52.一陽来復(やってみるか)
※カール視点→リューネリア視点です。
時は夕刻に遡る。
義妹の訪問からしばらく経ってのこと。
残光に暗く沈む室内に、侍女が来客を告げる。だが返事も返す間もなく、客は遠慮なく部屋に入って来た。
「身体の調子はどうだ?」
珍しく息子の部屋を訪ねてきた王を、ソファに力なく座っていたカールはゆっくりと見上げた。
「ええ、おかげさまで」
最近、身体の調子が良かったのは単に賭けのことで気が張っていたからだ。だが、先程すべては終わってしまった。いつもの単調な生活に戻るだけで、明日辺りから体調を崩すかもしれない。いや、すでに身体はだるくなりつつある。
報告をすべく、王を見上げる。わずかに口元に笑みが浮かぶのは、こちらの望む通りに決着がついたからだ。
「賭けは終わりました」
「そうか。おまえの負けか?」
「ええ。当然でしょう」
今回の事は、王も無論、知ってのことだ。
パルミディアと休戦が決まり、その条件に彼女との結婚が決まった時に今回の事を思いついたのだ。
当初、リューネリアは自分に嫁ぐことになっており、休戦の約定にもそれが明記されてあった。
戦争で国自体が弱っているとはいえ、このまま休戦してもヴェルセシュカの議会は未だ力を持ったままだ。このままでは戦争が再開という事も有り得ない話ではなく、ならばどのようにして国力を衰えさすことなく、彼らの力を削ぐことが出来るのか、取りこむことが出来るのかを考えた。
当時、カールが議会に対して持っていた切り札はいくつかあった。
アクセリナ戦での評価もその内の一つだった。
だがもう一つ。リューネリアが戦争で密かに指揮を取っていた事実だ。そのこと自体は決して大きなことではないかもしれないが、議会が知らないのであれば彼女の存在価値を低く見ている彼らは痛い目を見ることになる。
それが議会への抑制になるならば、リューネリアを利用しない手はないと思った。
しかし、そうなると妻となる娘とこの賭けが出来るはずもない。だから王に無理を言ってパルミディアの王女を弟に嫁がせたのだ。
懸念すべきことはまだあった。議会が直接彼女の命を狙うことも有り得る。そのような愚かな者たちを牽制するためにも、自らが動くことを通達し、彼女自身の保全を計り、なお且つ手心も加えたつもりだ。
怪我人が出たのは予定外だったが、あの事故のおかげで議会が完全に傍観を決めたと言ってもいい。
「おまえはあの娘をどう見た?」
王はおもしろげに問う。
そこに含まれる意味に苦笑し、答える。父親には自分の根底にある考えまでお見通しだったようだ。
「度胸と責任感、あれは普通の貴族の娘にはないものを持っている。生まれながらの王族でしょう。人の上に立つべき資質を備えていると思います。しかも運も味方につけている」
「……本来ならおまえに嫁ぐはずだったのを、変えたのはおまえだ」
惜しくなったかと問われ、それには首を横に振った。
「私では荷が重い。それに……そんなことを思うとウィルフレッドに殺されかねない」
天寿は全うしたいんですと付け加える。
それには国王も笑う。そして最後に問う。
「では、いいのか?」
「ええ。お任せします」
これが自分の我儘のせいで義妹になった彼女への謝罪と、余計な御世話かもしれないがちょっとしたお節介だ。
そう言って、ソファに身を沈めた。やっと重責から解き放たれる。これで良かったのだと思った。
国王の真剣な顔に、告げられる言葉を待つ。
「義娘殿の気質を見る為に。かつての敵国パルミディアから嫁いできて、ヴェルセシュカの王族としてどれほどこの国を考えてくれているのか。そして夫であるこいつをどれだけ支えることが出来るのか。また、こいつがどれほど義娘殿を大切にしているのか」
その言葉に、目を閉じた。
――つまり、試したのか。
内容ははっきり言って、酷いものだ。人の心をいたぶる様な、まして実際に怪我人までを出している。だが、そこまでして試さなければならなかった理由を漠然と思い当たる。
カールの言っていた、見える、の意味。
頭が働きだす。
リューネリアは深々と息を吐き出し、そして――唇の両端をかすかに持ち上げた。
「それで、わたくしは合格でしょうか?」
もう、答えなど聞かなくても分かっている。
自分の考えが正しいなら、いや、カールが言ったように、彼にたどり着いた時点で勝ちだったのだ。
それと同じことを国王は口にする。
「ああ。カールにまでたどり着く可能性は半々だと思っていたからな」
国王は微かに笑った。
そして、今度は視線をウィルフレッドに向ける。
「カールは、王太子の地位をおまえに譲るそうだ」
「は?」
「いずれ、国王になるお前を支えるのに必要な資質を義娘殿に認めたようだ」
つまり今までのことは、国王やカールに、リューネリアが王妃になる素地があるかを試されていたのだ。
しかもカールが賭けていた相手は、リューネリアではない。議会だ――。
すべてが繋がると、カールの賭けがいかに綱渡りだったのかが窺い知れる。
自らが安全圏にいると思っていたが、一歩間違えたら――つまりリューネリアが賭けに負け、ましてカール自身の身にも何かあれば、この国は本当にどうなっていたのか。
確かに賭け自体、内容は酷いもので理解しがたい扱いもされたと思う。人のことをなんだと思っているのかという怒りもある。
だが、彼らも結局はこの国を思ってしたことなのだ。
