51.君子豹変(承知していた)
※ウィルフレッド視点です。
「一体、何の用なんだ?」
王と向かい合ってソファに腰を下ろしたウィルフレッドは、不機嫌も顕わに、本来なら取るべき礼も無視して冷ややかな視線を送った。
王からしてみれば、足を組み、斜に構えて対面するその態度は、反抗期の少年そのものなのだが、まさかリューネリアとの時間を邪魔されたことに対しての逆恨みも混じっているとは思い至らないのだろう。ウィルフレッドの態度を鼻であしらった。
現在、部屋の中には三人しかいない。
王には通常なら付かず離れず周囲を固めている近衛兵がいるが、どうやら部屋の外にでも待機させられているのだろう。
残る一人はと言うと、侍女たち全員がリューネリアの支度のため寝室に行ってしまった為、エリアスが先程から部屋の隅で四苦八苦しながらお茶を入れている。
ソファの中央にウィルフレッド同様ふんぞり返った王は、息子の態度などお構いなしに口を開いた。
「何でおまえたちは自分たちの部屋にいないんだ?」
もしかしたら、一度は私室の方に連絡が来たのかもしれない。だが、このような時間に訪ねてくること自体非常識だ。
そもそも、そのような質問に答える気にもならない。原因を作ったのは一体誰なのか。
ふいっと視線を逸らし、口を閉ざす。
だが国王は物珍しそうに周囲を見渡していたが、一向に口を開こうとしないウィルフレッドに何を思ったのか人の悪い笑みを浮かべた。
「喧嘩でもしたのか?」
どこまでも嬉々としている父親に、白い目を向ける。
本当に誰のせいだと思っているのか。カールと共謀しておかしな真似をした為に、リューネリアがどれほど傷ついたと思っているのか。追い詰め、パルミディアに帰ることまで彼女に考えさせたことを彼らは気づいているのだろうか。
こぼれ落ちそうになる溜息をかろうじて飲み込み、素っ気なく言い放った。そうしないと、恨み事が口から出てしまいそうだった。
「あなたには関係ないだろう」
果たしてどのような反応が返ってくるものかと、耳だけで様子を窺うと、思ったよりも真剣な声が返ってきた。
「いや、ある」
声の真剣さに思わず顔を向けると、態度は相変わらずだった。ソファの背もたれに両腕を乗せ、肩でも凝っているのか首を鳴らしている。
その態度に思わずムッとして、再度否定する。
「ない」
「ある」
「ない」
「……本当にあるんだが――」
何度目かの問答の後、漸くソファの背もたれから両腕を下ろす。
そこには王というよりも、父親としての顔しかなく、眉をひそめる。
「だったら、どう関係あるのか言ってくれ」
よく考えれば、このような時間に来ること自体、異常なのだ。警戒するに越したことはないだろう。
しかし王は面白くなさげに一瞥する。
「本当に喧嘩じゃないのか?」
「違う」
「では、愛想をつかされたのか?」
「違うと言ってるだろう」
あまりのしつこさに、いい加減腹が立ってつい声を荒げると、王はふむと頷いた。
「で、義娘殿はどこに?」
初めから予測がついていたのか、リューネリアがいるだろう寝室に目を向け、早く出て来ないかとそわそわしている父親を前に、ウィルフレッドは今度こそ深々と溜息をついた。
結局、最初の質問は見事かわされてしまった。
本当に何の用があって、このような時間に訪ねてきたのか。
目の前に座る父親は、少なくとも機嫌は悪そうに見えない。同じ王宮内で暮らしているとはいえ、親子といえど滅多に会うことはないので、単純にリューネリアに会えることを心待ちにしているように見える。
思い返せば、初めて王とリューネリアが対面した時、この父親はそれはもう一目でリューネリアを気にいったらしく、ウィルフレッドとの結婚を自分以上に喜んでいたように思える。それなのに、本当にこの父親は王太子のしたことを黙認していたのだろうか。エリアスはああ言ったが、気づいていなかったということはないのだろうか。
いや、それはないな、と自らの甘い考えを否定し、視線を目の前の王に向ける。
「まだ支度に時間がかかる。それよりも――」
「カールの件なら承知していたぞ」
