43.急転直下(その指示を出したのは……)
「申し訳ありませんでしたわ、ネリア様」
熱烈な抱擁を受け、いつもと変わらない態度で接してくれるコーデリアに心のどこかでほっとしていた。
ミレス公爵夫人であるコーデリアは、リューネリアが最初に受けた襲撃の時、公爵家が後見についているダーラに情報を漏洩された疑いがかかった為に、王宮へ来ることを自粛していた。
「本当はずっとネリア様とおしゃべりをしたいと思ってましたのよ。ずいぶんとご無沙汰でしたもの」
嫣然と笑ったコーデリアはやはりどこまでも美しい。
言われて、久しく彼女と会っていなかったことを思いだす。
ザクスリュム領への査察から帰ってきてほどなく、リューネリアが襲撃されるという事件が起こってしまった為に、今度は彼女の方が王宮から遠のかなくてはならなくなったのだ。
しかし、リューネリアの気分が塞いでいることを気にしたウィルフレッドが、わざわざ呼んでくれたのだ。
黄色のドレスを着たコーデリアは、その見た目の華やかさからも周囲の雰囲気を明るく、華やかにする。ただでさえ彼女の全身からは生命力が溢れていて、その場にいるだけでも元気を分け与えられた気になる。
「わたくしも、お会いしたかったですわ」
ダーラに疑いがかけられても、リューネリアには彼女が何かをするようには、どうしても思えなかったのだ。
コーデリアにしても、今までの付き合いを思えば期間こそ短くはあるが、彼女はいつも自分の気持ちに正直で、真っ向から勝負を挑んでくる。その裏表のない性格は、この王宮においてとても貴重なものだろう。
それに、ロレインが彼女に寄せる信頼を信用もしている。
「あら、ネリア様。私もいますのよ?」
コーデリアの背後から、ヴァーノン子爵夫人も現れる。
彼女もまた美しい人で、燃えるような色の艶やかな赤毛を結い上げ、その情熱的な色合いからは想像できないほど優しさを湛えた茶色の瞳をリューネリアに向けてくる。彼女もまた華やかな人だ。
「ビアンカ様。ザクスリュム領の件では本当にお世話になりましたわ。お礼が遅くなってしまってごめんなさい」
「そのようなこと気になさらないで。ネリア様のお役に立てたのですもの。光栄なことです」
二人にソファを勧め、ニーナにお茶を入れてもらう。
茶葉は新たに用意され、お菓子はビアンカが持って来たものだ。
今、市場に出回っている人気のあるお菓子らしい。宮廷の職人が作る凝ったお菓子も美味しいが、こういう菓子も物珍しくて、たまにビアンカが持ってくるものをリューネリアもコーデリアも楽しみにしている。
「今日はロレイン様はいらっしゃらないの?」
ビアンカが扉を見やって言う。今通ってきた扉の外に、現在、彼女はいない。
「ええ。声をかけたのですが、手が空き次第来てくれるようです」
通常なら扉の外に控えているが、今は騎士団長のジェレマイアに何かを頼まれて執務室に行っている。
そう返事をすると、コーデリアもビアンカも少しだけ不満気に頬を膨らました。
「ロレイン様ばかりお側に置いてずるいですわ」
「そうですわ。わたくしたちも騎士になれば良かったと話しておりましたのよ」
どうやらロレインがいないことに対しての不満ではないらしい。
おかしな方向に嫉妬している二人にリューネリアは微笑む。
「ですけど、ロレインは仕事重視でわたくしは叱られてばかりいるのですよ。お二人のように他愛もないおしゃべりをしてはくれないの」
そう不満を漏らすと、コーデリアは苦笑し、ビアンカは目を見張った。
「ロレインらしいわ」
「ネリア様をお叱りになるの?」
コーデリアはロレインと幼少の頃からの付き合いだと聞いたことがある。だからなのか、彼女の性格をよく理解している。一方、ビアンカは妃殿下を叱る騎士がいることに純粋に驚いているようだった。
「それはそうと、ネリア様。少しお痩せになったのではありませんか?」
コーデリアの視線がリューネリアのお腹あたりに向けられる。
リューネリアは慌てて否定した。
確かに最近、ドレスの腰回りが緩くなっている。顔はそんなに変わらないと思っていたが、もしかしたらやつれて見えるのかもしれない。
食事にも毒が入っているかもしれないという心配もあって、最近ではあまり食が進まないもの原因だろう。
気をつけなければ、と内心思いながらも曖昧に微笑する。
「あのようなことがあっては心労も相当なものでしょう?まったく、殿下は何をされているのかしら」
コーデリアはプリプリと怒りながら、ニーナの入れた紅茶に口をつける。
「ですが今回のこと。議会は動いていないようではありませんか?」
ビアンカが声を潜めてコーデリアに確認する。
彼女は横目でチラリとビアンカを見てから、一つ溜息を落とした。
その態度にリューネリアは確信する。彼女が何かを知っていることを。そして、それがとても嫌な予感を誘ってくる。
コーデリアは物憂げに、だがしっかりとこちらを見据えると口を開いた。
「ええ。実はそのこともお伝えしたかったのです」
カップを受け皿に戻した彼女は、視線を下げ、ゆるく首を横に振る。
「今回の襲撃やその他のことに、議会が関わっている可能性は限りなく低いと思われるのです」
彼女の青い瞳が暗く沈んでいる。先を続けることが苦痛だとでもいう様に、その口調も重い。
視線で先を促すと、コーデリアはビアンカに視線を向けて一つ頷く。ビアンカも思い当たる節があるようで、そっと俯いた。
「議会には動かないようにと、どこからか指示が出ているようなのです」
「どこからか?」
おうむ返しに確認すると、二人は頷く。
「ええ。もしかしたら議員の中に、その指示に反して動いている者もいるかもしれません。しかし、多くの議員には動くなという指示と、それに対する口止めがなされ、それに従っていると思われるのです」
ということは、議員は王子妃が命を狙われていることを知っていて黙って見ているだけなのか。便乗して襲撃してこないだけ、まだましとも言えるが、それはそれで気分は悪い。
やはり、ヴェルセシュカの国の半分を担う議会には受け入れてもらえていないのか。分かり切っていた事なのに、ずしりと胸の奥に鈍い痛みを感じる。
「ですが、どこからそのような指示が出ているのでしょう」
ビアンカも気味が悪いとでも言う様に呟く。彼女の情報網には引っかかっていないらしい。
一方、コーデリアは何か思い当たる節があるのか、一度口を噤んだ。
「コーデ様?」
「コーデリア様はご存知なの?」
その問いに、彼女は視線を逸らせ、深く息を吐き出した。その中に、鬱々としたものが見えるようで、リューネリアの嫌な予感は増していく。
えてしてそういう予感とは当たるもので、コーデリアの覚悟を決めたような視線を受けると、思わず息を飲み込んだ。
聞く前から、なぜか分かってしまった。
「もしかして――その指示を出したのは……」
出した声がわずかに震える。
コーデリアはゆっくりと頷いた。
「はい。ご推察のとおり――おそらく、王族の誰かだと思われます」