49.悲憤慷慨(優しく、しないで)
夜――。
リューネリアは別室を用意してもらい、そちらへと移動した。
他の侍女たちも何かを察しているのか、黙々と仕事をこなしている。
だが、ニーナにはさりげなく探りを入れているようで、時折そういう姿を見かけたが、彼女の口が誰よりも固いことをリューネリアは知っている。申し訳ないとは思いつつも、他の侍女たちへの対応をニーナに任せ、夕食も取らずに湯浴みだけを済ますと、早々に寝室へと引き上げた。
見慣れた部屋とは違い、どこか寒々しい。ここは日頃使われていない客室か何かなのだろう。白いシーツの敷かれた寝台に横たわると、あまりの冷たさに身を丸める。
一人になると気がゆるんでしまい、目頭が熱くなる。ぎゅっと目を閉じると、ゆっくりと息を吐く。
文句は言ってはいけない。あの温もりを求めてはいけないのだと自らに言い聞かせる。だが、カーテンも閉め切り、夜の静寂があたりを囲む頃になると、必死に押し込めようとしていた感情が溢れ、それに伴い涙腺がゆるむ。
布団を頭から被り、嗚咽が漏れないようにして、シーツで目を押さえた。
くるしくて痛くて、どうしもうない虚しさが心を穿つ。今まではいつでも手の届くところにいてくれたのに、もう縋りつくことさえ出来ない。
手を放したのは、自分だ。決めたのは自分。だから、泣くのは間違っている。
政略結婚で嫁いだ先から拒絶されたのでは、帰るしかないではないか。間違ってはいない。
エリアスの話しからするとウィルフレッドは、本来リューネリアが嫁ぐ相手であった王太子のカールから自分を押しつけられたことになる。それなのに、これ以上は無いというぐらい大切にしてくれて、想ってくれたというのに、想いを返す時間さえ許されないとは。
国の思惑に振り回させたのはリューネリアだけではない。ウィルフレッドもだ。彼こそ体のいい駒だ。
なんて、残酷なのだろう。
駒にだって感情はあるのに。
その時、扉をノックする音がして、グッと息を詰める。
「ニーナ?」
布団から頭だけを出し、扉に向かって問いかける。彼女なら、一言何か言ってから扉を開けそうだが、今扉の向こうは無言だ。
涙で鼻声になりながらも、リューネリアは告げた。
「ごめんなさい。一人にして……」
どうか放っておいて、と願いを込めて言う。
だが、その願いはかなわず、すぐに小さな音を立てて扉は開いた。隣室から差し込んできた明かりに、慌ててリューネリアは布団に潜りこむ。泣き顔など見られるわけにはいかない。
絨毯の上を歩く音がかすかに聞こえ、そっと布団の上に手を載せられた重みを身体に感じる。
「ネリー……」
その声に、自然と身体が震える。
どうして――。
どうしてここに来るのだろう。どうしてニーナは彼を通したのだろう。
ぐるぐると様々な思いがぶつかりあって混乱し、咄嗟に返事ができなかった。
「パルミディアに帰るつもりなのか?」
布団の上から感じる圧力は、優しく撫でられているようだった。
問いも責めているわけでもなく、単に確認しているような軽さを感じて、ウィルフレッドにはもう自分は必要ではなくなったのだと思った。
「……帰ります」
くぐもった声で応えると、布団を撫でる手が止まる。
「そうか――」
静かな、諦観のこもった声が耳に届き、途端、先程まで止まっていた涙腺がゆるんだ。
ずっと考えないようにしていたのに、この胸に溢れる気持ちは今答えたものとは逆のものだ。
息を殺して涙をこらえようとした。
だが、かすかに息を吐いた次の瞬間、ばさりと布団をまくり上げられ、冷たい空気が顔に触れたと思った時には、攫うようにウィルフレッドに抱きしめられていて、気づくとその胸に顔を埋めていた。
「泣くくらいなら帰ると言うな」
先程まで縋りつくことなど二度と出来ないと思っていた温かさを頬に感じ、いけないと思いながらも自らの腕をその背中に回す。離れたくないとぎゅっと力を込めると、それ以上の力でもって抱きしめられる。
「私はいらないと……」
「誰がいらないと言っても、俺には必要だ」
髪をやさしく梳かれ、背中をなだめるように撫でられる。
ずっとこの国に必要であろうとした。必死に努力をして、必要であると思いこもうとした。だが、結局は捨て駒同然の扱いを受け、失意に沈んでいたというのに、何も知らされずにいた、やはり駒同然の扱いを受けていた人だけが必要だと言ってくれる。
泣いて熱を持った瞳で見上げると、ウィルフレッドの湖面のような瞳と視線が合わさる。
悔しかった。今この時にそのようなことを言われては、折角決心したことが揺らいでしまう。
「優しく、しないで」
悲鳴を上げ続けている心を自ら抉り、ウィルフレッドの胸を押す。一度縋りついておいて、矛盾しているとは思う。
でも駄目なのだ。縋っては駄目――。
だが、背中に回された腕にわずかに力を入れられただけで、リューネリアはすぐに元いた場所に戻された。
お願い、と小さく呟く。
拒絶の意味を込めて首を横に振ると、それが気に食わないのか、ウィルフレッドはなおも背中を抱く腕に力を込める。
「ネリー」
「――もう」
まるで心臓がどうにかなってしまったのだろうかと思うほど、痛かった。
リューネリアの言葉に、わずかにウィルフレッドの腕の力が弱まる。
「何をすればいいのか思いつかない。どんなに頑張っても何が出来るのか分からない。もう――疲れたの……」
言葉を吐き出しながら、視線を逸らす。
それは逃げる為の口実だ。
本当は、たとえ死ぬことになろうとも、この国にいてもいいなら、ウィルフレッドの側にいたい。どんなことにだって立ち向かっていく。だけど――。
「ネリー、聞いてくれ。あれから考えた」
耳元で聞こえるウィルフレッドの低い声音に、身体も心も逃げようとする。これ以上彼の側にいては離れられなくなる。
胸を押す手に力を込めたり、身体を捩ったりしてみたが、身体に回された腕はびくともせず、むしろ拘束を強める。無駄なあがきだと思いつつも、それでもじたばたしていると、耳に寄せられた唇が告げた台詞に身体が固まった。
「俺は、王族としての権利を放棄しようと思う」