48.是非曲直(ここにいる必要はない)
執務室に行くと、そこには顔に心配という文字を貼り付けたロレインと、落ち着き払ったエリアスが待っていた。
すでに夜の帳は下り、窓の外の庭園も闇に閉ざされ、見ることは出来ない。
ソファにそれぞれが腰を下ろし、一人居心地悪そうにしているロレインが、躊躇いがちにエリアスの横に座る。
ニーナは四人分のお茶を入れると、部屋の隅に控えてしまった。
事の次第を話すべきなのか、本当は迷っていた。
話は遡って四年前の事から話さなければならなかったし、何より、ウィルフレッドがこの度の件の首謀者であるカールを慕っていることを知っていたからだ。
真実を知ったウィルフレッドは、きっと傷ついてしまうだろう。彼は優しい人だから、カールがリューネリアに対して行った事に、負い目を感じてしまうかもしれない。そのようなことなど、四年前に自分がこの国に対してしたことに比べれば些細な事なのに。
本当は四年前のことも、ずっと心に秘めたままでいようと思っていた。自らの罪は一生をかけて贖っていくつもりであったし――いや、この国の人間に、自分が人殺しであることを知られることが、折角得た信頼を失ってしまうことが、単純に怖かったのだ。
だが、結局はここまで事が大きくなってしまい、彼らも巻き込んでしまったからには何も話さないでいるわけにはいかない。それに、これも自らが招いた罪の一端なのだとすると、罰を受けないわけにはいかないことぐらいリューネリアにも分かっていた。
だから四年前のことはすべて話した。
自らが戦争で軍を動かしていた事も、ヴェルセシュカの民を殺してしまった過去も。
あの当時、この国に嫁ぐことになるとは考えもしていなかったのだから、躊躇いはなかった。だが、今は自国民となったヴェルセシュカの民を傷つけてしまったことは謝罪をしても、簡単に償えるものだとは思っていない。
彼らから冷たい視線を向けられるのが怖くて、話す間中ずっと、握りしめた両手だけをじっと見つめていた。
その告白を黙って聞いていた三者から言葉はなかった。
誰も何も発しない。
その沈黙は、まさに針のむしろで、息苦しさを感じてしまう。
顔を伏せるように身を堅くして誰かが何かを言うのを待った。
「四年前と言えば、妃殿下は十三――ですか?」
最初に沈黙を破ったのはエリアスだった。いつもの口調に少しだけ安心しながら、小さく頷く。
「ですが、ネリア様は剣を扱えなかったのでは?」
ロレインもいつもと変わらない。
「はい。ですから後方支援という形で従事していました」
身を縮めて、何度目かの謝罪を口にする。
先程からずっと黙っていたウィルフレッドが、隣で身じろぐのを視界の端に捉え、息を詰めた。
「戦争は誰が悪いと言えるものじゃない。ネリーが心を痛める必要はないんだ」
握りしめた手を上から覆うように握られ、振り仰ぐ。そこにはいつもと変わらない……いや、少し沈んだ瞳をしたウィルフレッドがいた。
「ですが……」
「それよりも、今回のことはそれが根底にあるのだろう?」
話を促され、リューネリアは躊躇いがちに頷いた。
カールから新たに聞いた話をつけ加え、最後までウィルフレッドに彼の兄が自分の命を狙ったと言っていいものかと悩んだ。
だが、アクセリナ戦のことを話した時点で、しかもウィルフレッドがカールの部屋に乗り込んできた時点で、今回のことに王太子が関わっていることに気づいていると判断した。中途半端に誤魔化すよりも、すべて話してしまった方がいいように思えた。
彼の瞳が沈んでいるのは、すべてを知らなくても何か予感しているのだろう。ウィルフレッドの顔を見ていられなくなって、再び俯いて一息に説明した。
話し終わっても、ウィルフレッドは口を閉ざしたままだった。暗い眼差しは、じっと絨毯に注がれ、瞬きの一つもしない。
やはり、ひどく傷つけてしまったのだ。
「ウィルフレッド様……」
なんて声をかけたらいいのか分からなかった。だが、それでもすっかり消沈した面差になんとか笑みを浮かべ、心配をかけないようにしているウィルフレッドに胸が痛んだ。どうしようもない後悔が胸に込み上げる。
もしかしたら最初からすべて、間違いだったのかもしれない。
休戦の為の条約で、パルミディアの王女である自分が嫁ぐことが条件に掲示された時点で、断っておけば良かったのかもしれない。ヴェルセシュカに刃を向けていた王女など、本来この国に相応しくなどなかったのだ。
