16.暗雲低迷(心強いわ)
馬車は二台用意され、一台にはリューネリアとエリアスが乗り、周囲を騎馬で護衛が固めている。もう一台には荷物と、騎士達の身の回りの世話をおおせつかったロドニーという少年が乗っている。もともと彼は従騎士で、常日頃は騎士団長について騎士になるべく学んでいるのだが、その騎士団長が何故だか八名の護衛のうちの一人として同行している為、大任を仰せつかることになったらしい。しかも今回やらされることは小姓としての仕事で、いわゆる雑用係だ。
ソーウェル侯爵令嬢のロレインも護衛の中にいた。
馬車の窓から騎乗の彼女の姿が見える。こうして見ると、騎士の紺色の制服に身を包んだ彼女は確かに凛々しく、麗しい。銀の髪を一つにまとめ、その艶やかな髪が馬の動きにあわせて背中で踊っている。侍女たちが嬉しそうに頬を染めて噂話に花を咲かすのも分かる気がした。
「リリア。気分が悪くなるようでしたら我慢せずに言ってくださいね」
目の前に座っているエリアスが書類を見ながら言った。
リリアというのは、リューネリアの仮の名だ。
当然、エリアスの補佐官なのだから呼び捨てである。
気づくと胸の上に手を置いている。どうやらそれが気分を悪くしていると思われた要因だと気づき、手を下ろすがすぐに確認してしまう。
昨夜、ウィルフレッドから預けられた指輪を鎖につなぎ、首から下げているのだ。指に嵌めるには大きすぎ失くす恐れがあったからだが、無暗に人目に晒すのも良いことにはならないだろう。ちょうど指輪は胸の中央辺りにあり、襟の開いていない服の為、鎖さえ見えない。
ちなみに、今朝服を着替える時に侍女たちの意味ありげな視線を感じ、思わず見てしまった。今現在指輪がある場所――ちょうど心臓の真上あたりに、ウィルフレッドによってつけられた赤い痣を。
お守りといったが、何に対してのお守りなのか頭を傾げる。服の上から指輪を確認するということは、その痣の上にも手を置いているわけで、その点は複雑な心境だが、それでもウィルフレッドが心配してくれる気持ちを嬉しく思ってしまう自分もいた。いや、決して胸に付けられた痣が嬉しいわけではないのだが――。
道中、不穏な事はなく、三日後リューネリア達はザクスリュム領エピ村に到着した。
エピ村は周囲を葡萄畑に囲まれた、のどかな田舎の村だ。領主の館からは、四方にまばらに広がる民家を見渡せる。丘陵は次第にヤドヴィガ山脈へと連なる山へと向かい、途中まではその斜面にも葡萄の木が整然と並んでいる。
初夏の葡萄畑は緑が茂り、それだけでも美しい。そして、もともとヴェルセシュカという国の気候自体が、どちらかと言えば夏でも乾燥していて涼しいのだが、このエピ村の気候は王都ライルよりも北に位置するためか、またはヤドヴィガ山脈に近いためか、さらに冷涼だった。遠くに見える峰には夏でも溶けきらないほどの雪が残っているのだろう。白い輝きを望むことが出来た。
査察の間、リューネリア達は領主の館に滞在することとなっている。
ザクスリュムの領主とは言っても、この度の査察に訪れたのは、ザクスリュム北方の地方領主だ。もともと広大な土地を有する領主は大抵が貴族で一年の大半を王都で過ごしている。なので、代わりに数人の領主に土地を分けて治めさせていることがほとんどだ。本来ザクスリュムを治めるべき領主であるイーデン侯爵も、地方領主から上がって来た嘆願をよく調べもせずにそのまま上に願い出たらしい。だから今回の査察の話には青くなって、好きに調べてもいいが自分は関係ないとまで言ってきた。その話を聞いたリューネリアたちは呆れてものが言えなかったが。
地方領主は三十代の半ばほどの痩身の男だった。名をコンラッド・アディントンと言った。
栗色の髪の鋭い目つきをした男で、どこか人を寄せつけない雰囲気をしていた。それはどこか薄ら寒いものを感じさせ、リューネリアの本能に何かを告げる。
しかも出迎えで最初に対面した時、査察官が若いエリアスだと分かると、明らかに態度が高慢なものへと変わった。エリアスも単に、エリアス・グウィルトとしか名乗っていない。確かに家名から貴族ではないことが知れたが、だからと言って査察官として来た人間を蔑ろにする貴族はいない。一概には言えないが、大抵の貴族は心づもりのつもりか、査察官を丁寧にもてなすことの方が多いのだ。
リューネリアもエリアスに紹介された時など、思わず笑顔が凍りつくかと思えるほどじろじろと見られ、補佐官だと分かると話す相手にもならないとばかりにその後は見向きもされなかった。どうやら女だからだと見下しているようだった。
一通り挨拶を済ませると、割り当てられた部屋へ一度荷物を置きに行くことにした。
それほど大した荷物はなかったが、ロドニーが手を貸してくれたので一度に運ぶ。
