6.暗中模索(そちらの本心を教えて)
パルミディアから連れてきた侍女のニーナを伴って、執務室の前で警備についていた衛兵に名を告げると、連絡はいっていたようですんなりと通された。
部屋は落ち着いた色合いの絨毯に、重厚な執務机が窓を背にするよう置かれている。執務机の前には接客用のソファとテーブルが配置されていた。二階に位置するこの部屋からは、窓の外の美しく整えられた中庭が見おろせ、執務室にして上出来な空間だ。
ニーナを部屋の隅で控えさせ、リューネリアは執務机について書類を睨んでいるウィルフレッドを見やる。
金の髪をぐしゃぐしゃにしながら眉間に皺をよせ、一人百面相をしている王子にリューネリアは思わず笑みが浮かぶ。
「お邪魔いたします。ウィルフレッド様」
「あ、ああ……って、もうそんな時間ですか!」
どうやら時間も忘れて仕事に没頭していたらしい。というよりも、先ほどの百面相を見る限り、無理やり仕事をさせられているようにしか見えなかったが。山のような書類を前に、素の顔で立ち上がった王子は、慌てて顔を作ると机をまわって出迎えようとした。
リューネリアはそれを手で制して、自らが歩み寄る。
「お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「いや、私もあなたとゆっくり話をしてみたかったので、私の方こそ礼を言うべきではないかな」
もとより顔立ちの綺麗な人だ。笑みも気障ったらしくなくなかなか好感はもてる。が、生憎リューネリアにとって顔の美醜は、元より気にならない性質だったので、ウィルフレッドの会心の笑みもさらりとかわす。
だが、先ほど声をかけた時にウィルフレッドが発した言葉に、リューネリアは頭を傾げてみせた。
「あの……、お昼は召し上がりになりましたか?」
「え……、ああ、いや」
言葉を濁す言い方に、リューネリアは控えていたニーナに目くばせをする。
彼女はわずかに頭を下げると、部屋から出ていった。
それを見届け、リューネリアは王子に向き直る。
「お一人で仕事を?」
「いや、先ほどまでエリアス――補佐官がいたのですが、書類の処理をしに行ってます」
「そうですか……」
リューネリアは視線をまわし、目当てのものを見つけると歩み寄った。
「茶器を使わせていただいても?」
手を伸ばそうとして、ふとウィルフレッドを振り返った。
「それなら誰か呼びましょう」
執務机の脇に置かれた呼び鈴に手を伸ばしかけたこの部屋の主に、リューネリアは慌てて首を横に振った。
「大丈夫です。お茶ぐらい入れられますし……、よろしかったらウィルフレッド様もいかがですか?」
「では是非に」
その返事にリューネリアは笑顔で頷き、茶器を手に取った。
背中に王子の視線を感じながら、茶葉の入った缶を開ける。その香りに満足し、ポットに適量の茶葉を落とす。
「生活に何か不自由はないですか?」
「皆良くしてくれています。今のところ、これと言って不便は感じておりませんわ」
湯を注いで茶葉を蒸らしながら、ウィルフレッドの質問に返事をしていく。
本当に今のところ不自由はない。最悪、人質として監禁生活を強いられることも想像していたのだ。だが実際には、出入りを禁止されているところはないし、礼をもって遇されていると思う。だから、むしろ拍子抜けしたぐらいだ。だが、これがこちらの虚をつく作戦かもしれないし、油断は出来ないのだが。
湯で温めておいたカップに出来あがったお茶を入れて、執務机の前にある応接用のテーブルに運ぶ。カップを置くとウィルフレッドも執務机を離れてソファに腰かける。
二人同時にカップに口をつけて、ホッと息をついた。
「美味しいですね」
普通、女性ならここで謙遜でもして見せるのだろう。リューネリアも一応にこりと笑ってみせた。そして口を開く。
「毒が入っているとかは、考えていらっしゃらない?」
ためらいもなくカップに口をつけたウィルフレッドに多少の驚きをもって尋ねると、ウィルフレッドは軽く咳き込んでカップを皿に戻した。
少し涙目になって咳き込む王子に、リューネリアは思わず口をついて出たこととは言え申し訳なく思う。
だが、少しぐらい警戒心を持ってもらいたいとも思う。自国だからだと警戒しないのは楽観的すぎだ。まして婚約者とは言え、かつての敵国の人間が入れたお茶を口にするなど、今現在かつて敵国だった場所で生活しているリューネリアには考えられない。
ウィルフレッドは咳が治まると、大きく一つ息を吐き出した。こちらを見る表情が、昨夜の人当たりのいい作り物の顔とは違う。
「……腹の探り合いはやめよう。あなたの目的は?」
どうやら敬語もやめるらしい。確かに、時間の無駄だ。
ウィルフレッドの湖面のようなまなざしが、今は夏の海のように力強い光を帯びている。リューネリアも手に持っていたカップをテーブルに置くと背筋を伸ばした。
折角、邪魔者が誰もいないのだ。さっさと本題に入った方が良さそうだ。
すっと息を吸い込み、口を開いた。
「一時的なヴェルセシュカとの休戦ではなく――終戦です」
相手の本意を確かめもせず、こちらの目的を話すのは愚かしいことかもしれない。しかし、ここはヴェルセシュカの国で、しかもその国の中枢でもある王宮だ。敵の本拠地のただ中、味方はパルミディアから連れてきたニーナと数人の侍女で、ニーナ以外の侍女は結婚式が終わるとパルミディアへと戻ることになっている。そんな味方がいないも同然の状況では、いつ殺されてもおかしくないのだ。
