表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この結婚は政治的策略  作者: 薄明
第2章
22/53

22.無我夢中(役に立たないと思ったことはない)

※ウィルフレッド視点です。


「いやっ、放して!」

 遠くでリューネリアの悲鳴が聞こえた時、ウィルフレッドの中で何かが外れた。

 ロレインやエリアスの制止を振り切って、一人で駆け出す。腰にある剣を鞘ごと抜いた。

 明かりの漏れる一室に音を立てないよう注意して覗きこむと、リューネリアに馬乗りになった男が片手で彼女を拘束しているのが見えた。しかもドレスは無残にも裂かれている。下着の上にコルセットをつけている為、肌が直接晒されているわけではないのがまだ救いだったが、ウィルフレッドの中に御しがた感情が膨れ上がる。

 それでも気丈に男を睨みつけているリューネリアは、こんな場面であるにもかかわらず、今まで出会ったどの女性よりも気高く美しいと思ってしまう。だが同時に、そんな目をしては駄目だとも思う。それは男を挑発する目だ。

 息を殺して音を立てないよう素早く近づくと、リューネリアは驚いたように目を見張った。

 男に気づかれる間を与えず、鞘で殴りつけた。

 我ながら、よく剣を抜かなかったと息を吐く。

 身を起こしたリューネリアは両手で胸元を隠しながら、こちらを見上げてポツリと言った。

「どうして、ここに……」

 信じられないものでも見ているような目で見られ、ウィルフレッドは自らの上着を脱いで彼女の肩に掛ける。しっかりと前を合わせ、他の男の目に触れさせないようにロレインを呼ぶ。

 彼女なら、絶対にリューネリアを悪いようにしないだろう。それだけの信頼はある。

 ロレインがリューネリアの側に行ったのを見届け、ウィルフレッドは自分が殴り倒した男を見た。まだ蹲って呻いている。だが、容赦するつもりは欠片もなかった。無理やり立たせ、部屋から連れ出す。これ以上、リューネリアを他の男の目にさらさせる気はなかった。まして、この男は彼女に何をしたのか。何をするつもりだったのか。それを思うと、今すぐこの男の命を断ちたい欲求が渦巻き、ウィルフレッドは早々に身近にいた騎士に男の身柄を預けた。

 エリアスが近づいてきたので、伴って別室に移動する。

 ロレインに、もっと静かで使われていない部屋に移動するように言っておいたので、早々と騎士たちの目に留まることはないはずだ。あとで彼女の部屋の周囲は、人払いもしておかなければならない。

「あの男は誰だ?」

 ところで、とエリアスに尋ねると、呆れたように答えが返ってきた。

「あれが領主ですよ」

 その言葉に、眉をひそめる。

 ウィルフレッドたちが騎士団を伴ってこの村に来たのは、実は三日前に村長の息子のデールと名乗る男が、ヴァーノン子爵夫人に伴われてウィルフレッドに面通しをしたからである。


 リューネリア達がザクスリュム領に行くことになった時点で、どんな小さなことでもかの領地に関することなら話を通すように伝達していた。だが、王宮の門番はエピ村というのがザクスリュム領にあるということを知らなかったのだ。またデールもザクスリュム領だということを口にしなかったらしい。それで門前払いをされたデールは渋々引き下がり、王都をあてもなくさまよい歩き、どうしようかと途方に暮れていたところ、ある商店にザクスリュム産の葡萄酒を見つけた。嬉しくなって店の者にその葡萄酒のことを話し、自分たちの村のことを話していた。実はこの商店というのが、とある豪商が営む店の一軒で、その豪商というのがヴァーノン子爵夫人の実家だった。ヴァーノン子爵夫人はこの商人たちの情報を頼りに、ザクスリュム領の噂を集めていたため、すぐにデールが引っかかったのだ。

