4.因果関係(その判断基準は……)
※ウィルフレッド視点です。
最初、休戦の条件にパルミディアの王女との婚姻の話が出た時、第一王子であるカールがその相手だと誰もが思った。
しかし、ヴェルセシュカの国王が指名したのは、第二王子であるウィルフレッドだった。
「何故兄上ではないのですか?」
今現在、第一王位継承権は第一王子のカールにある。しかし第一王子は昔から身体があまり丈夫ではない。これは周知の事実だ。このままでは王位に就くのは難しいと、影で口にするものがいるぐらいだ。だから再び戦争を開始するのであれば、王位の継げない可能性の高い第一王子と婚約させた方が都合がいいと誰もが思っていたはずである。
執務室に呼び出され、噂の事実をヴェルセシュカ王の口から聞かされたウィルフレッドは、平静を装っていたがわずかだが声が尖ってしまった。
王は、ちらりと視線だけをウィルフレッドに向けると、にんまりと笑った。
「結婚は嫌だと顔に書いてあるぞ」
「……そんなことは言っていないでしょう」
図星を指され、頬が上気するのが分かる。
だが王は、書類にサインをしながらニヤニヤと笑っている。
「アレには婚約者がいるだろう。それに、おまえはいつまでたってもフラフラと落ち着きがない。まあ、はっきり言えばおまえを落ち着かす為に丁度良かったからだな」
「父上――」
口の中から唸り声が出そうになる。
だが、王は今しがたサインした書類を脇に放ると、筆を脇に置いて椅子に深く寄りかかる。視線はウィルフレッドに向いているが、視界には入っていないようだ。
口から衝いて出そうになった悪言を、王の顔になった父親を前にかろうじて飲み込む。
「実のところ、今回の戦争ははっきり言って、お互い終結の時期を見誤ったとしかいいようがない。あのまま二大国が動かなかったら、いつまでもズルズルと続いて、さらに被害は広がっていただろうし、国庫は空になっていただろうな」
それに休戦とはいえ、このまま終結したいことも暗に仄めかしている。
そもそも戦争のきっかけは、パルミディアとヴェルセシュカの間を通る運河の通航権をめぐって始まったものだった。
それというのもパルミディアとヴェルセシュカ他、数多の国家を有するエリシュカ大陸の地形にも一因がある。東西を分けるセレン=アデリーナ運河と、南北に分けるヤドヴィガ山脈。大陸の南、運河を挟んで西にパルミディア、東にヴェルセシュカ。北はヤドヴィガ山脈である。大陸北方の国との貿易は、どうしても運河を通らなければ成り立たないのだ。
ヴェルセシュカは小国ながら商業国家として成り立っている。大陸を東西に分けるこの運河の通航権は、百年以上前からパルミディアが保有している。つまり、通航料を払わなければ北への入り口は開かないのだ。パルミディアにしてもこの通航権は国の重量な財源だ。法外な通航料を請求しているわけではなかったが、商人にしてみれば、少しでも諸費用は浮く方がいい。そういう不満から、運河沿いの街で小競り合いが始まり、次第にそれが国家間のものへと拡大していったのだ。
深々と溜息をついた王に、ウィルフレッドはハッとする。
「だが、愚かな輩もいるからな。カールは頭はいいが、結婚したところでパルミディアの王女を守ってやることは出来ないだろう」
「それは俺だって」
言いかけた言葉を、王は手を上げて止めた。
「ああ、別におまえには期待していないぞ。王女は才女だという噂だからな。自分の身ぐらい守るすべは持っているだろう。おまえは王女の手伝いをすればいい」
「は?」
ウィルフレッドは聞き間違いかと、首を傾げた。
今、おかしな言葉を聞かなかっただろうか。
どこに、敵国の王女を懐に入れ、自国の王子がその王女に手を貸さねばならないのだろう。そんな危ない真似をしろというのだろうか。
「つまり、カールは身体が弱い。もしも何かあった時、王女の味方は誰もいなくなるということだ。そこを馬鹿どもに狙われてみろ。再び戦争が始まる」
