45.内部事情(一人しかいないでしょう)
※ジェレマイア視点です。
バレンティナが負傷した後、ウィルフレッドからリューネリアに信頼されている人間を、と言われ、ジェレマイアは自らが護衛につくことを即断した。
周囲からは反対されたが――というか、若い騎士たちからは職権乱用だと散々罵られ、副団長からも余計な仕事を押しつけないで下さいと睨まれたが――むしろ騎士たちが、王子妃に見惚れてまともに仕事が出来ないようでは話にならないし、王子の嫉妬も馬鹿にならない。
最近は、あのザクスリュム領の一件を片付けた為か、ウィルフレッドの評判も上がってきていた。仕事量も増えてきていると聞く。その為、夜遅くまで執務室に籠っていると報告が上がってくる程だ。
だからなのか、必然的にジェレマイアが護衛にあたるリューネリアと過ごす時間が、ウィルフレッドが彼女と過ごす時間よりも長いことに気づいたのかどうか、王子の視線がたまに痛い。
朝に一通り、王子妃の当日の予定に関わる警備上の打ち合わせをすることにしていたが、午後の予定に、王子の元恋人たちとのお茶会が入っていると聞いた時には、思わず渋面をその元恋人の一人であるロレインに向けてしまった。
彼女の冷ややかな一瞥と共に、開きかけた口は凍りついてしまったが。
しかしながら、午後になってロレインは、王子やエリアスに用事ができ、一旦護衛から外れることとなった。
その間に、ランス公爵夫人コーデリアと、ヴァーノン子爵夫人ビアンカの、揃っての訪問を受けた。
二人のその艶やかさと華やかさは、ヴェルセシュカの貴族内でも有名だ。噂では、ここにロレインも入るというのだが、騎士服姿しか想像できない為、艶やか、とか、華やか、とかいう言葉が彼女に合うのか甚だ疑問なのだが。
この場にロレインがいない為、彼女たちの所持品検査がどうしても甘くなってしまうのは仕方がないだろう。
コーデリアとは何度か対面したことがあったが、いつも思うことはその整った顔に嫣然とした笑みを浮かべながらも、昂然たる態度を崩さない彼女にどこか男性的な潔さを感じるのだ。その性格があってこその彼女なのだが、もしもそれがなければ鼻持ちならない態度に苦手意識の方が先に立っただろうことが容易に想像できた。
持ち物に特に不審な点は見当たらなかったので二人を通したが、王子の元恋人と本妻とのお茶会に恐怖を感じたことは言うまでもない。
どれぐらいの時間が経ったのか。
お茶会は無事に終了したのか扉の内側から声が近づいて来た。二人が部屋から出てきたが、前もってリューネリアには迂闊に廊下に出ないよう忠告をしておいたので、姿を現すことがなく安堵する。
しかし――。
目の前の二人の美女の表情はそれぞれ別の意味で物憂げだった。
ビアンカは心配を隠せない様子で、私室の扉を振り返っていたが、コーデリアに関しては何を考えているのか。その眼差しは廊下に敷かれた絨毯に向けたまま、険しさを孕んでいる。
「何か気にかかることでもあったのですか?」
王子妃に対しての気がかりならば、是非とも耳に入れておかなければならない。どんな小さなことからでも、思いもがけない警備上のミスは起こりかねないのだ。
「――いいえ。何でもございませんわ」
スッと顎を持ち上げ、こちらに向ける視線はまっすぐに、逸らされることはない。口調は冷ややかだが、決して逃げようとしない――誤魔化そうとしない意志がそこに見えて、ロレインといいコーデリアといい、女にしておくのは惜しい存在だと思わずにはいられない。
近頃の若い騎士の中には、彼女たちのように強い精神をもつ者は数えるほどしかいない。他人の意見に流される者も多く、疑いたくはなかったが、最初の襲撃の件にしても、もしかしたら、という思いが全くなかったかというと否定できない。
コーデリアの態度に感心しながらも、逆にそれが返って、彼女が何かを隠していることを匂わせた。
ふと横を見ると、未だ心配げな様子を隠さないビアンカが、実は、と呟いた。
「先程、御気分を悪くなさったようで、少しの間意識を失くされてましたの」
その内容に、眉を顰める。
確かにここ数日というもの、リューネリアの身にまとう雰囲気は見ていて痛々しいほどだった。それは顔色が悪いとか、急に痩せたとか、そういう見た目的な変化ではない。