彼は先月やっと従騎士の地位を賜ったばかりで、十四歳という年齢の割に顔立ちも幼く、身長もリューネリアと同じほどだ。薄茶色の髪と同色の瞳は人懐っこく、他の騎士たちに頼まれた雑用も嫌がらずに手際よく片付けていく。これぐらいの少年なら普通、従騎士の地位を驕って嫌がりそうなものなのだが、彼はどうやら苦労性の人間らしい。年も近い分だけあって気軽さもあったのだろう。旅の道中もなにかと気づかってくれ、今も部屋へと荷物を運ぶ途中、ため息交じりに話してくれた。
「団長のジェレマイア様は人使いがとってもひどいんですよ。あ、いや荒いって言った方がいいのかな。僕は小さい頃から団長の実家であるエーメリー家で働かせてもらっていたからそれなりに慣れていますけど」
エーメリー家は男爵家だ。そこで小姓として働いていたが、よく動くロドニーを騎士団長であるジェレマイアが気にいったらしい。ロドニーも気にいられたのはいいが、こき使われていたと話してくれた。だが、彼からはジェレマイアに対する尊敬が言葉の端々から感じられ、本当に嫌がっているようには聞こえない。
そのジェレマイアは現在、数名の騎士と警備の関係上、館の見取り図の確認と建物の周囲を調べに行っている。
「リリアさんも何か用がある時は言って下さいね。僕に出来る事だったら何でもしますから」
荷物を部屋に入ってすぐのところに下ろすと、ロドニーははにかんだように笑った。
「ありがとう。心強いわ」
彼は今から他の騎士たちの荷物もそれぞれの部屋へと運ばなければならないらしい。今回の査察で、多忙を極めることを予告されている少年に、労いをこめて礼を告げる。
するとパッと頬を赤くして、ロドニーは慌てたように俯き、口早に退出の言葉を告げてから身を翻した。
まるで子犬のような少年を微笑ましく思いながら見送り、リューネリアは部屋へと入った。
そこは意外にも日当たりのいい部屋で、こぢんまりとしていたが清潔感も漂っていた。
窓からはエピ村が一望でき、眺めも上々だった。
リューネリアがくつろぐ間もなく、すぐに部屋の扉がノックされ、返事をするとロレインが姿をあらわした。
「お疲れではありませんか?」
入ってくるなり胸に手を当てて敬礼しそうになるロレインに、慌てて駆け寄りその手を押さえる。誰が見ているか分からないし、何より、今のリューネリアは単なる一官僚という役割に過ぎない。
「大丈夫です。それよりも、あなたも少しぐらいゆっくりしても良かったのに」
ずっと騎馬で来ていたロレインは、断然リューネリアよりも疲れているはずだ。それなのに疲れなどひとかけらも見せない涼しい顔をしている。
それにしても、すぐに部屋へとくるとは何か心配ごとでもあるのだろうか。
怪訝に思っていると、ロレインが再び姿勢を正す。
「リリア様。念のため、部屋を調べされていただきます」
丁寧に頭を下げる彼女に、慌ててそれを止めさせる。そして小声で囁く。
「侯爵令嬢が、単なる査察補佐官などにそのような態度を取られる方がおかしくありませんか?」
「いいえ、あの方より命を賜っております。出来る限りのことをするのが騎士としての私の仕事です」
誰からだとはっきり名前を出さないあたりが、ロレインの優秀なところだろう。それにどうやら態度を改めてくれるつもりはないらしい。
思い返せば確かに、コーデリア達とお茶をしていた時も、ロレインはどちらかと言えば無口な方であった。いつも遠慮がちな態度だったが、仕事となると彼女は一歩も引く気はないらしい。
仕方なくため息をつき、どうぞと部屋を調べる許可を出す。
「ロレインたちの部屋はこの近くかしら?」
「はい。おそれながら同じ階に用意をしていただきました。あとで部屋をお教え致しますので、何かあればいつでも声をかけて下さい」
寝台の下や絨毯等をめくりながら、頼もしいことを言ってくれる。確かに、今までどこに行くにもニーナと一緒だったのだ。本心を言えば、全く不安がないわけではない。
「ありがとう。心強いわ」
ロドニーには悪いが、ロレインの方が同じ女性ということと正式な騎士というだけあり、数倍の安心感がある。感謝を込めて心より礼を口にした。
「出来るかぎり、リリア様のいらっしゃる部屋には私かバレンティナが控えます。どうぞ心おきなく仕事をなさって下さい」
部屋を一通り調べ、不審なところはなかったらしく一礼して部屋から出ていった。
さて、と再び部屋の中央へと立つ。そして荷物へと目を向ける。
今夜は領主が査察官の歓迎の為の宴を用意してくれたらしい。
それなりの格好をしなければならないだろうが、今は単に査察官補佐という身分だ。王女のように身を飾らなくてもいいというのは意外にも気が楽だった。
しかも染めた髪は茶色で、いつもの雰囲気と違う自分を見るのもなかなか楽しい。
荷物の中からドレスを出す。飾りの少ない簡素なドレスで、いつもリューネリアが日中に来て過ごす部屋着よりも生地の質は劣る。それでも、今の自由をありがたく思ってしまう。それもこれも、リューネリアを快く送り出してくれたウィルフレッドのおかげだ。
リューネリアは胸に手をあてて指輪があることを確認すると、改めてきちんと査察官補佐としての仕事をしようと、そっと心に誓った。