表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この結婚は政治的策略  作者: 薄明
第2章
19/53

19.暮色蒼然(誰が決めたのですか?)

 視察三日目の日が傾き始めた頃、それは起こった。


 領主の館で資料を読みあさっていたリューネリアは、村から響いてきたざわめきにふと視線を上げた。

 夕日の赤い光が窓から斜めに差し込み、リューネリアの髪をいっそう紅く燃え立たせる。その一方、影は黒々と長く床に縫いつけられている。

 資料を台の上に戻すと、窓に近づき村がある方向を眺めた。だが生憎、この部屋は一階でよく見えない。少し考えたのち書斎を出ると、扉の両脇に控えていたロレインとバレンティナが姿勢を正して問いかけてくる。

「どうなさいましたか?」

 二人は、いつもの時間より早くに出てきたリューネリアに驚いた様子だ。

 廊下には外の喧騒がまったくといっていいほど届いておらず、嘘のように静まり返っていた。

 書斎に鍵をかけると、リューネリアは二人についてくるように言って、自分の部屋へと戻った。

 部屋の扉を開けると、喧騒がわずかにだが聞こえた。窓から村の人々が、道や畑を横切り、慌てふためき走り回っている姿も見える。

 ロレインとバレンティナもそれに気づき、表情を変えて窓際に寄って来た。

 仕事を終えて家に帰ろうとしていた村人たちが、馬で道を駆けていく数人の男たちに追いすがっている。馬上には馬から落ちそうになっている女性の姿も見えた。

 それは、村の一カ所で起きていることではなかった。

 女性を馬上に乗せている者もいれば、袋いっぱいの何らかの――多分、農作物や衣服を詰め込んだ――ものを抱えている者もいる。それは明らかに略奪の現場で。

 リューネリアは一時(いっとき)、息をすることさえ出来なかった。

「――ロレイン、バレンティナ!お願い……。すぐに行って!」

 二人を振り返る。

 だが、わずかな逡巡を見せたのち、ロレインが首を横に振った。

「リリア様をお一人にすることは出来ません。どうしてもとおっしゃるならバレンティナを置いていきます」

 言うなり、すぐにでも身を翻して出ていこうとするロレインに、なおも言い募る。

「駄目です!私は大丈夫です。この部屋にいます。絶対に出ません。だから二人とも他の騎士たちと行ってきて」

「しかし……」

「お願い!私の代わりに――」

 バレンティナを見上げると、彼女はいつもの柔和な笑みではなく真剣な顔つきで頷いた。

「わかりました。行って参ります。ですが、絶対に私たちが帰ってくるまでこの部屋を出ないで下さいね」

 それに頷き、それでもロレインはわずかに躊躇っていたが、リューネリアが急かすと出ていった。彼女たちも騎士だ。困っている人を助けるのが仕事だ。

 リューネリアは窓から村の様子を見守る。

 何も出来ない自分が腹立たしい。

 こんな気分になったのは、四年前以来だ。

 ヴェルセシュカとの戦争が激化し、一時期、リューネリアは戦場の後方支援に回ったことがある。王族が戦場にいるだけで、兵士の士気が上がるという理由からだ。その時もこんな気持ちにさせられた。

 父親の教育方針は娘に絶対に武器となる物を持たせないことだった。たとえ身を守るための基本的な技術さえ、教えてもらうことは出来なかった。だが、その代わりに馬術だけは仕込まれた。どんな危険からも逃げられるようにと、それこそ徹底的に仕込まれた。そのおかげか戦場で戦火が飛んで来た時も、王女であるリューネリアを逃そうとした兵士たちの足手まといになることはなかったはずだ。だが、目の前で広げられる惨劇を自らの力でどうにかすることが出来ないことは、戦時中も今も変わらない。何も出来ないまま、見ていることしか出来ない。

