41.千思万考(自分が自分である為に)
王宮の隣には小さな森がある。
その人工的な森は貴族たちの散策の場にもなっており、季節によっては狩猟の場にもなるとのこと。
そこを抜けると広い平原が広がり、馬を駆けさせるには絶好の場所があった。
リューネリアは乗馬服に身を包み、護衛の騎士たちに構わず馬を駆けさせる。最初こそ背後から騎士たちの制止の声が聞こえていたが、それもしばらくすると聞こえなくなった。
別に振り切ったわけではない。事実、ニーナはついて来れたのだから。
単に全力で馬を駆けさせただけだ。あえて言うなら、付いてこれない騎士たちの腕に問題があるのだろう。
しばらく丘を進み、ようやく馬を止める。
ニーナは少し離れたところで周囲を何気に見回している。彼女を包む空気はピンと張りつめているが、決してリューネリアの気に障ることはない。
空はどこまでも青く澄み、風は火照った頬に心地よい。
肺が新鮮な空気を求めて自然と早くなっていた呼吸もようやく落ち着いてくる。
これだけ見晴らしが良いと狙われていてもすぐに分かるというもの。まして、動物は敏感だ。リューネリアが気づくよりも先に気づいてくれるだろう。
はるか遠くに騎士たちの姿が見える。リューネリアが止まったことでゆっくりと、だがその姿は大きくなる。
最初の襲撃を受けてから、ずっと心の奥底で思っていたことがある。
彼らが仕えているのは、本当は誰なのか。
リューネリアは婚姻という形ではあるが、ヴェルセシュカ王家へと籍を入れた身だ。つまりヴェルセシュカ王家の人間ではあるのだが、それでもこの身に流れる血はパルミディアのものだ。護衛である騎士はヴェルセシュカ王家に仕えているのであって、王家の血を引かないリューネリアに仕えているわけではない。
しかし、今護衛をしているのはウィルフレッドの指示あってのことだ。ザクスリュム領でも考えていたことだが、リューネリアはウィルフレッドという後ろ盾がなければヴェルセシュカで身を守ることなど出来ないのだ。
今、こうして一人でいると、途轍もない不安に襲われそうになる。
王女といえども一人の人間だ。生きたいと思って何が悪い。たが、王族というだけで政略結婚の駒にされ、敵国に身を置き、あまつさえ命を狙われる。どこに「リューネリア」という人間がいるのだろう。いるのは「パルミディアの王女」だ。決してヴェルセシュカに嫁いできた第二王子の妃以外にはなり得ない。
だから、夫となるウィルフレッドに絶対的な権力と地位を望んだ。自分が自分である為に。決して駒で終わるのではなく、自らの意思で生きていると思いたかった。
でも結局は――。
「独りよがりなのよね……」
呟いた声は風が攫い、誰の耳にも届かない。
一人では何も出来ない。守られることしか出来ない。結局、駒でしかない。
耳は馬の蹄の音を拾ってくる。もうすぐ騎士たちが追いつくのだろう。
彼らにしても、駒でしかない。命令を聞き、それを忠実に守るだけだ。護衛をしているが、もしその反対の指示が出ていたとしたら、彼らは簡単にリューネリアの命を奪うだろう。そしてそれが仕事だと割り切るのだ。
馬の嘶きに現実に戻され、背後を振り返る。
騎士たちの先頭にいた彼女は、銀色の髪を太陽の光に反射させ、同色の瞳をこちらに向けていた。苛立ちを隠そうともしないロレインに、リューネリアは今まで考えていたことを打ち消した。
「ネリア様!」
その本気の怒声に、首を竦める。だが、恐ろしさよりも嬉しさが込み上げてくる。
彼女の本気がそこに見えて。
心配が伝わってきて。
「何かあったらどうなさるおつもりですかっ!殿下を再起不能にするつもりですか!?」
「大げさよ。つい気持ちよくて調子に乗ってしまったのよ」
「ネリア様っ」
一層、ロレインの声が高くなる。
心配を嬉しいと思ってしまう。単純にただの駒ではないのだと思える。いや、替えのきかない駒だと思われているのだとしても、彼女の言葉が、自分がウィルフレッドにとってどれほど重要な場所にいるのかを再確認させてくれる。
周囲の騎士たちも、ロレインの台詞に苦笑しながらもあながち嘘ではないと頷いている。
なんて愚かなことを考えていたのだろう。彼らは単純に命令にだけに従っているのではない。彼らも自らの意思を持って考え、動いているというのに。
その思いも込め、謝罪を口にする。
「ごめんなさい。でも、すっきりしたわ。戻りましょう」
ここ最近の出来事で暗く澱んでいた心が、嘘のように晴れ渡っていた。
空に向かって息を吐く。
まだ心配をしてくれる人がいる。完全に一人きりになったわけではないのだと言い聞かせ、馬の腹を蹴った。今度はゆっくりと騎士を従えて今来た道を引き返した。