聞く前に返ってきた言葉に、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
数度頭の中で反芻して、漸く理解すると同時に、ウィルフレッドはソファから立ち上がっていた。そして平然としている王を見下ろす。
「何だ?言いたいことがあるならはっきり言え」
促されたものの、頭に血が上り、瞬間的に言葉に詰まる。
言いたいことなど山ほどある。
だが、第一に聞くべきことは決まっていた。
「――なぜ彼女を狙った?」
目の前にいるのは父親ではない。今はもう王の顔をした男が、余裕を湛えた笑みを唇の端に浮かべている。
「危険に晒すことは了承したが、命まで取ることは認めていない。それにおまえが守らないようなら不要な存在だ。さっさと切り捨てるべきだろう」
「もしも、ということだってあるだろう!それに彼女を精神的に追いつめて何がしたかったんだ!」
「彼女も王族の生まれだ。これぐらいのことで挫けるほど軟弱ではないだろう。それにおまえがついていたんだろう?支えてやれば問題ない」
「では、何のために兄上は――王太子殿下はこんなことをした!」
怒りに任せて問い続けたが、その質問に関してはふと王は口と噤んだ。
「それは義娘が来てからの話しだ。いいから、座れ」
問うこと全てに淀むことなく答えられ、ウィルフレッドは怒りに手を握りしめる。
まだ何か言ってやらなければ腹の虫が治まらない。だが口を開こうとした時、寝室の扉が開いた。
「遅くなりまして申し訳ございません、陛下」
髪を結い上げ、落ち着いた色のドレスに身を包んだリューネリアは、もう憂いの色は見えなかった。しかし、まだどこか緊張した面持ちをしている。
スカートをつまんで軽く礼を取ると、王は嬉しそうにリューネリアに近づいた。
「いやいや、気にしなくていい。こんな時間に来てしまったこちらが悪い。それよりも、少し痩せたのではないか?」
ウィルフレッドと対峙していた時とはまるで別人のように目尻を下げる父親に、ウィルフレッドはリューネリアに近づこうとしている父親から離すべく彼女を引き寄せる。
リューネリアに怪訝な眼差しを向けられたが、彼女はすぐに王を振り返り、笑みを浮かべた。
「恐れ入ります。ですがどこも異常はございませんので心配にはおよびません」
ふわりと笑んだリューネリアは、ウィルフレッドの父親に対する親しみを見せる。
そのような気づかいをさせているのに、この父親が彼女にした仕打ちはあまりにも酷薄すぎるものではないだろうか。
ウィルフレッドの隣に腰を下ろしたリューネリアを見て、王は満足そうに笑んでいる。
「それで、話があって来たんじゃないのか?」
王もソファに腰を下ろしたのを見て、ウィルフレッドは当初の質問を再度した。
お茶を入れるのに手間取っていたエリアスに代わり、侍女たちが手際よくテーブルの上にカップを置いて部屋の隅に控えるのを見て、王が彼女たちを一瞥すると、軽く手を払った。彼女たちは心得たように一礼すると部屋から出て行く。
部屋に残ったのは、王とウィルフレッド、リューネリアとエリアスだけだった。
「人払いまでして何なんだ……」
ウィルフレッドもさすがに居心地が悪かった。それほど重要な話なのだろうか。
王はリューネリアにまっすぐに向き合い、姿勢を正した。それだけで、隣のリューネリアから緊張が伝わってくる。
じわりと滲み出す張り詰めた空気を破ったのは王だった。
「この度のこと、すまなかった」
そう言って、深々と頭を下げた。
ウィルフレッドは驚きのあまり、息をするのも忘れて父親を見入った。リューネリアも身動き一つしない。どうやら驚いているらしく、瞠目している。
頭を下げたまま、さらに王は続けた。
「どうしてもとカールに頼まれてな。だが、必要な事だと思ったから私も認めた」
「必要な、こと、とは?」
我に返ったリューネリアの声は震えていた。無理もない。痩せ細るほど食事も出来ず、どれほど怖い思いをしたことだろう。なかなか寝付けなかったこともウィルフレッドは知っている。
ゆっくりと身を起こした王は、真剣な顔をしてから口を開いた。