どうやら早合点してしまったらしい。
「つまり、俺の方が健康だから?」
「はっきり言えばそうなるな」
あっさりと認める王に、やはりどこか腑に落ちないものを感じる。
「なんなんだ、その判断基準は……」
「そう言うな。王女は才女であるが、大層麗しいとも評判だぞ。良かったな」
何故良いのだ、と心の中で呟く。
「まあ、あと一年は自由だ。せいぜい遊ぶなり、清算するなりやることはやっておくんだな」
それが父親の言葉なのかと、愕然としながらウィルフレッドはパルミディアの王女との婚姻を受け入れたのだった。
一年も経てばそれなりに覚悟も出来る。
ウィルフレッドの婚姻の噂は、あっという間に広がり、今まで関係のあった女性も離れていくものもいれば、遊びと割り切って――ただ単に、王子という肩書に魅了されているだけかもしれないが――変わらない女性もいた。それで充分だと思っていた。
実際、パルミディアの王女を最初に見た時、ある程度仕入れていた噂の通りの女性だとしか思わなかった。
ヴェルセシュカでは珍しい黒髪。瞳も珍しい紫。だが決して冷たい印象を与えないのはその紫の中にオレンジの炎を宿しているからだ。肌の色は白く、それでいて健康的。知的なまなざし。顔は確かに美しい。だが、彼女よりも美しい女性は沢山知っている。
形式的な挨拶をし、一週間後に開かれる夜会まで会おうともしなかったし、向こうも会いに来ることもなかった。
だから夜会の日はいつもどおり、適当に遊んでいるつもりだった。パルミディアの王女も所詮は政略結婚だと思っているのだと思ったからだ。
だが、バルコニーに呼びに現れた時は正直驚いた。
最初は誰かに何かを言われて逃げてきたのかと思った。だがそうではなく、すぐにウィルフレッドを夜会に呼び戻すためだと気づいた。
ダンスに誘ったものの引き結んだ唇は固く、笑顔を無理に浮かべているその表情は冴えない。決してダンスも下手ではなく、彼女ほどの腕前ならもっと楽しんで踊ってもいいほどなのだ。それほどこの結婚が嫌だったのだろうかとも思った。王族に生まれたのだから政略結婚は当たり前だ。この結婚が決まってから一年もあったのだ。とうの昔にウィルフレッドだって受け入れている。
一曲目のダンスで止めようかと迷ったが、思いのほか彼女と踊るのが苦痛ではないことに気づき、迷っている間に次の曲が始まる。
すると、自分を見上げる瞳と目があった。
「嫌そう、って訳ではなさそうですわね」
観察をしているつもりが、いつの間にか観察されていたらしい。
彼女の言葉が一体何を指しているのか分からず、少しの間考える。そして同じ立場にいる彼女ならばと笑みを向ける。
「それはあなたに対しても言えることだろう」
「ええ。それがわたくしの仕事だと思っています」
なるほど、と思う。
彼女もこの結婚を諦めたのか。
多少、意地悪な気分になって問う。
「私はそうではないとでも?」
「いいえ。でも」
視線を彷徨わせて、彼女はためらいがちに口を閉ざす。だが、すぐ決心したように口を開く。
「……正直に話しても?」
「どうぞ」
軽い気持ちで促すと、彼女は慎重に口を開いた。
「あなたは女性に対して、かなりの博愛主義だとお聞きしました。そのような方が結婚に縛られるのは不本意なのでは、と思っただけです」
噂をどう取ったとしても、それは一般論だった。
だが、なかなか上手い言葉選んでくれたようで、少なくともウィルフレッドを傷つける意図はそこには感じられなかった。そこは素直に感心した。
「――博愛主義とは、これはまた……ものは言いようですね。いい言葉を選んでくれたことにお礼を言うべきかな」
「違いましたか?」
じっと正面から覗きこまれ、照れも見せず、反らすこともない。
「まあ、悪くはない見解だね。だけど、私もあなたと同じだと思ってもらって構わないよ」
「つまり?」
「それが私の仕事だと思っている」
諦めはついているのです、と心の中で呟く。正直、彼女には悪いと思っている。