36.疑心暗鬼(必ず守る)
暗い思い出に沈みそうになった時、扉がノックされると同時に開けられた。
すぐに立ちあがったニーナは、当然のように部屋の隅に控える。
「ネリー」
立ち上がって出迎えたリューネリアは、ウィルフレッドによって腕の中に閉じ込められた。
目の前にある服が、今朝とは違うことに気づき、彼も着替えたのだと気づく。それが指し示す意味に気づき、暗澹たる気分で現実なのだと思い知る。
だが背中に回された腕から、ウィルフレッドの心配が伝わってきて、リューネリアは安心させるように彼の背中に手を回した。
「私は大丈夫」
しっかりした声で答えると、ゆっくりと息を吐き出したウィルフレッドが頭上で辛そうに顔を歪めていた。
「また閉じ込めてしまいたい……」
だがそれは希望であって、本気でそうする意思はないようだった。
リューネリアはそっと手を伸ばし、ウィルフレッドの頬に触れると表情をゆるめた。
「あなたがずっと側にいてくれるのなら、それもいいかもしれないわ」
そうすれば、無暗に襲われることも少なくなるだろう。だけど、それは絶対に無理だと分かっているからの発言だ。
ウィルフレッドはその言葉に目を見開いて、ふいと視線を逸らす。
「できればそうしたい。だが、それではネリーから危険が消えるわけじゃない」
「ええ」
ウィルフレッドの出した答えは、リューネリアを安心させた。危険から逃れるためとはいえ、一生、閉じこめられたまま生きていけるはずはない。不満も出るだろうし、まして閉じこもっていたからといって、必ずしも安全とは言えないだろう。
「閉じ込めはしない。でも、できるだけこの部屋からは出ないで欲しい。すべてが片付くまで警備を強化する。部屋から出る時も、必ず護衛を連れて行ってくれ」
「わかったわ」
「絶対に、危険なことはしないでくれ」
念を押されて言われた意味に気づき、リューネリアは苦笑した。
ザクスリュム領で抜け出したことを言っているのだろう。
「しないわ。約束する」
真っ直ぐ見つめて言うと、再び強く抱きしめられた。
こんなにも誰かにとって特別な人となることが、強く必要とされることが、リューネリアの心を震えさす。それは強くあると同時に脆くもある。また逆も言える。この人の為に生きようという力が何処からともなく湧いてくる。
ふと緩んだ腕に、リューネリアも身を離そうとして、結局それは叶わなかった。
後頭部に回された手によって上向かされると同時に口づけられ、思わず目の前の胸に縋った。それは束の間の出来事だったが、その間、すべての憂慮すべき事柄が頭から消え去る。
ようやく離された時、頬を両手ではさまれ、真正面から瞳を覗きこまれた。
「必ず守る」
あまりにも真摯な眼差しに、身体中が熱くなる。
「はい……」
信じないわけがない。向けられる気持ちを。
どうやら入口で控えていたらしいエリアスが、小さく咳払いをしながら入ってきたので、場所をソファへと移す。
ずっと見られていたのだろうかと思い恥ずかしくなるが、エリアスは表情を変えることなく報告を始めた。
「生憎、身に付けていたものから身元の分かるような物は出てきませんでした。殿下からもお聞きしましたが、相手は剣の扱いにも慣れていたため玄人と思われます」
つまり誰かに雇われたということか。
「しかし、玄人の割には……」
何か思うところがあるのか、ウィルフレッドは言葉を濁した。
それに思い当たる節がエリアスにもあったのだろう。頷いた。
「そうですね。少し安易すぎると思われます」
「安易?計画が……ですか?」
話の成り行き上、そういうことだろう。
「少し考えてみれば分かることだと思います。殿下たちが本日、急に予定を変更されたことを知っていたのはどれぐらいの人数だと思いますか?」
言われて思い出す。
確かに、リューネリアが庭園に行きたいと言ったのは、今朝の事だ。だとすると、襲撃計画を急遽庭園にしたのであれば安易になるのも頷ける。もしくは王宮内よりも庭園ならば、警備が薄いと急遽行動を起こしたと考えるなら納得できる。
どちらにしても、予定変更されたことを知っていた人間が襲ったことになる。それは極々急に決まったことなので、知っている人間は限られているはず。
「……つまり身近にいるということ?」
「そうなります。それがまだ黒幕だとは言えないでしょうけど」
「手引きをしたということですか?」
「可能性はあります」
きっぱりと言い切ったエリアスをじっと見ると、彼は続けた。
「ニーナと私は除外して考えてみて下さい。あと、あなたたちの予定を知っていた者はどれほどいますか?」