 ヴァーノン子爵夫人はデールから話を聞き、すぐに王宮へと連れて行った。

 そしてウィルフレッドの耳に入ることとなったのだ。

 それは、リューネリアたちが王都を発って、四日目のことだった。

 すぐに騎士団を動かし、その日の夕方には王宮を出発した。二日二晩、ろくに休みも取らずに馬を飛ばした。

 その間、気が気ではなかった。デールから聞いた話では、まともな領主ではないことがすぐに知れた。その領主の館にリューネリアはいるのだ。たとえ護衛がいようとも、何があるかわからない。やはり行かせるべきではなかったと何度も後悔した。


 デールがエピ村に起こっている話を持ってくるまでの三日間、ウィルフレッドは広い寝台に一人で眠っていた。隣にあるはずの温もりは無く、甘い香りもない。ピタリと身を寄せてくる彼女は安心しているのか、ウィルフレッドが多少の悪戯をしても目を覚ますことはない。

 当初、彼女の命を狙ってくるものを警戒して、彼女を腕の中に包んで眠っていたが、いつの間にかその温かさに逆に安堵している自分もいた。だから、あと十日以上も独り寝なのかと思うと妙に肌寒く感じてしまう。

 あの日、リューネリアがザクスリュム領へと出発する前夜、いつもなら必要以上の触れ合いを必ず拒絶していたはずなのに、珍しく抵抗することなく受け入れた。だからついつい調子にのってしまったが、もしも彼女があのまま拒否しなければ――いや、無理にでも恥ずかしがる彼女を自分のものにしていれば、と後々思わなかったわけではない。だが、彼女が嫌がることを無理強いして、嫌われたくないという思いもあった。

 最初は政略結婚など仕事の一つぐらいとしか思っていなかったが、彼女を見ていると常に自分にできる最善のことをしようと努力している。しかも、ヴェルセシュカが彼女にとってどれほど危険な場所なのかも承知した上でなお、この国のことを考えてくれている。果たして自分は彼女ほどこの国の事を考えているだろうかと密かに自問自答して、何に対してなのか分からないが負い目さえ感じた。だからこそ、そんな彼女を見ていて学ぶことは多かった。

 それが日常となってくるのに大した時間は必要なかった。いつしか目はリューネリアを追い、彼女の興味を引きたいと思い始めた。しかし、彼女の興味は仕事ばかりで、しかもリューネリアはウィルフレッドのことを博愛主義者だと疑わず、少しも嫉妬という感情を見せないことを悔しく思っていた。だから、理由をつけて彼女をからかうことで気持ちを誤魔化していた。その時だけは、自分を見てくれていたから。

 だが離れていたわずかな間で、嫌でも思い知ってしまった。

 リューネリアのあの紫の瞳が自分以外の男を見るのが耐えられない。それがたとえエリアスであろうと、誰だろうと、自分だけを見て欲しい――。


 騎士たちがならず者を掃討してきたのは、ウィルフレッドが領主のもとからリューネリアを助けた後、それほど時間は経っていなかった。

 ロレインとバレンティナにリューネリアに起こった詳細を聞いて、いてもたってもおられず、見かねたエリアスが事後処理を請け負ってくれたおかげで、ウィルフレッドは彼女が休んでいる部屋へと向かえた。

 眠っているかもしれないと思い、静かに扉を開く。

 すると、床に座り込む小さな背中が見え、そっと扉を潜った。

 その背中がかすかに震えている。

「どうした?」

 声をかけたのと、リューネリアが泣いているのを知ったのは同時だった。どうしたもこうしたもないだろうと、自らを叱責する。

 隣に膝をつき、弱々しく震える彼女を思わず抱きしめたくなる衝動を押さえ、伸ばしかけた手を彼女の頭に乗せる。

「なにを泣いているんだ?」

 なぜ彼女が自分の上着をかき抱いているのかなどわからないまま、すぐに領主のことを思い出して怖かったのかと思い当たった。彼女に何があったのかを思えば、一人にすべきではなかったのだ。いくら常日頃気丈な振る舞いをしているからといっても怖くないはずはない。

