27.和気藹々(いい人たちばかりだから……)
ニーナから聞いた話によれば、村長のジョナスはなだらかな丘陵地帯の一角に葡萄畑をもっているということだった。畑の側に建っている小屋は近くに葡萄畑を持っている村人たちとの共同の小屋なのだろうか。ジョナスはその前で数人の男たちと共に休憩をしていた。
馬で駆けてくるのが見えたのだろう。ジョナスが出迎えてくれた。
「おや、あんたは……。あの時の補佐官じゃないか。騎士さんだったのか?」
「いえ。これにはちょっとした事情があるのですが……。それよりも、本日はお礼を言いに来たのと、実は皆さまにお願いがあって来たのです」
騎士の制服のことは、話を逸らすことで何とか誤魔化す。
まずは礼を言わなければと馬から下り、ジョナスに正面から向かった。
「あなたの息子さんのおかげで今回の事が公になり感謝しております」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。まさか第二王子自ら来て下さるとは思わなかった。それもあんたたちがここに査察に来ていたおかげだろう」
そう言いながら、リューネリアから手綱を受け取り、近くの木に結びつけてくれた。そしてリューネリアを小屋の前まで連れて行き、他の村人にも紹介してくれた。
その中にはジョナスの息子のデールもいた。無事な姿を見て思わず胸をなで下ろす。彼の行動でこの村は救われたようなものなのだ。どのような感謝の言葉を述べても言い足りないほどだ。
「それで、何でしょうか?お願いとは……」
小屋の前に思い思い座っている男たちが、リューネリアの為に太い丸太を単に切っただけの簡易的な椅子を小屋から出してきてくれた。リューネリアは礼を言って腰かける。多少ぐらつくが、腰かけられないほどではない。
ジョナスに聞かれ、リューネリアは一度皆を見渡し、伝えたかったことを口早に説明した。ここの気候と葡萄が、新しい葡萄酒を作るのに適しているかもしれないこと。エピ村は夏でも寒冷で、きっと冬は早くやってくる。葡萄が実をつける時期に、霜が降りることもあるだろう。それをそのまま放置するのだ。冬に凍ったその実で葡萄酒を作ると、それは甘い葡萄酒が出来ると何かで見たことがあったのだ。
最初こそリューネリアの突飛な発言を唖然として聞いていた村人たちだったが、しばらくして真剣な顔になる。
「おもしろいとは思うが……」
「いや、確かにやってみる可能性はある」
「じゃが、まずは村をどうにかしなければなぁ」
「それに新しく来る領主の許可もなければ難しいじゃろうて」
口々に彼らは言い始める。
しかしどちらかというと、否定的な意見が多い。
しばらく黙って飛び交う意見を聞いていたが、リューネリアはたまらず口を挟む。
「あの、試験的にやってみてもらうだけでいいんです。葡萄酒作りは私には分からないことですし、可能性があるならばやってみてもらえないでしょうか?もちろん、復興の援助は国からもできるだけ手伝わせていただきます」
国政に関わることを安請け合いしてはならないことなど、エリアスに言われるまでもなく承知している。だが、リューネリアは必死だった。ここまで抜けだしてきたのに、村人たちから出来ないと言われてしまったら、何のために無茶をしたのか。もちろん、安請け合いなどではなく、復興に手を尽くすことは王都に帰ってからも当然やるべきことではあったのだが。
唇を噛んで頭を下げると、村人たちは一瞬静まり返った。だが、次にはカラリとした笑い声が耳に届く。
「ま、いいじゃねえか。こんな可愛いお嬢さんが頼んでるんだ」
「そうだな。売物じゃねえ自分たち用のを作るぐらいなら、大したことないか」
「そうそう。それで売物になるようなら儲けたものだしな」
ジョナスを始め、口々に言い始める。
どうやら引き受けてくれる気になったらしい。リューネリアに、取りあえずお茶でもどうかと、木を削って作ったコップを差し出してくれる。他の者も、奥さんにでも作ってもらったのだろうか。手作りのお菓子が入った籠を渡してきた。
あまりにも嬉しくて、ジョナスや村人の気持ちが温かくて胸に迫るものがある。
「ありがとうございます……」
頭を下げて礼を言うと、村人たちは照れたように笑った。
だが、ふと遠くから聞こえてきた馬の蹄の音に、ぎくりと頭を上げた。
「おや、今日は来客が多いな」
ジョナスは呑気に言いながら、立ち上がる。遠くを見るように目を眇めて、おやあれは、と呟くのが聞こえた。
リューネリアも遠くから馬で駆けてくる人物を目にし、思わずコップを持つ手に力が入る。遅かれ早かれ見つかるものと思っていたが、いざその時が来ると怖いものだ。何を言われるのか。逆らってばかりいるから愛想を尽かされるのではないかと不安もある。しかし、そんなもの――!
