28.痴話喧嘩(勝負をしましょう)
第二王子が結婚して二カ月。
もともとこの結婚は戦争を休戦に導く為のもので、戦争にかり出されていた民にとって、まったくの他人事ではない話しだった。それはエピ村がいくら辺境にあるとはいえ同国民である以上同じのことで、ましてこの度の事件には第二王子自身が赴いているのだ。今までにはない活気が村中に溢れていて、王子に関する噂を知らない村民などおらず、まして先ほど彼の妃となったパルミディアの王女の名前も知らないはずはなかった。
「……妃殿下、でいらっしゃる?」
ジョナスに確認のように尋ねられ、リューネリアは頭を上げると一つ頷く。
「そういうことになります」
素っ気なく言い放つ。
今は素直に認めたくない心境だ。それが伝わったのか、隣にいるウィルフレッドに腕をつかまれた。だが、それだけで先程のように肩に荷物のように担ぎあげることはされなかった。
「邪魔をした。帰るぞ」
そのまま有無を言わせず腕を引っ張られ、リューネリアは思わずカッとなって振り払った。
もう限界だった。
なぜ、このように、いかにも心配しているから迎えに来たという素振りをするのだろう。ただ、連れ戻すだけならば、ロレインやバレンティナを迎えに寄こすだけで十分だ。他に女性を囲っているのをそんなにも知られたくないのだろうか。そんなこと、リューネリアには関係ないことだし、その為に軟禁されているのではたまったものではない。博愛主義は認めていると、あれほど言っておいたのに。
「自分で帰れます」
口から出た声は、自分のものとは思えないほど冷ややかだった。
「今度はどこに行こうとしているんだ?」
どこまで監視すれば気が済むのだろう。そんなに相手の女性のことをリューネリアに知られたくないのだろうか。だが、そんなこと今更知ったことでなはい。事実、聞いてしまったのだから。
「帰ると言っているでしょう」
「信用出来ない」
その言葉に、リューネリアの中で何かがブチリと切れた。
「あなたが部屋に閉じ込めたりするからでしょう!それに何をするにも駄目だって!」
さすがに、村人の前であることからロドニーから聞いた噂に関してだけは理性で押さえつける。
だが、一度口に出した言葉は止めようとしたが止まらなかった。堰を切ったように次々と言葉が溢れ出てくる。
「一人で一日中、部屋にいて何も出来ない私の気持ちが分かって?ニーナだって領主の館で大変な仕事をしているのよ?あなたが少なからず心配してくれているのは分かっているわ。でも館には騎士も沢山いるわ。警備の面でも王宮と変わりないはずよ。館から出ると言っているわけではなかったのよ。どうして私に何もさせてくれないの!」
言い募るがウィルフレッドは黙ったままだった。
代わりにロレインが駆け寄ってきて、リューネリアを宥めようとする。
「ネリア様、取りあえず帰りましょう」
肩に置かれた手が温かくて、でも彼女は絶対的にウィルフレッドの味方なのだ。
そう思うとひどく悔しくて、心が冷たく震えた。
ぐっと両手を握りしめると、熱を帯びてきた目に力を入れ、ウィルフレッドを見上げる。
「――勝負をしましょう」
このままでは気がおさまらない。
突然のことに、ウィルフレッドは怪訝そうに眉を顰める。
「勝負?」
「ええ。どちらが先に領主の館に戻るか。負けた方は勝った方の言うことを聞くということでどうかしら?」
そうすれば、ウィルフレッドもリューネリアが領主の館に帰ることを信用するだろう。勝敗の結果次第で、リューネリアは館内の自由を申し出る気でいるし、ウィルフレッドにしても負けたのだから部屋で大人しくしていろと言えるはず。文句のつけようはないはずだ。
それでも黙っているウィルフレッドに、リューネリアはさらに挑発する。
「勝負を受けないというのであれば、不戦勝ということで私の自由にさせてもらうわ。でも、あなたが勝負を受けて、私が負けたのならあなたの言うことを素直に聞くわ」
悪くないはずだ。
じっとウィルフレッドの瞳を見つめると、その湖面のような瞳にゆっくりと決意が現れる。
「分かった。その勝負を受けよう」
勝負に乗るかどうかが、リューネリアにとって一つの勝負だった。
ホッと息を吐き出すと、ウィルフレッドの背後で黙って成り行きを見ていたエリアスが近づいてきた。
「では、私は先に館に戻っておきましょう。正確に勝負の勝敗を見極める者も必要でしょうし……」
そう言って、一人の騎士を連れて戻っていった。
ロレインはウィルフレッドの側に行って、必死に訴えている。
「危険です!お止め下さい。ネリア様に何かあってもよろしいのですか!」