 無意識に手を握りしめていた。きれいに手入れされた爪が、手のひらに食い込む。

 その時、背後でカタリと音がして、部屋の扉が少し開く。

「誰?」

 思わず声が尖ってしまった。

 今この場に、身を守るものは何もない。

 ロレインたちには部屋から出ないと言ったが、部屋に入ってくる者のことは何も考えていなかった。

 息を潜めて、ゆっくりと扉が開のを見守る。

「リリアさん。ごめんなさい、脅かしてしまって……」

 うなだれるようにして姿を現したのは、ロドニーだった。

 リューネリアは思わず安堵の息を吐き出す。

「どうしました?」

「いえ、僕にはまだ何も出来ることがないので、ジェレマイア様とロレイン様に、こちらでリリアさんを守るように言われて……」

 つまり二人が心配して寄こしてくれたのだ。

 申し訳ない気持ちで、リューネリアはロドニーに入室を促す。

「どうぞ、入って」

 ロドニーを招き入れ、一応扉の外に誰もいないことを確認する。

「皆は村へ行ったの?」

「はい。馬を出しましたので、すぐに対応できると思います」

 ロドニーも窓際に寄って、村を眺めた。リューネリアも再び視線を村へと向ける。

 調査をして分かったことが何点かあった。

 もともとザクスリュム領の地方領主であるコンラッド・アディントンは、先の戦争で功績を上げ、二年前にこの領地をもらい受けた。それまではエピ村の村人たちも普通に税を納め、男手は少なくとも葡萄酒の生産高もそれなりにあり、戦時中というにもかかわらず、割りと裕福な暮らしをしていたことが資料からは見て取れた。だが、コンラッド・アディントンが領主となってから、休戦となったにも関わらず、村人の暮らしは悪くなる。一つは、コンラッドの横行。これはすぐに発覚した。お粗末なことに増税分と国に支払うべき領主の税金が一致していなかったのだ。それともう一点は、村長が言っていたならず者が村人を(おびやか)すからだ。多分、リューネリアが考えるに、もともとコンラッドとならず者たちには接点があったのだろう。領主となったコンラッドのザクスリュム領を、ならず者たちが根城にしたのだ。

 絶対に許さないと思った。

 もともと戦争が起きたのは国の上層部の決断だ。運河の通航権を欲したのは商人と、商人の背後にいる貴族だ。なにも農民やその他の民は望んで戦争などしたいなど思わなかっただろう。しかし戦争で一番迷惑を被ったのは戦争を望まなかった民だ。それなのに功績を上げたからと領地を与えられ、挙句に領民を脅かす領主を許すわけにはいかなかった。領主とは領民を守る義務があるはずなのに。

 薄闇に染まる空の下、まだ喧騒は続いている。

 と、ぼうっと一角がオレンジ色に染まる。

「まさか……」

 思わずロドニーと顔を見合わせた。

 ――火をつけたのだろうか。

 なんてことを、と呟き口元を押さえる。そして、ぎゅっと目を閉じる。これ以上、見ていられなかった。

 自分があの場に行って何かができるわけない。足手まといになるだけで、結局は何もできないだろう。だが、何かができるかもしれない。揺れ動く葛藤に、自分の立場が重石になる。

 耐えなければロレイン達に迷惑がかかる。そして行く末は夫であるウィルフレッドにも。

 だが、耳に届く悲鳴を聞いた瞬間、リューネリアは身を翻していた。

 もう耐えられない。

「リリアさん!」

 二の腕を掴まれ、引きとめられる。

「どこに行くんですか!?」

「何もできないかもしれない!でもっ、このまま黙って見ていることなんて、私にはできないっ!」

 腕を掴んだ手を振り払おうとしたのと、ロドニーが声を出したのは一緒だった。一瞬、何を言われたのか分からず、動きを止める。

「僕が一緒にいきますからっ。何もできないなんてことはありませんっ」

「でも……本当は、行ってなどいけないのに――」

 混乱して、自分が言っていることと行動が伴わない。二つの相反する思いにさいなまれ、リューネリアは身動きが取れなくなる。

 だが、そんなリューネリアの瞳を覗き込むようにロドニーは告げた。

「誰が決めたんですか?人が助けを求めている手を取ってはならないと、誰が決めたんですか!?」

 その言葉に、リューネリアは思わず目を見開いた。言葉が、その意味が、全身を強く打つ。

 誰も決めたのではない。勝手に自分の立場に雁字搦めになり、勝手にそう思い込んでいた。

「行きましょう!僕がリリアさんを守ります」

 リューネリアは、胸に込み上げてきた思いと、熱くなりかけた目を固く瞑り、唇を噛みしめた。

「ありがとう、ロドニー。……ええ、行きましょう」

 震える声で礼を告げ、決意を込めて目を開く。

 二人同時に身を翻し、扉を開けて勢いよく出ようとした――が、リューネリアは扉の前にあった何かにぶつかってよろけてしまった。

 まさかもうロレインたちが帰って来たのだろうか。

 そう思って、ぶつかったものを二、三歩下がったところで見上げた。

 部屋は薄暗い。

 だが、相手が明かりを持っていたので、すぐにそれが誰だかわかった。

「……領主、殿――」

 自らが呟いた声が、ひどく乾いて耳に届いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