう少し丈夫だったんだ。兄は頭が良くて、人当たりもよくて、誰からも好かれていて、次の国を担うものとして皆から期待されていた。俺も兄を尊敬していて、兄のようになりたいと思っていたよ。だが、戦争が激しくなるにつれ議会との軋轢も酷くなる一方で……、兄が倒れるまで兄の身体に限界がきていることを誰も気づかなかった」

 遠くを見つめるその瞳は壁に向けられていて、ウィルフレッドは無表情に近い。だがどこか悔恨が見えるような気がした。

「だが兄は体調が落ち着くと自ら率先して戦場に行った」

 まるで生き急ぐように見えたとウィルフレッドは続けた。王太子が何を思ってそうしたのか、ウィルフレッドは何度も問うたが教えてはもらえなかった。そうこうするうちに結局、王太子が命を落とすことなく休戦することとなったが、ウィルフレッドの中には戦争に対する疑問が残ったと告げられた。

「戦争をする必要が本当にあったのだろうか」

 言われた言葉に、リューネリアは首を軽く横に振った。

「それは……今更言っても仕方のないことだわ」

 仕方がなくても言いたくなることはある。それは十分に分かっていた。

 そのカール王太子から、ヴェルセシュカに来てすぐ手紙と花束を貰ったことを思い出す。体調が優れずに出迎えも出来ずに申し訳ないという謝意と、心のこもった歓迎の言葉が丁寧に綴られていた。形式的なものであろうとは思っていたが、ウィルフレッドの王太子を慕う言葉を聞いたからだろうか。それだけで王太子に対する見方が変わっていく。

 ふと、視線を執務机の上に向け、何気に書類を手に取った。

 戦時中、休戦を迎える一年ぐらい前まではパルミディアの国王に代わって内政のことに関しての決裁を任されていた。だからリューネリアはほとんど無意識に書類を分け始めていた。

 執務についた頃、リューネリアも書類を山のようにして、幾日も徹夜をした頃があった。しかし、やり方一つで書類の山が早く減ることに気づいたのだ。それが無意識に身につき、ほとんどカンと言っても良いほどのもので以て三つの山に分けていくのだ。

 一つは即決裁。

 一つは再考。

 最後の一つは確認事項を含む書類。

 こうすることで、即決裁の書類は素早く処理され、再考書類も返却される。確認事項を含む書類に関しては、相談しながら決めていけばいいだけで、それだけで時間の無駄が省かれる。

「何をしているんだ?」

 ふと気づくと、側にウィルフレッドが立っていて、リューネリアの手元を覗いていた。どうやら食事は済んだらしい。

 しまった、と思ったがあとの祭りだった。

 他国の決裁書類を勝手に見てしまっていいもではないことぐらい、リューネリアにも分かる。つい癖で分けてしまいましたという言いわけが通るものではない。

 ウィルフレッドを見上げ、頭の中が真っ白になってしまった。

「なぜ三つに分けるんだ?」

 だがその声は責めを問うものではなく、単なる疑問だった。

 瞬き、取りあえず説明をする。

 自分がやっていた時はこの方法が早かったし、つい癖で書類を手に取ってしまった、と。

「ごめんなさい」

 謝って書類をウィルフレッドに渡そうとしたら、続けてくれと言われた。いいのだろうかと書類を分け始めると、ウィルフレッドは机について、決裁書類に手を伸ばした。

 何枚かめくって、筆を取る。そしてサインをしていく。

 それを横目に見ながら、リューネリアは三つの山を作っていく。

 手元の書類がなくなり、決裁書類のみをウィルフレッドに渡し、再考書類を脇に置く。確認事項のある書類を手に取ると、一枚一枚確認していく。まだ、ヴェルセシュカの国政がどのようなものなのか把握しきっていないため、決裁書類より確認書類の方がはるかに多い。しかし、もう少し慣れてくれば決裁に回せそうなものが増えるに違いない。

 それに、良く見るとこれらの書類は地方から上がってきたものが多いように思える。ウィルフレッドが国の中枢に直接携わっている部分は少ないようだ。

 しばらくして決裁書類にサインを終えたウィルフレッドは、筆を置くと今度は再考書類を手に取った。取りあえず目を通しながら、リューネリアに疑問点を聞いてそれを再考するものと確認するものに分けていく。

 リューネリアが次に確認書類をウィルフレッドに渡すと、疑問に思ったことを一点一点口にした。

 それに答えてもらいながら、それを再び決裁と再考書類へと分けていく。

 こんなことをしていていいのだろうかと、疑問に思いながらもそれでも書類は時間と共に片付いていく。

 残りもわずかとなった頃、エリアスが戻ってきた。

「失礼、お邪魔でしたか?」

 気づくと、リューネリアもウィルフレッドもかなり密着して書類を見ていた。

 どうしても同じ書類を覗きこむのだから、その点は仕方がない。意図的ではないにしても、意識していない分には何とも思っていなかったリューネリアだったが、意識してしまうと途端、恥ずかしくなる。

