7.相互扶助(協力してほしいの)
「……だそうですよ、殿下」
「そうだな」
ウィルフレッドは、やれやれとソファの背にもたれかかり、天井を見つめる。
その瞳が態度とは裏腹に真剣で、リューネリアは黙って言葉を待った。
「ヴェルセシュカは王と議会で国が動くのは知っているだろう?」
「はい」
こちらを見ていないのであえて声に出して返事をする。
リューネリアの育ったパルミディアでも王の一存で政治がなされていたわけではない。大まかにいえば、各専門の機関があり、それぞれに長がいて、その彼らが議会に意見を提出して、議会と王が承認することによって国が動いていた。それはここヴェルセシュカでも、そう大した違いはなかったはず。
ウィルフレッドはちらりとこちらを見て、ソファから身を起こした。
「開戦をしたのが議会で、休戦を受け入れたのが王だと言えば分かるか?」
良く考えなくても分かる。王と議会の意見が分裂しているのだ。では、王子であるウィルフレッドの立場は、今までの態度から鑑みても王と同じと考えてもいいのかもしれない。
ウィルフレッドは自分の立場を明確にしたが、それだと再び議会が開戦することを決めれば戦争が始まってしまうのではないだろうか。不安に思って顔を上げると、ウィルフレッドはリューネリアの言いたいことを察したのだろう。首を横に振った。
「まだ国庫は回復していないし、傷ついた兵士たちも回復しきっていない。肉体的にも精神的にもだ。だから、十年は無理だろう」
「十年?」
ヴェルセシュカの弾き出した国の回復には十年かかるというのか。だが、それはパルミディアも似たようなものだ。
リューネリアの呟きに近い疑問に、ウィルフレッドは律儀にも肯定を返してくれた。
「そう、十年」
それ以上かもしれないし、それ以下かもしれない。
しかし、それだけの時間があれば何かが出来るはずだ。
今までウィルフレッドの説明を黙って聞いていたエリアスが、それで、と口を開いた。
「姫の本心は?」
尋ねられ、リューネリアは無意識にドレスを握りしめていた。
言わなければならないだろう。ウィルフレッドは自分の立場を教えてくれた。誠意には誠意で応えなければ。
意を決して、二人を見つめる。
「……協力をしてほしいの。私の目的は、ヴェルセシュカでの『絶対的な地位と権力』」
王子妃にその地位と権力がないわけではない。王族の一員として一際敬意は払われる。表面的には。だが、リューネリアが欲しているのは肩書だけではない。その実を伴ったものだ。ただ王子の隣に座っているだけの地位が欲しいのではない。
「これはまた、大きく出たな」
「なかなか豪胆な姫のようですね」
一つ意味の取り方を間違えれば、玉座を狙っているように思われたかもしれない。だが、呆れたようなその口調からは二人がリューネリアの本意を汲み取ってくれたことがわかりホッとすると同時に、どこまでも本気であることを伝えたかった。
たった一人で出来ることではない。誰かの――ヴェルセシュカ側の誰かの協力がないと無理なのだ。
「分かっているのか?あなたの欲するものが、どれほど危険なものか」
ただでさえ命を狙われる可能性が高いのに、そんなものを手に入れれば、どれほどその危険性が増すのか。しかし、ずっと考えていたことだ。だが、リューネリアの命と最終的な目的を秤にかけた時、目的の方に傾いてしまった気持ちは今更変えられない。
だから、リューネリアはウィルフレッドに頷いて見せた。
「あなたは私を守らないと言ったわ。だとしたら、自分の身を守るだけの権力を手に入れなければならない。この国に必要だと認められなければ、自分の身は守れないわ」
きっぱりと言い切ると、エリアスが隣に座っている王子に氷のよう眼差しを向けた。
「殿下……。あなたは仮にも婚約者になんてことをおっしゃるんですかっ」
「い、いや、守らないとは言ってない!守るとは言えないと言ったんだ」
慌てて弁解を始めようとするウィルフレッドに、補佐官は容赦ない言葉で切り捨てた。
「ここであなたの腑抜け具合を自慢してもしょうがないでしょう!」
「自慢はしてない!」
つかさず言い返すが、勢いでは完全に負けている。
「馬鹿ですか、あなたは!不安を取り除いてあげるのが婚約者の役目でしょうが!不安にさせてどうするって言っているんですよ!」
と、言い争っている二人を尻目に、扉がノックされた。その音にも気づこうとしない彼らを見て、リューネリアは取りあえず今日のところの話は終わりだと判断し、扉を開けるために腰を上げた。
扉を開けると、そこにはニーナを先頭にヴェルセシュカの数名の侍女がワゴンをついて待っていた。
ふわりと温かな料理の香りに、心が落ち着く。部屋の中からいまだ言い争っている声に訝しげな顔をしている侍女に、リューネリアは苦笑してみせた。
侍女たちに入室を促し、食事の準備をしてもらった。