「黙れ」
なおも食い下がろうとしているロレインとウィルフレッドを放っておいて、遠巻きにこちらを窺っていたジョナスや他の村人たちの近くに行く。
突然始めた口論に、呆気にとられていたようだ。
みっともないところを見られたと思いながら、リューネリアはジョナスに向き直る。
「あの、お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」
「あ、いや、あの、そんなことは」
口ごもって視線を逸らされてしまった。
どうやらリューネリアが心配していた通り、彼らの自分を見る目が変わってしまったようだった。だが、そこに憎しみのような感情が見えなくてホッとする。でも、やはり寂しくも思う。
先程までのあの気さくな態度でもう一度接して欲しいと願うのは、リューネリアの我儘だ。あえて身分を明かさなかったのも、責められても仕方がない。
黙って俯いていると、村人たちが遠慮がちに声をかけてきた。
だが、その内容から、どうやら先ほどの言い争いでリューネリアが落ち込んでいると思っているらしい。最初こそ、村人たちは遠慮がちだったが、次第にそれはいつもの調子に戻っていく。
「ああ、そんなに落ち込まなくても。王子さんは別にあんたのことを怒っているわけじゃないよ」
「そうそう、あれは独占欲じゃ」
「部屋から出るなっちゅうのはひどいが、姫さんは大切にされとるのう」
「それもアレだろう?姫さん、言ってたじゃないか。騎士が館に沢山いて警備の面も安心って……。じゃが、姫さんが可愛いから王子さんは姫さんを他の男に見せたくないんだろうて」
どこまでも確信をついている村人たちの発言だったが、リューネリアにはよく理解できない。しかし、励まそうとしていることだけは分かった。
それはやはり温かくて、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます」
すると、村人たちも安心したように笑顔になった。
「ああ、王子さんが羨ましいのう。わしがあと四十歳若かったら」
「馬鹿言うな。誰がおまえなんかを姫さんが相手にしなさるか」
ゲラゲラと笑う声が、葡萄畑に響く。
そんな中、ジョナスと目が合う。彼は笑いをおさめると、ニヤリと笑った。
「この勝負。わたしらはリューネリア様を応援しましょう」
突然の申し出に、リューネリアは心が浮き立つ。この場で、自分を応援してくれる人など誰もいないと思っていた。
「ありがとうございます!」
「いえ。ここでわたしらとも、もうひと勝負しませんか?」
ジョナスの顔が、悪戯を思いついた子供のような表情をしている。その口元には笑みも浮かんでいた。
「え、どういう……」
「もし、リューネリア様が勝ちましたら、先ほど話をうかがった葡萄酒を献上させていただきます」
「おお、それはいい!」
村長の提案に、村人たちの賛成の声が響く。
リューネリアが今度は驚く番だった。ジョナスたちの応援してくれるその気持ちが伝わってきて、嬉しさが込み上げると同時に、力にもなる。
馬の手綱を取ると力強く頷く。
「必ず勝ちます」
そう宣言し、軽く一礼する。
手綱を持って、出発地点へと向かった。
すでにウィルフレッドは位置についていた。ロレインは不安そうにリューネリアを見ている。
「ネリア様、どうかお止め下さい。今ならまだ」
「ロレイン。大丈夫よ」
彼女の手を借りて、馬に乗った。騎士の服はやはりドレスに比べると格段と動きやすい。もう少し大きさが合っていればもっと良かったのだが仕方がない。だが、ウィルフレッドよりも体重が軽い分、馬の状態はいい。疲れも少ないはず。勝算はあるのだ。
「手加減は無用よ」
「するつもりはない」
きっぱり言い切るあたり、負けたら本当に軟禁どころでは済まなさそうだと思う。だからこそ絶対に負けられない。
ロレインが合図をしてくれるらしい。出発の合図は、本来なら旗があれば最適なのだろうが、代用に小枝の先に布をつけ、それを振り上げたのを合図とするようだ。
リューネリアは馬の首を軽く叩く。
来る時も思ったのだが、よく手入れがされていて良い馬だ。ニーナが選んだのだから間違いはないだろう。
正面を向くと、ロレインは少し離れた場所にいて布のついた小枝をこちらに見せていた。リューネリアはぐっと両膝に力を入れる。
風は吹いていない。西に傾きかけた日差しが目の奥に射す。
手綱を握り締めたのとロレインが旗を振り上げたのは同時だった。
リューネリアは馬の腹を力強く蹴った。隣で、ウィルフレッドの馬が動き出すのも見えた。