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この結婚は政治的策略  作者: 薄明
第2章
21/53

21.自己嫌悪(結局私は役に立たなかった)


「ネリア様、お怪我はありませんか?すぐに着替えの用意を致します」

 床に座り込んだリューネリアの傍らに膝をつき、ロレインが気づかわしげに眼差しを向けてくる。

 まだ部屋の外では喧騒が聞こえていた。

「待って、ロドニーは?」

 視線を巡らせて、部屋の隅に倒れている少年を見つける。まだ意識がないのか、全く動かない。だが微かに胸が上下しているところを見ると、生きていることは確認できる。

 ロレインは近寄ると、素早く状態を見た。

「大丈夫です。脳震盪でしょう。あとで誰かを寄こします」

 無情にもそのままにしておこうというのだろうか。多少の非難を込めて視線を向けると、ロレインはため息をついた。

「そのようなお姿を他の者に晒すなど、いらぬ噂のもとです」

 言われて、状況を思い出す。

「どうして、殿下がここに?」

 先程見たのは幻だったのだろうか。だが、今自分がはおっている上着はウィルフレッドのものだ。現実のはず。

 しかしロレインは、乱れたリューネリアの髪を手で整えながら首を横に振る。

「その話は後ほど。立てますか?」

「ええ……」

 ロレインに支えられて立ち上がろうとしたリューネリアだったが、ほっとしたのか思うように足に力が入らない。ロレインの腕をつかんで何度も試みたが無理だった。

 見かねたロレインはリューネリアの前に身を屈めると、

「失礼します」

 そう言って、リューネリアを背負った。

 申し訳なさでいっぱいになる。

「村はどうなりました?」

「殿下が騎士団を伴ってこられましたので、ならず者たちはじきに捕らえられるでしょう」

 どうやら、先程の気を取られてしまった外での喧騒はウィルフレッド達が来たからだったのだろう。

 リューネリアは今までいた階とは違う上階の空いていた一室に連れて行かれた。扉を閉めてしまうと階下の喧騒は全く聞こえず、静まり返った室内はすでに燭台に明かりが灯され、部屋の用意が整っていた。

 ロレインにゆっくりと寝台に下ろされる。

「すぐにバレンティナが来ます。身なりを整えられたら、今日はもうお休み下さい」

「ですが、殿下は……」

 はおっている上着を持つ手に力が入る。

「殿下は今からグウィルト様と今回の件の処理に入ります。明日にでもこちらに来て下さるよう伝えておきますので、それまでは部屋から出ないで下さい」

 そう言って、ロレインは部屋から出ていった。すぐにバレンティナがお湯の入った桶と着替えを持ってやってきた。

 お湯で浸した布を手渡され、リューネリアは領主の触れた場所を何度も拭った。どれだけ強く擦っても気持ち悪さが取れなくて、見かねたバレンティナに止められるまで何度も拭っていたため肌が赤くなってしまった。

 着替えも手伝ってもらって、ゆったりとした夜着を着ると、寝台に押し込まれる。

「まだ眠くないし、村がどうなったのか教えて」

 バレンティナは困ったような顔をしたが、このままではリューネリアが安心して眠れないと思ったのか、少しだけ教えてくれた。

 彼女たちが村に着いた時、もうほとんど略奪は終わりかけていた事。そしてならず者たちの後を騎士団の人間が追って行ったこと。村の損害はひどく、燃やされた家も数多く上る。

 ロドニーのことも教えてくれた。

 ロレインの診立て通り、軽い脳震盪だったらしい。今は意識が戻って、一応頭を打ったようなので様子見の段階だが大丈夫だろうということだった。

 逆に、リューネリアも領主の暴挙を聞かれた。

 だから口止めの為にされそうになったことを話した。

 バレンティナはその間ずっと手を握ってくれていて、痛ましげに話を聞いていたが、話が終わるとすぐに廊下へと続く扉に視線を向け一礼した。

「今夜もロレインと控えておりますので、何かありましたらすぐに呼んでくださいね」

 そう言って身を翻すと同時に扉が開いてロレインが顔をのぞかせた。

 どうやら報告をしに行くようだ。二人が部屋から消えると、リューネリアはほっと息を吐いた。まだ胸元にある指輪を夜着の上から握りしめる。

 あの時、ウィルフレッドはリューネリアを見ても何も言わなかった。視線さえすぐに逸らした。あんなことがあって呆れられたのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。それはリューネリアをひどく不安にした。

 ふとテーブルの上に畳んで置かれているウィルフレッドの上着を見た。

 寝台から下りると、ゆっくりとそれに手を伸ばす。

 瞬間、涙が溢れ出ていた。

 今更ながらに、あの時の恐怖が蘇ってきた。全力で拒否してもびくともしなかった。両腕には今もなお力ずくで押さえられた痕が赤く残っている。されるがまま、もしあの時、ウィルフレッドが間に合わなかったらどうなっていたことか。考えただけでも目の前が暗くなり、足の力が抜けてしまった。