 スッと身を引き、距離を取るとエリアスに見抜かれ、かすかに笑われた。

 一方、ウィルフレッドは視線をエリアスに投げると、自慢げに口を開いた。

「優秀な補佐官殿が邪魔しなければ、もう少しでこちらも終了していたところだ」

「何が終了なんですか?遊んでばかりおられないで――」

 言って近づいてくるなり、机の上の書類の山の変化に気づいたようだ。 

 すでに決裁はほとんど終わり、再考書類も脇にのけてある。ウィルフレッドの手元には、あと二、三枚しか書類は残っていない。

「ちょっと待ってろ。もう少しで終わる」

 言うなりリューネリアは呼ばれ、先ほど疑問に思っていた説明を促され、気まずいながらも書類を再び覗きこむ。そして、説明しながらその書類の不備や疑問点を指摘する。

 茫然としているエリアスは、ウィルフレッドの終了の声にハッと身を震わせ、目を吊り上げた。

「まさかあなたという人は、姫に手伝わせたのですか!」

 ぎょっとして、リューネリアはエリアスに声をかけた。

「すみません。つい癖で手を出してしまったのです」

「癖?」

 さきほどは軽く流したウィルフレッドだったが、仕事の終わりが見えて余裕が出たのだろうか。怪訝な顔をする二人に、リューネリアは説明をした。

「はい。こちらに来るまでパルミディアでは国内の決裁は全て私に任されていたものですから」

「姫が!?」

 ウィルフレッドとエリアスの声が見事に重なり、その声音に思わず首を竦める。

 しばらく補佐官に見下ろされていたリューネリアはいたたまれなくなって、そっとウィルフレッドの側を離れる。が、当の本人に腕をつかまれてそれも叶わなかった。

「もし良かったら、明日からも手伝ってくれないか?」

「は?」

「え?」

 今度はリューネリアとエリアスの声が重なった。

 何を言い出すのだこの王子は。無理に決まっているではないか。

 だが、悪戯を思いついたような顔をした王子を見て、目を瞬く。

「良い案だと思うけど?まさに協力には協力で返す?って感じで、これは姫の地位を築く第一段階になるんじゃないか?」

 一理ある。だが横から飛んだ補佐官の冷ややかな声は当然却下だった。

「実は姫が決裁していました、って?」

 イライラとした声がエリアスの口から出てくるのを聞きながら、ウィルフレッドの言葉を一考する。

 確かに、ウィルフレッドの手伝いをしながら、ヴェルセシュカの国政を勉強するのは良い手段だろう。だが、リューネリアが決裁したなどと噂が立てば、地位どころの話ではなくなるのではないだろうか。むしろ、王子であるウィルフレッドの地位が落ちて話しにはならないような気もしなくはないが……。

「ちがうちがう。そんな俺の馬鹿っぷりを披露するんじゃなくて、姫が手伝うことによって得る俺の利益を考えれば間接的にも姫の地位向上には役に立つだろう?」

 そう言う考え方もあるかもしれない。

 多少、勢いの落ちたエリアスが唸り声を上げる。

「それはそうですが……。あなたは仕事をしたくないからそんなことで煙に巻こうとしているのではないでしょうね?」

「いや。姫が手伝ってくれれば、なかなか仕事も楽しいかもしれないね?」

 本心なのかどうなのか。あまりに軽々しい口調にリューネリアは眉根を寄せた。

 ウィルフレッドの言う考えは悪くはない。確かに、第一段階としては情報さえ操作できれば良い方だと思う。

 しかし……。

 エリアスを見上げると彼も同じことを思っていたのか、リューネリアが口を開かないのを見てとると、深々とため息を吐きながら口を開いた。

「それにはやはり問題があります」

 エリアスのこめかみが、わずかに引きつっているように見えるのは気のせいだろうか。

「なんだ?」

「せめて、婚儀が済んでからにして下さい」

「は?」

「まだ、姫はパルミディアの人間です。ヴェルセシュカの国政に携わるのはそれ以降になさるべきです」

 正しい忠告だとも言える。

 リューネリアもウィルフレッドを見て頷く。

 しかしウィルフレッドは何を思ったのか、掴んでいたままのリューネリアの腕から手を滑らせ、指先を掬い上げると、そこに口づけを落とした。

 突然の事に、リューネリアは息を止めた。昨夜のように今日は手袋をしていない。指先に触れた、温かく柔らかな感触に、思わず体中に力が入る。

「では、明日は昼食を一緒に取ろう」

「――……はい」

 何とか声を絞り出し、手を取り戻すと距離を取って礼をする。

 何か言わなければならないのかもしれなかったが、頭の中が真っ白で言葉が出てこなかった。


 どうやって自室に帰ってきたかも思い出せないほど、リューネリアは混乱していた。


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