リューネリアには現在、ニーナを除くと侍女が六人付いている。彼女たちは当然知っていただろう。あとは、庭園についてきた護衛の騎士が六人。当然、指示を出すべき彼らの上官も知っているだろう。
他には……。
考えてみると、本当に限られてくる。
愕然として思わず黙り込んでいると、隣に座るウィルフレッドに手を握られた。
「騎士の方には俺たちがあたる。ネリーとニーナは侍女たちを注意して見ていてくれ」
「はい。――ニーナ」
部屋の隅に控えるようにして立っていた彼女を呼ぶと、すぐに彼女はやってきた。
「話は聞いていたわね?」
「はい」
頷く彼女を見ると、表情は変わらなかったが、わずかだが怒気を感じる。どうやら本来ならリューネリアを守るべき同僚の中に、裏切り者がいるかもしれないことに対して怒っているようだ。
ウィルフレッドとエリアスを振り返り、告げる。
「おかしな事がありましたら必ずご報告します」
「では、ニーナには護衛を。他の侍女たちもそれぞれ監視をつけよう」
ウィルフレッドの言葉を、ニーナは首を振って止めた。
リューネリアもその有り難い申し出を拒否する。
「折角ですが、ニーナに護衛は不要です」
不要というか、むしろ邪魔になるだろう。
彼女は自分の身ぐらい、本当に自分で守れる。
ウィルフレッドが眉を顰める。どうやらリューネリアたちがまた無茶をするのではないのかと疑っているようだ。
先ほど、約束したばかりだというのに。
「大丈夫です。私はできるだけ一人にはなりません」
心配をするウィルフレッドに先手を打って告げる。
「ニーナは優秀な侍女です。ええっと、ヴェルセシュカ風に言うなら……私だけの騎士です」
パルミディアでは女性に騎士という位は与えられなかった。だから、ヴェルセシュカに来た時、ロレインやバレンティナの話を聞いて、ニーナは侍女ではなく騎士だったのだと初めて思い至った。
目の前の二人も、リューネリアがあえて、騎士、と言ったその言葉の意味するところに気づかないはずはない。
パルミディアの国王が娘に許した彼女だけの騎士。侍女という身分に身を隠し、本来の役割はリューネリアを守るためだけに剣を持つことを許された者。
「ウィルフレッド様もエリアスも、どうかこのことは内密に。それとニーナが帯剣することをお許しください」
今更ながら告げることになってしまって申し訳なく思う。一生、言うような事態がなければいいと思っていたのに――。
驚いて言葉を発せられない二人を尻目に、ニーナは一度下がることを告げる。その理由は剣を取ってくるとのことだった。
ウィルフレッドは参ったというように片手で顔を覆ってしまった。
エリアスもニーナが去った扉を見つめている。
それは仕方がないだろう。侍女として完璧に仕事をこなす彼女のあの細い腕で、どれだけのことが出来るのか。さぞ信じられないことだろう。
「……では、侍女の方はお任せします」
「はい」
先に立ち直ったエリアスが、騎士たちへの尋問に向かうことを告げた。まずは騎士たちの裏付けを確認しなければ、護衛を任すこともできない。当然、部屋の前にいるロレインとバレンティナもその中に入っているようだったが、二人の尋問は彼女たちがここに駆けつけてくる前に済んだらしく、どうやら護衛を任せられると判断したようだった。
だが、ウィルフレッドはニーナが戻ってくるまで側にいてくれるらしい。
今、他の侍女たちは部屋に控えていないので当然二人きりだった。
「摘んだ薔薇を、置いてきてしまいました……」
本来、花を目的として庭園に行ったはずなのに、折角ウィルフレッドが丁寧に刺まで取ってくれた薔薇を置き忘れてしまうとは残念だった。
あの薔薇を飾っていれば、眺めるたびに庭園を散歩した時に感じた幸福感を思い出せたかもしれないのに――。
一瞬にしてかき消えてしまった思いを寂しく思いながらも、リューネリアはそれでも希望を込めて隣に座るウィルフレッドを眺める。
「ウィルフレッド様、あの……」
少し考えてから、口を開く。
自らの考えに頬が上気していくのが分かる。でも――。
「どうした?」
「この件が片付いてからでいいのですが、その……またお願いを聞いて下さいますか?」
「いいよ。でも今度は俺のお願いも聞いて欲しいな」
予想外の返事に、リューネリアは驚きながらも、それもまた悪くないと思う。
「はい。私に出来ることなら」
快く返事をする、ウィルフレッドは柔らかい笑みを返してくれる。
今、このような時であっても、この人が側にいるだけでいくらでも心が穏やかになれるのだと思えた。