時間が時間なだけに軽めの食事だ。温められたスープとパンに肉や野菜を挟んであるもので、どうみても軽食だ。昼食を食べていない話しはどうやら上手く通じなかったようだ。
それにしても、王子の食事管理ぐらいきちんとしていそうな補佐官に見えたのだが。
「これは姫が?」
視線を向けた先にいたエリアスに、逆に驚きの眼差しを向けられた。
「ええ、お昼がまだだとおっしゃってましたので……」
勝手をしてしまいましたと告げると、エリアスが丁寧に頭を下げた。
「お気づかい感謝します」
きっと真面目な人なのだろう。そして先ほど言い合っていた言葉は酷いものではあったが、あんなにも言いたいことを言えるのはウィルフレッドのことを、彼も本当に信頼しているからに違いない。
ニーナと侍女たちには部屋から下がってもらった。取りあえず、ヴェルセシュカにも休戦を支持する人間がいることが分かっただけでも上出来だし、ましてこの二人がそちら側の人間なら、なおのこと目的に一歩近づいたともいえる。それに、彼らにとってもパルミディアの王女は、ヴェルセシュカの戦争反対を掲げる者にとっての駒になるのだ。手を組むことは出来るだろう。
エリアスは執務机に近づくと、決裁の箱を覗きため息をこぼす。どうやら彼が思っていたほど仕事は捗っていなかったらしい。わずか数枚の書類を手に取ると、再び退室していった。
リューネリアは執務机の窓の向こうに視線を向けた。
中庭は格別に美しかった。
中央に噴水がつくられ、左右上下対称に作られた庭は丁寧に計算され、いつの時期でも花を楽しめるようになっている。
パルミディアでは見たこともない花が咲いていて、リューネリアの興味を引いた。
「さっきの話しは……」
ソファに腰かけたまま食事をしていたウィルフレッドが、遠慮がちに声をかけてきた。
振り返ると、彼は食事の手を止めたままこちらを見ていた。
「なぜ、そんなものが欲しいのか聞いても?」
まっすぐに見つめるその瞳に、リューネリアは思わず苦笑した。先ほど、その理由を口にしたはずだが、ウィルフレッドはどうやらリューネリアがあえて言わなかったことを何となくだが気づいているようだ。
「自分の身を守るため、とは信じてくれないの?」
それでも嘘を吐いてしまう自分は、いつからこんなに荒んでしまったのだろうか。そしてそれに慣れて、嫌悪しなくなった自分はいつからいるのだろう。
「いや、昨日はすまないことを言ったと思う」
先ほどのエリアスの台詞が引っかかっていたのか、ウィルフレッドは素直に頭を下げた。それにはリューネリアも素直に応えた。
「いいえ。このことは前々から考えていたことだから。それに、夫となる方が協力してくれるなら、そのほうがいいでしょう?」
違いますかと首を傾げると、ウィルフレッドは逆に言い淀んだ。
「……俺がもし協力しないと言っていたら?」
「……その時は、協力してくれそうな人を見つけるまでよ」
あくまでも淡々と答えると、ウィルフレッドは少し落ち込んだように見えた。
彼は正直者だ。昨夜とは別人のように見える。ここが他人のいない空間だからなのか、それとも昨夜は他人がいる空間だったから仮面を被っていたのだろうか。
昨夜とは違い、現在のウィルフレッドの身にまとう雰囲気はどこか人を油断させる。昨夜も一瞬だったがリューネリアに本音を話させていた。そして今も気づくと、別に話す必要のないことを口にしていた。
「私には目的、――いえ、願いがあるの」
思いが頭の隅を過る。
リューネリアの手に入れたいものと願いは直結している。手に入れたいもの、それが自分の身を守ると同時に願いも叶えられることになる。
「あなたも知っているでしょうけど、私には年の離れた弟がいてね。母が早くに亡くなったものだから、私が母親の代わりになってよく面倒を見ていたの。ライオネル――レオは次のパルミディアの王になることが約束されているわ。大切な――たった一人の弟よ。生まれた時から戦争で、やっと休戦で国内が安定に向かうところでしょう。もう、戦争なんて起こって欲しくない。弟には平和に国を治めてほしいだけ」
戦争になれば国が乱れる。長くなれば長くなるほどその乱れは酷くなる。リューネリアはその乱れを直接この目で見てきたのだ。権力を持ったものの身勝手さで、泣くのは力の弱い者たちだ。王族とはいえ、まだ子供であるライオネルに権力はない。パルミディアの国王である父が健在であるためまだ守られているが、もしも今、父に何かがあればライオネルは大人達に玩具のように扱われてしまうだろう。それだけはさせたくはなかった。
目を閉じて失笑する。
「口では国のためだとか、王族の務めだとか言ってるけど、本当は……とても個人的な願いだってことは分かってるわ。でも、それでも私に絶対的な権力があれば、このヴェルセシュカからの戦争を止められると思ったの」
身を守るのはついでなの、と付け加える。
黙って聞いていたウィルフレッドは、それを聞いて何を思ったのか――。
再び食事を始めた王子からは返事はなかった。