おそらく、ザクスリュム領での査察に赴いた時の彼女を、ジェレマイアは知っているからこそ、そう感じてしまうのだろう。
王子に馬での勝負を挑むほど、気丈で、生き生きとしていたあの王子妃が、だ。
だが、倒れたとなると、看過できない。すでにそれほどまでに精神が追いつめられていることになる。
「一体、なんでそんなことになったんだ?」
思わず敬語も忘れて問い詰める。
ビアンカは困ったようにコーデリアを見た。自らの迂闊な発言に気づいたのか、口元に手を当てている。見るからに彼女も動揺しているようだ。
一方、コーデリアは一つ溜息を吐くと、まるで仕方がないというように……だが挑むような眼差しを向けてきた。
「少し、お時間はよろしいかしら。騎士団長様」
その眼差しは有無を言わせないものだった。
自分の代わりに警備にあたる騎士を呼び寄せ、喜び勇むその姿に一抹の不安を覚えながら、コーデリアについて王宮の客室へと案内された。
王宮を我が家のように使えるのも彼女が元王族で、ランス公爵夫人と言う立場だからだ。
日頃、客として使うことのない部屋に、どうにも居心地が悪く、そわそわと落ち着かなくなるのは大目に見て欲しい。
ビアンカはというと、コーデリアに促されるように王宮を後にした。彼女も何かを察しているのだろう。素直に頷くと、去り際に一言だけ、あれでよろしかったのですかと、コーデリアに聞いていた。
あれ、とは何だったのか。
ソファに落ち着くと、コーデリアは侍女にお茶を出させてから人払いをした。
そして単刀直入に、切り込むような眼差しを向けてきた。
「ネリア様を狙っている人物について、貴方たちはどこまで分かっているのです?」
明らかに非難めいた発言に、ジェレマイアはいい気はしなかったが、その件に関しては自分と直接情報を集めいてるエリアスの不手際であることに違いなく、口調は重くなる。
しかも、彼女はランス公爵夫人だ。
黒に近い人物の一人でもあるのだ。
「いや、これと言った収穫は――」
「わたくしを疑うのはお門違いですわ。貴方もエーメリー家の者ならば、あの話は知っていらっしゃるでしょう」
彼女の言っていることに思い当たり、思わず口を噤む。
確かに知っている。議会が王子妃を狙った件について、傍観者でしかないことを。
だが、この情報はつい先刻まで不確かなものだったのだ。裏付けをとり、ロレインが今現在ウィルフレッドのところに行っているのも、この件についての報告なのだ。
つまり、そこから考えられることは一つしかない。
「首謀者が王族の誰かだということか」
「……まさか、まだわたくしを疑ってはいらっしゃらないでしょうね?」
元王族の彼女は美しく整えられた眉をはね上げる。
ジェレマイアは慌てて首を横に振った。美人を怒らすとおっかないと肝を冷やす。
「あまり考えたくはない事態だな……」
髪をかき混ぜながら呟く。
「呑気なことをおっしゃらないで。このようなことをする人が誰かを考えてみなさい」
思いがけない台詞に、さすがにジェレマイアもあからさまな非難を向ける。
「おいおい……。王族のことに騎士団長ごときが口を出せる問題じゃないだろう」
事実、面白くはない。ここまできて蚊帳の外に放り出されることになりかねないのだ。少なくとも、騎士団は王族の命令で動いているのだ。命じられたら背くことは出来ない。
「だったら、ネリア様がどうなろうとあなたは責任がないとおっしゃるのね?」
「いや、そうは言って――」
「でしたら、このようなことが出来る人が、一人しかいないことぐらい早く気づきなさい!」
ぴしゃりと言い放ち、コーデリアはすくっと立ち上がった。
「すでにネリア様はお気づきのはずですわ。貴方がたがどのような対処を取るのか。あとはウィルフレッド殿下にお任せするわ。ついでに――わたくしをがっかりさせないでと殿下には伝えておいて」
上から冷ややかな眼差しを受け、ジェレマイアは思わず息を止めた。
彼女の瞳にあるのは、覚悟だ。この先何が起こるのか、彼女は予測がついている。
しかし、リューネリアが気づいていることはあり得ない。まだ確実性に欠ける為、エリアスとも話し合って耳に入れることはまだ先にしようと決めていたのだ。
いや――。
先程ビアンカが言っていた、あれ、のことなのか?
問おうとして、扉の閉まる音にハッとする。
顔を上げたそこには、すでにコーデリアの姿はなかった。