39.意味深長(落ち込んでいるわけにはいかない)
執務室の扉をノックすると、返事も待たずに開け放った。
駆け込んだと言った方がいいかもしれない。
背後でニーナが外を警戒し、そしてゆっくりと閉ざす。
仕事をしていたウィルフッドとエリアスは、パッと顔を上げると驚いたようにこちらを見た。
だが、すぐにウィルフレッドは顔を引き締めると、執務机から離れて側に来てくれた。そんなに酷い顔をしているのだろうか。
リューネリアは執務室に駆け込んだはいいものの、もうその場から動けなかった。
「バレンティナが……」
つい先程の出来事だ。当然ウィルフレッドには話が伝わっていないだろう。報告をしなければならないとは思うものの、言葉が続かない。それほど、精神的に受けた衝撃が大きかった。
差し出された腕に縋りつくように身を寄せる。促されるままソファに腰を下ろすと、肩を抱き寄せられた。
「妃殿下。護衛は彼女だけですか?」
部屋の隅に控えるニーナを見やり、エリアスに尋ねられたが首を横に振ることしか出来ない。
他の者は現場となった場所に留めている。侍女にも医師の手伝いと、バレンティナを休ませるための部屋の準備をお願いした。それからニーナだけを伴って、中央棟の二階を突っ切ってきたのだ。
「何があったんだ」
宥めるように背中を撫でられ、ウィルフレッドを見上げ、それからエリアスに視線を向ける。
その様子を見越したのだろう。ニーナが側にきて口を開く。
「説明は私から致します」
簡単ではあったがニーナから事情を聴いたエリアスは、すぐに動く。ニーナにも同行を求め、執務室から出ていく時に、衛兵に人数を増やすように指示を出していくのが聞こえた。
「ネリー」
隣に座っていたウィルフレッドにぎゅっと抱きしめられて、その温かい腕の中で次第に落ち着きを取り戻していく。自分の意思に反して小刻みに震える手を握りしめてみるが、それでも震えは治まらない。
しばらく経って、ようやく何があったのかを細かく報告した。まだ混乱が残る頭では順序を追って上手く話せた自信はない。だが全てを説明し終わって、精神的に落ち着きを取り戻せてきた頃、ちょうどエリアスとニーナが戻ってきた。
二人ともその顔は冴えない。
ウィルフレッドの腕の中からゆっくりと身を起こし、エリアスに向き直る。ニーナはやはり部屋の入口に控えた。
「バレンティナは?」
最悪の事態が頭に浮かぶ。
「意識がまだ戻ってはおりませんのではっきりとしたことは言えませんが、左腕と、多分肋骨を何本か骨折している様子です。頭を打っているかどうかは意識が戻らないと何とも言えないとのことでした」
状態は予断を許さないらしい。意識が戻るまでは医師が付き添ってくれると言われたが、安心できる状態ではない以上、リューネリアの胸中は締め付けられるように痛む。
だが、さらにエリアスは続けた。
「バレンティナのことは取りあえず様子を見ましょう。ですが、妃殿下」
エリアスは少し考えながら口を開く。
「現場を見てきましたが、あれはおかしくありませんか?」
言われて、何がどうおかしかったのかと考える。あまりにも混乱してしまって周囲を見渡せる余裕はなかったのだ。
「どういうことだ?」
ウィルフレッドが説明を求める。
それにエリアスも現場の状態を、あったことも含めて説明した。
「東棟から中央棟に渡ってすぐの踊り場から、一階へと下りる階段の最上段の膝下あたりに絨毯と同色の紐が結んでありました。あれでは気づく者の方が少ないでしょう。ですが、妃殿下は運よく階上から呼び止められて立ち止まった」
ニーナから聞いたのだろうか。確認を込めて聞かれて頷く。
そこで気づいた。
エリアスも一つ頷いて見せ、ウィルフレッドに説明をする。
「普通、殿下や妃殿下を護衛する時、護衛は前と後ろに必ず付きます。それでいくと階段に紐を張ると妃殿下よりも先に衛兵が引っかかるはずなんです」
それでバレンティナが引っかかってしまったのだ。
「悪戯にしては悪質です」
怒りを込めて言うと、ウィルフレッドはもちろんのことエリアスも同意する。
「そうですね。わざわざ紐の色を絨毯の色に合わせていたことも考えて、妃殿下を狙ったことに違いないと思います」
断定して言うエリアスに、リューネリアはぎゅっと手を握りしめる。治まっていた震えが、再び起こりそうだった。
「あの通路を現在使われている方は限られています。まして、一階に下りようとされる方は多分、妃殿下を除いてはいないでしょう」
東棟は王族及び一部の貴族のみが出入りできる場所だ。そういう限られた者が中央棟の一階――それも誰でも自由に出入りできるような場所に用があるはずはない。
「だが、それでも護衛の者がかかるだけだろう」
「はい。ですが運よく妃殿下がかかったら?かからなくても精神的な痛手を与えることが出来たなら?」
仮定ではあるが、それは当たっていた。
だが、ここで怖がっていては何も変わらないことぐらいリューネリアは分かっていた。だから震える手を押さえつけてでも、背筋を伸ばす必要があった。
「ネリー……」
ウィルフレッドが苦しげな顔をしているのを見て、無理やり笑みを向ける。
この人は、守ると言ってくれた。それに頼らないことに傷ついていることぐらい分かっていた。でも、頼っていないわけではない。こうして心配してくれる人がいるから頑張れるのだ。
「相手がそう思っているのなら、私が落ち込んでいるわけにはいかない。日常と変わらない生活を続けるだけよ」
強く言いきる。
「ウィルフレッド様。護衛の者を貸して下さい。バレンティナの様子を見て参ります」
ソファから立ち上がり一礼する。するとウィルフレッドも立ち上がった。
「俺も行こう」
「いいえ」
きっぱりと言い切ると、エリアスが言い添える。
「妃殿下。ロレインが執務室の外に控えております。あと何人かいると思いますので、護衛のことに関してはロレインの手筈に従って下さい」
「ありがとうございます」
手際の鮮やかさに思わず苦笑する。
笑って気づく。まだ笑えるだけの余裕があることに。
「ウィルフレッド様」
まだ心配そうな顔をしているウィルフレッドに、リューネリアは背伸びをしてその頬に口づける。驚いたように目を見張るウィルフレッドに笑顔で告げる。
「おかげで落ち着けました。また一頑張りしてきます」
軽く礼をして扉へと向かう。
エリアスに、リューネリアを呼びとめた人物について後ほど報告してもらうようお願いして、ニーナを伴い扉を開けた。