 リューネリアはウィルフレッドが出したものと同じ答えを返してきた。しかも、彼女は自らを役立たずだと嘆いている。

 なぜそんなことを思うのか。

 床に座り込んだリューネリアを腕に抱き上げると、寝台へと向かう。

「役に立たないと思ったことはない。俺はいつもネリーに驚かされ、やらなければならないことを教えてもらっている」

 いつもそうだった。不甲斐ないと思っているのは自分の方なのに。

 ウィルフレッドはゆっくりと寝台にリューネリアを下ろすと布団をかけた。夜着の姿を明かりの下で直視するには耐えられない。理性を保てる自信がなかった。

「教えて……?」

 彼女は不思議そうな顔をしていた。

 じっと見つめられ、まるで理性を試されているような気になり、背中を向けるよう寝台の端に腰かけた。

 彼女はただ一言、良かったと呟き、涙のあとをぬぐおうとした。

 もう泣く様子はない。

 ほっとしながらリューネリアの手を止めると、その頬に口づけた。口づけるだけの筈だったのに、涙のあとをゆっくりと辿る。彼女の涙の一滴でさえ愛しいと思う。

 このままでは理性が焼け切れてしまいそうだと思い、なんとか自制をかけると惜しく思いながらも彼女から離れようとした。

 だが、ふと頬に感じた手の感触に動きを止める。

 離れたはずなのに、その距離は一気に縮まった。

 押しつけられた唇の感触に、ウィルフレッドは呆然とリューネリアを見つめる。

 見るまに彼女の頬は赤く染まり、背を向けて枕に顔を隠してしまった。

「ネリー」

 名を呼んでも、彼女は頭を横に振るばかりだ。

 だが、どうしても彼女の顔が見たかった。羞恥で赤く染まった顔を見たい。もっとその瞳に自分を映して欲しい。

 気づくと、彼女の髪をかきわけ、露わになった首筋に唇を落としていた。

 彼女が小さな悲鳴を上げて顔を上げる。当然、その隙を逃さない。

「ネリー……」

 覆いかぶさるように彼女の額に、頬に、鼻に、瞼に口づけを落とす。

 彼女が震えるような声で小さく、良かったと呟いたのが聞こえた。

 何に対してなのか、彼女の思う不安とは何なのか。先程の役立たず発言とは違う安堵をその言葉の中に感じ、彼女の全てが知りたくて訊ねていた。そして後悔した。彼女はいとも簡単にウィルフレッドの残りわずかな理性をも消し去ってしまった。

 彼女の囁きに近い告白。不安。

 聞いた瞬間、その言葉を奪うために唇を塞いだ。そんな不安を与える気は毛頭ない。たが、同時に不安を感じてくれたことに対して仄暗い愉悦も感じる。

 たまに遊び心で深く口づけると、彼女は全身を緊張させ拒絶を示す。

 だが今は――。

 夢中になりかけた時、無情にも扉がノックされウィルフレッドを呼ぶ声が聞こえた。

 途端、腕の中にいた彼女が全身を緊張させたのが分かった。慌てたように布団にもぐりこんでしまったのを見て、思わず舌打ちしそうになった。

 それでも協力関係を望んでいた彼女の心情に少しでも変化があったことを肯定的にとらえ、彼女の瞼にいつものように口づけを落とす。

「おやすみ」

 本当なら彼女の側についていてやりたいと思う。だが、領主の件にしても、まだ何一つ報告や村の被害状況など把握しきれておらず、今後の方針さえ決まっていない状態で投げ出そうものなら、彼女はきっと呆れて怒る。そして、仕事を疎かにする者を嫌うだろう。

 リューネリアに嫌われないためにも仕事をしなければならない。そして早く片付けて、もう少し彼女との関係を近いものにしたいとも思う。

 そう思って、今は彼女から離れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