抜け出す直前にロドニーから聞いた噂話を思い出し、勢いよく立ち上がる。コップと菓子の入った籠を村人に返すと、ジョナスが繋いだ馬の側へと向かう。
抜け出したことなど今は後悔していない。ならば正面から迎え撃つだけだ。
騎馬は全部で五騎いた。
先頭を走る人物の髪が金色に輝いているのを見て、村人たちがざわめく。
「なんで王子さんが来るんじゃ?」
どうやら村人にはその姿が馴染みとなっているようだ。それでも、彼らにとって王子という身分は遠いものらしく、この場に来るのが信じられないもののように見えているのだろう。
馬に寄り添って、リューネリアはウィルフレッドが近くに来るのを見ていた。
村人たちは立ち上がり、当然頭を下げて出迎える。
ウィルフレッドは馬から下りると、彼らには見向きもせず、まっすぐにリューネリアの前まで来た。リューネリアも黙ってそれを見ていた。ウィルフレッドの背後には馬から下りる様子のないエリアスとロレイン、それと他にもう二人騎士がいた。
ウィルフレッドは怒っているようにも見えた。いや、怒っているのだろう。だが、リューネリアはここで謝ったりなどしたくなかった。悪いことをしたとは思っていないし、むしろ理不尽な扱いを受けたことには腹を立てている。
唇を引き結んで黙っていると、そのまま近づいてきたウィルフレッドは有無を言わせず実力行使に出た。あっと思った瞬間には視界が揺れ、思わず悲鳴を上げていた。
「ちょっと、下ろして!」
肩に担ぎあげかれたリューネリアは、落とされないとは分かっていても思わずウィルフレッドの服を握りしめた。
「うるさい」
静かに一喝され、そこに怒りを感じ取って思わず口を噤む。
ウィルフレッドはようやく村長に向き直ると口を開いた。
「これが仕事の邪魔をして悪かった」
「いえ、ちょうど休憩中でしたし、そのようなことはありませんが……。あの、失礼ですが、そちらの方は査察官の補佐では?」
ジョナスは恐る恐るといったように口を開いた。
リューネリアはぎくりと身体を強張らせる。
査察官補佐としては一応名乗ってはいた。
しかし、ジョナスや村人たちが不思議に思うのも当然だろう。王子の肩に担ぎあげられ、文句を言っているのだ。ただの役人とは思えなくても仕方がない。
「ネリー、名乗っていなかったのか」
呆れたような声音に、リューネリアも口を尖らす。
「だって皆さん、いい人たちばかりだから……」
身分を言ってしまえば彼らの態度が変わってしまうような気がした。現に、彼らの王子に対する態度はリューネリアに接するそれとは明らかに違う。それにリューネリアは元パルミディアの王女だ。敵国の人間だったのだ。彼らの家族を、もしかしたら奪ってしまったかもしれない国の人間なのだ。だから名乗れなかった。
ウィルフレッドの盛大な溜息を耳にした後、リューネリアは肩から下ろされた。
そのままウィルフレッドの隣に立たされ、視線だけで名乗れと言われる。
仕方なく村長他、村人の方に向き直ると、ヴェルセシュカ様式の最上礼をとる。ならず者にも屈せず、村の復興を前向きに目指す彼らにはその礼が最適だと思えたのだ。
ドレスではなく騎士服ではあったが、丈の長い騎士服の上着をスカートのかわりに代用し、膝を折って頭を垂れた。
「リューネリア・アデル・リィ・ルクレーシャと申します」
滅多に見られない最上礼を目の前でされた村長他村人たちの誰かが、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。