国を存続させ、民を守ることが上に立つ者の義務だ。もっと、他に方法があったのではないかと思わなくはない。しかし、それはきっと時間をかければ、の話しだ。カールが早く王太子の位をウィルフレッドに渡したかったのならば、リューネリアの命を馬鹿な考えを持つ議会から守るためだったと考えるならば、この方法が確かに手っ取り早かったのかもしれない。
そう思うと、仕方がないと思うしかないではないか。
それに、国王から伝えられたカールからの謝罪の言葉と、お節介だと言われた贈り物。それはリューネリアが最初に望んだものだ。
絶対的な地位と権力――。
このような形を望んでいたわけではないが、この地で生きる足場が約束されたようなものだ。
だが、ウィルフレッドは怒りを顕わに国王に食い下がる。
「何、寝言を言ってるんだ。今まで散々ネリーの命を脅かすようなことをしておいて王妃になれというのか?――それに俺が国王?王太子にさえなれるわけないだろう。議会が反対する」
しかし、国王はもう決めたとばかりに話を続けた。
「いや、明日の議会で承認を取る。そうすれば、もう義娘殿に手出しはできん」
「むしろ、もっと悪質になるだろう……」
「――お前はもう少し頭を使え。カールと渡り合うほどの娘だ。それに、近々ゴードヴェルクから使者がくることになっている」
初耳のことにちらりとエリアスに視線を送ると、微かに頷いた。
ゴードヴェルクはヴェルセシュカの隣国だ。パルミディアとヴェルセシュカの休戦には手を貸してくれたが、もともと好戦的な国家だ。
そのゴードヴェルクからの使者とは、あまり嬉しい報せではない。
今までは王太子であるカールがいるからこそ牽制できていたのだ。だが、最近ますます体調を崩している王太子に、ゴードヴェルクが何を思ったのか。
つまり、議会にとってカールが王太子の地位から引くならば、代わりにゴードヴェルクを牽制できる者が必要になる。その代わりがリューネリアだ。ならば、リューネリアをどうにかしようと馬鹿な考えを起こす者は、逆にヴェルセシュカに反逆したと思われることになる。つまり、ウィルフレッドが王太子の地位につけば、リューネリアの立場も盤石になるということ。
どこまでも彼らの手の上でいいように転がされていると知りつつも、望まれるように動いてしまう自分がいる。
リューネリアは顔を上げた。
「わかりました。ウィルフレッド様と私が、その使者にお会いします」
ニコリと笑って告げた。
まだ、この国できることがあるならば、出来る事をするだけだ。
確かに、彼らの思い通りになるのは癪だと思う気持ちはある。だが、ならば期待以上のことをして見返してやろう。そう思うぐらい、許されるだろう。
「よし。では任そう」
パンっと王は自分の足を叩くと、ソファから立ち上がった。
「そういうわけで、近いうちにおまえは王太子だ。覚悟しとくんだな」
話が勝手に進んでいくことに呆然としているウィルフレッドを尻目に、王は反論する間も与えず、笑いながら扉に向かう。
「おい……」
我に返ったウィルフレッドが父親に向かって伸ばした手は、扉が閉ざされることによって止まる。
確かに、王の突然の発言に驚いているのはウィルフレッドだけだ。エリアスを見れば、彼も途中から予想がついていたのか――いや、もしかしたらリューネリアがパルミディアに帰るという発言をした時点で、あの時、躊躇を見せたエリアスはある程度の予測がついていたのかもしれない。
エリアスは気味が悪いほどにこやかに笑っている。
「とりあえず、おめでとうございます」
本気なのか、嫌味なのか。
エリアスの告げる言葉に、ウィルフレッドは嫌そうに顔を顰めた。
リューネリアはウィルフレッドの側に寄ると、見上げてから言う。
「ウィルフレッド様。静かに暮らすのは、もう少し先……もっと歳を取ってからになりそうですね」
王宮から離れて領地で暮らすのも悪くなかった。少しだけ残念だという気持ちもないわけではない。
だが、心の中は思いの外すっきりしていた。今まで散々役に立たないと思わされてきたが、これからやらなければならないことが待ち受けていると思うと、気が引き締まる。
だが、隣でウィルフレッドは逆に沈んだ顔で首を横に振る。
「俺には無理だろう」
もともと執務が好きではない彼のことだ。
それなりの教育もほどほどに受けているだろうに、ウィルフレッドはカールが王になると思っていた節がある。それに、王位に何の魅力も感じていなかったことはリューネリアにも手に取るように分かっていた。
それなのに今更王太子になれと言われて、どうしていいのか戸惑っているのだろう。
エリアスもそれは十分に分かっているのだろう。肩を竦めている。ウィルフレッドとは彼の方が付き合いは長いのだ。だが彼のその様子を見る限り、決して無理だとは思えない。
「大丈夫ですよ、殿下。妃殿下がいらっしゃいますから」
エリアスの言葉に、リューネリアもウィルフレッドの腕にそっと手を乗せ頷く。
「はい。私も一緒に勉強しますから、お手伝いさせて下さい」
出来ることを頑張ってみましょうと告げる。
その言葉に、ウィルフレッドは深々と息を吐く。
そう――今はまだ、リューネリアにも先のことは分からない。
出会った当初、彼が王位につく可能性があることは確かに聞いていた。だが、あの頃はそれを思えば不安の方がはるかに勝っていた。
しかしウィルフレッドは少なくとも、カールほど切り捨てることも必要だという冷酷さを持っていない。それが人の上に立つ者にとって適しているのかどうかなど分からない。だけど――。
「そうだな。まずは、出来る事ことからやってみるか」
最後の言葉は、まるでリューネリアの心情そのままにウィルフレッドは呟いた。