昨夜の夜会でのウィルフレッドとの会話から、この王子が少なくともリューネリアにとって味方ではなくとも、敵でもなさそうだと思えたその直感を信じるしかなかったのだ。まして、こちらの手の内を見せないとウィルフレッドも本心を見せないような気がした。
じっと目の前の瞳を見つめると、反らされることもないまましばらく時間は経過した。
何を考えているのか。何を計算しているのか。
リューネリアもウィルフレッドも、まるで相手の瞳の中に答えが隠れているのではないかと窺う。
が、ノックの音と共に扉が開き、二人ともハッとしたように振り返った。
「失礼し……」
言葉と共に、白金の髪をした二十代後半ぐらいの青年が入ってきた。だが、リューネリアとウィルフレッドの間に漂う異様な雰囲気を察したのか、一瞬言葉を切る。
だがすぐに、ウィルフレッドの座っているソファの横にやってくると、リューネリアに向かって頭を下げた。
「失礼しました。私はウィルフレッド王子の執務補佐官をしておりますエリアス・グウィルトと申します。以後お見知りおきを」
リューネリアもソファから立ち上がり、ドレスをつまむと膝を折る。
「リューネリアと申します」
ゆったりと微笑を浮かべて挨拶をすると、エリアスは再び深く頭を下げる。当然だが、きちんとリューネリアのことを知っていたようで、その態度からはヴェルセシュカ側にリューネリアを見下げるような態度は見えない。他国と外交する時、相手が自分たちのことをどのように思っているのかは、直接対話をする相手よりも、その臣下の態度を見れば分かりやすい。それも下に行けば行くほど、態度が本心を表しているのだ。それでいくと、今のところヴェルセシュカはリューネリアを軽んじてはいないように思える。
エリアスは、手に持っていた書類をウィルフレッドの執務机に置いてからすぐに部屋から下がろうとした。
だが、ウィルフレッドが止めた。
「待て。おまえも話を聞いていけ」
「お邪魔をする気はありませんよ」
振り返って、それでも部屋から出ていこうとしているエリアスに、ウィルフレッドは首を横に振った。
「そんなんじゃない。いいから座れ」
有無を言わせず、ウィルフレッドはエリアスを自分の隣に座らせ、やっとリューネリアに向き直った。
二人のやり取りを黙って見ていたリューネリアは、エリアスに視線を向ける。
白に近い金髪に、濃い青い瞳。顔立ちも秀麗だが、きついまなざしが近寄りがたい雰囲気を出している。ウィルフレッドよりも痩身で、確かに文官らしい雰囲気を持っている。
「すまなかった。話しの途中で」
ウィルフレッドの謝罪の言葉に、いいえ、と返し、リューネリアは視線を補佐官へと向けた。
「グウィルト様」
「エリアスで結構です。敬称もいりません」
決して畏まることなく、昨夜の夜会の貴族たちのように美辞麗句を連ねないエリアスのきっぱりとした口調に好感を持つ。その態度からも頭の固い貴族ではなく、柔軟な態度を取れる頭の回転の速い人だと窺える。
リューネリアはその申し出に頷くと、では、と口を開く。
「では……、エリアス。ウィルフレッド様があなたの同席を許すということは、この話をあなたに聞いていただきたいということだと判断し、もう一度お話します」
視線をウィルフレッドに向けると、ウィルフレッドは頷いた。
「私の目的は休戦ではなく、終戦です」
ゆっくりと言い切ると、エリアスはちらりとウィルフレッドを見て、苦笑した。
「なるほど。こうも直接的にこられては殿下が困るのも分かります」
「あら、直接的過ぎました?腹の探り合いはやめようとウィルフレッド様に言われたものですから」
同意を求めてウィルフレッドを見やると、仕方なさそうに頷いた。
「……殿下、日頃から手に負えない事は、一人で突っ走るなと言っているでしょう」
「ああ、だからおまえを呼びとめただろう」
「……取りあえずこの人のことは放っておきましょう」
ひどい言い方だが、思わず笑ってしまう。
その見た目から冷淡な印象を受けたエリアスだったが、先ほどのリューネリアとウィルフレッドの間に流れていた雰囲気を一気に和やかにしてくれた。ウィルフレッドは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、黙っているところをみると、ひどいことを言われながらも、どうやらエリアスのことを本当に信頼しているようだった。
「姫。確かに、この度のご婚約は休戦の条件でした。無期限の休戦というものです。しかし、なぜ終戦と?」
言葉的には無期限の休戦と終戦とでは変わりないようなものだ。だが、実際のところそうでないことぐらい、エリアスも承知しているだろうに。
リューネリアは膝の上で両手を握りしめた。
まださらに、手の内をさらさなければならないかもしれない。それはリューネリアの弱みにも繋がっていく。だが、完全に敵ではないなら、味方に引き込めばいい。
意を決して口を開く。
「これはパルミディアの意思ではなく、私個人の意思であって公での終戦を欲しているわけではありません」
「では、その真意は?」
「それをお答えする前に、そちらの本心を教えていただければ、と思います」
そう言って、リューネリアはウィルフレッドとエリアスの二人を見据えた。