 不安にかられウィルフレッドの上着を抱きしめた。涙が止まらない。

 先ほどからずっと、どうしよう、という言葉が頭の中を駆け回っている。

 たとえ何もなかったとはいえ、領主に触れられた自分にウィルフレッドはきっと呆れただろう。結婚したからには身を守る義務が生じることぐらいリューネリアも百も承知だ。だが助けられたとはいえ、あの瞬間だけ見れば抵抗していなかったように見られていても仕方がない。

 それに、もしもこのまま嫌われてしまえば、折角上手くいっていた協力関係もお終いだ。リューネリアの望むものは最悪、永久に手に入れられなくなる可能性だってある。

 渦巻く不安に押しつぶされそうになりながら、どれほどの時間そうしていただろう。

「どうした?」

 いつの間にか、背後にウィルフレッドがいた。

 驚いて見上げると、逆に驚かれた。

「なにを泣いてるんだ?」

 床に座り込んだままのリューネリアの隣に跪き、ウィルフレッドは安心するようにとリューネリアの髪を優しく撫でる。

 それが優しすぎて、リューネリアの涙腺はとうとう決壊した。

「最初は、こ、怖かったんです」

 リューネリアは鼻声で言った。

「でも、結局私は役に立たなかったと思うと悔しくて」

 半分、嘘をついた。

 ウィルフレッドに嫌われたのではないかということは、どうにか言葉をのんで隠した。望んでいたのは協力関係であって、好きとか嫌いとかそのような安易な言葉で言い表せる関係ではないと思っていたはずなのに、ウィルフレッドとの距離感は思っていた以上に心地よく、だから今の関係が崩れてしまうことが怖かった。

 だが、ウィルフレッドは深く息を吐き出すと、床に座ったままのリューネリアを抱き上げた。その腕は温かくて、リューネリアは寝台に運ばれながらすぐそばに聞こえる声に耳を傾ける。

「役に立たないと思ったことはない。俺はいつもネリーに驚かされ、やらなければならないことを教えてもらっている」

「教えて……?」

 寝台に下ろされ、布団をかけられる。

 背を向けて寝台の端に腰を下ろしたウィルフレッドは頷いた。横顔を見つめたが、説明することはしようとしなかった。

「よかった……」

 それでも、どうやら嫌われたわけではないことが分かった。あの時のウィルフレッドは無表情で怖かった。だが今はいつも通りだ。

 気づくと、いつの間にか涙は止まっていた。

 ひどい顔をしているに違いないと、涙のあとを拭おうとすると、気づいたウィルフレッドにその手を止められた。

 そのまま近づいてくる唇が、涙のあとをすくい取っていく。それはどこまでも優しくて、いつまでもその優しさに触れていたくなる。不安やあの時の恐怖が、薄れていく。

 気づくと、離れていこうとするウィルフレッドに手を伸ばしていた。もう少しその優しさに触れていたくて、そのまま頬に手を添え、自ら彼の唇に自分のそれを重ねていた。

 それは、ほんの一瞬。まばたきをするほどの間。

 目を開けると、驚いた顔のウィルフレッドが目の前にいて、我に返る。

「あ、あの……」

 どうしてそんな事をしてしまったのか、途端、混乱する。

 ウィルフレッドの頬から手を放し、顔を反らす。

「ネリー」

 名前を呼ばれても振り向けなかった。背中を向け、恥ずかしくて枕に顔を埋める。

 きっと顔は真っ赤になっているだろう。

 もう一度名前を呼ばれた。それでも首を横に振ることしかできなかった。

 すると、首にかかった髪を梳かれた。指先が触れ、無意識にピクリと身体が震えるが、露わになった首筋に温かい吐息と唇が押しつけられた感触に、悲鳴を上げる。

 首筋を押さえて身をよじると、のぞきこむウィルフレッドと視線が絡む。

「ネリー……」

 甘さを含んだ声音に、身動きできなくなる。

 いつものように顔中に降ってくる口づけに、リューネリアはもう一度良かったと呟いた。

 口づけの合間にその意味を尋ねられ、本当の言葉を吐く。

 あの時、ウィルフレッドが怖くて嫌われたのかと思ったこと。領主に触れられた自分が情けなくて、それがすごく不安だったこと。

 ポツリポツリ話していると、黙って聞いていたウィルフレッドが、最後に唇をふさいでその不安に蓋をする。そのまま深くなっていく口づけを受け入れようとした時――扉を叩く音で現実を思い出す。

 リューネリアはハッとして、ウィルフレッドを押しやった。

 そうだった。ウィルフレッドはまだ仕事中で、自分の様子を見にきたに過ぎないのに。

 状況的にまるで自分から誘ってしまったようで、無性に恥ずかしく居心地が悪かった。

 布団にもぐりこむと、ウィルフレッドは瞼に口づけを落とした。

「おやすみ」

 いつものようにそれは腕の中ではなかったが、不安はすっかり心の中から消え去っていて、久しぶりに落ち着いて眠れそうだと思った。

 ぼんやりと部屋から出ていくウィルフレッドの後ろ姿を眺めながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


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