そうすればこのようなことなど起きなかったかもしれない。ウィルフレッドを傷つけずに済んだのかもしれない。バレンティナも怪我などしなくて済んだのかもしれない。
奥歯を噛みしめる。と、前方から声がかかった。
「妃殿下はご存知でしたか?」
エリアスからの突然の質問に、わずかに首を傾げる。
「何をですか?」
「本来、妃殿下との御婚約は王太子殿下がなさるはずだったことです」
「え……」
思いがけないことに、目を見開く。
そんなこと知らない。
「ですが表向きは王太子殿下の病弱を理由にウィルフレッド殿下にその話は移行したのです。今分かりました。王太子殿下は今回の事をすでにその当時から考えていらっしゃったのでしょうね」
冷めた口調でエリアスは言い放つ。
どうやらかなり気にくわないようだ。
エリアスは主であるウィルフレッドを一見したところ見下しているように見えなくもないが、仕事はきちんと補佐し、やるべきことはやっている。しかも、見えにくくはあるが、敬愛もしている。自分の主人を貶めるような真似をされ、怒らない家臣はいようか。
だが、それよりも自分の婚約する相手が王太子殿下だったというのは初耳だ。
すぐに平常に戻ったエリアスは、顎に手を当てて首を傾げた。
「しかし御婚約の話が出て、王太子殿下が今回の事を思いついたのだとしたら……これは陛下も一枚噛んでいる可能性が高いですね」
その言葉に、リューネリアは息を止めた。
そうだ。考えられないことではない。
つまり、ヴェルセシュカにとってリューネリアの存在はいなくてもいいほど軽いのだ。騎士たちには受け入れられたと思っていただけに、その反動は大きかった。
「エリアス!」
青ざめたリューネリアを見て、ウィルフレッドが声を荒げた。
「申し訳ございません」
強い叱責に、エリアスは軽く頭を下げるにとどまる。
エリアスの言ったことは真実だ。
そうなると、自分がこの場にいる意味はないのだ。
確かに、カールは賭けと言った。
カールがなぜこのような賭けをしたのか、その理由はリューネリアになら見えると言っていた。だが、分からない。分かるのは、本気で自分の命を奪おうとし、それを見て見ぬふりをした国王もいたのだ。
理由はどうであれ、いらないと言われた事実の方に打ちのめされる。
青ざめたリューネリアの側に、それまで部屋の片隅に控えていたニーナが近寄ってきた。床に膝をつき、何も言わずそっとリューネリアの手を取る。
彼女の言いたいことが伝わってくる。
その眼差しがもう十分でしょうと言っている。
確かに、自分に出来る限りのことをしてきたつもりだった。しかしそれは、ヴェルセシュカの王族も戦争に反対していると思った上で、協力し合えると思っていたからだ。だが、もう――。
ニーナの手をぎゅっと握り返し、一度息を深く吸い込む。
そして決意を込めて顔を上げる。
「私はパルミディアに帰った方がいいのでしょうね」
不要とされるならここにいる意味はない。休戦の約定を、まさか自らが破る様になるとは思わなかった。
「ネリー!」
横から慌てたように、腕をつかまれる。
「ウィルフレッド様。所詮、私たちは政略結婚です。この結婚がなにも利益を生まないのなら、私はここにいる必要はないのです」
全ての感情に蓋をして、ウィルフレッドを見た。そして視線をエリアスに向ける。
「このような事態を招いてしまい、私が帰国したとしても誰もウィルフレッド様を責めはしないでしょう。色々と手続きをしなければならないでしょうから、準備だけでもしておいていただけますか?」
それに一瞬躊躇い、何かを言いたげに口を開きかけたが、結局は頷いたエリアスを見て、リューネリアはニーナに促されるよう手を取られてソファから立ち上がった。
ぐっと喉の奥に力を入れる。
でなければ今にも泣き崩れそうだった。
ロレインも一緒に立ち上がった姿を目の端に捉え振り向くと、苦々しげな表情をした彼女が微かに頭を下げた。
「お部屋までご一緒します」
「ありがとう。ロレイン」
どこまでも仕事に忠実な彼女に、心から礼を言う。
もう護衛をする必要などない。賭けは終わったのだから。
執務室から出るまで、リューネリアは振り返らなかった。ウィルフレッドからも呼び止められることはなかった。