11.情報収集(取って食おうというわけでは)
リューネリアの一日は、午前中は王子妃としての教育――主にヴェルセシュカ形式の礼儀作法、歴史や法令の授業など――を受け、昼食後はウィルフレッドの執務を手伝いながら、エリアスに国政を学ぶ。仕事は夕方までしか手伝わせてもらえないので、夕食後からがリューネリアの自由時間だ。
大抵、その時間は侍女たちとの歓談になってしまうのだが。
パルミディアから連れてきた侍女たちと婚姻の儀の後に入れ替わりとして新たに付いた侍女は、ニーナを含め七人だ。身元はエリアスによって確認されているので大丈夫だろう。それに、ニーナも目を配ってくれているので、それほど心配はない。それに、彼女たちから知る王宮内の噂話もなかなか侮れない。
「殿下には現在、三人の恋人がいらっしゃるという噂ですよ」
左手の指を三本立てて声を落としながら、いかにも真剣な顔をしてみせているのは侍女たちの中でも、王宮勤めが最長のダーラだ。年齢は二十代後半だが、勤めが長いだけあってヴェルセシュカの王宮でのしきたりには詳しく、新しい生活に戸惑いを見せるリューネリアにさり気なく教えてくれたりする。しかも侍女の中ではリューネリアに一番近い位置にいるニーナを立てつつ、やはり国が違えば侍女としての礼儀も違うらしく、その辺りの面倒もそれとなく見てくれ、侍女の中では頼りになる存在だ。
もちろん、勤めが長いだけ王宮内の事情にも詳しい。
博愛主義を認めている妻というのも彼女たちからしてみれば奇妙なものにみえるようだが、そこは身分の高い人たちの考えることだ。侍女ごときの常識には当てはまらないという現実を幾度も見てきているらしく、意外とすんなりとリューネリアの持論は受け入れられた。だが、一方で彼女たちの想像力の逞しさに、リューネリアは舌をまかずにはいられない。
一応、彼女達の前でもリューネリアとウィルフレッドは仲が良く見えているようだが、リューネリアにしてみれば、あんなにも恥ずかしい思いをしているのだ。見えてもらわなければ困る。
そんなわけで、侍女たちが仕入れてきた情報を聞くと、ウィルフレッドは博愛主義だと言われているが、昔はともかくとして今現在、手当たり次第というのではなく、実際には特定の女性としか付き合っていないようだ。
「ランス公爵夫人コーデリア様、ソーウェル公爵令嬢ロレイン様、ヴァーノン子爵夫人ビアンカ様」
一人ずつ指を折りながら告げたのは、一番年若いナタリアだ。若いだけあって彼女は侍女たちの中でもずば抜けて元気だ。
しかし彼女の口から出た敬称にギョッとする。
夫人というのは当然、結婚している人につけるので、三人のうち二人が既婚者ということになる。未婚者はうち一人。
どうみても遊びにしか見えない。いや、遊びだと豪語しているのだから問題はないのか。
くらりと眩暈を感じ、思わず片手で目を覆う。
確かにウィルフレッドがどれだけ女性と遊ぼうが問題はない。だが、本当に女性たちも遊びだと思っているのだろうか。
しかし、その中の一人の名に、リューネリアは記憶に引っかかるものがあった。
「ねえ、ランス公爵夫人には確かお子様がいらっしゃったわよね?」
目を覆っていた手を除けて、侍女たちを見渡す。自分の覚え間違いでなければ、彼女は――。
「はい。四歳になるお嬢様がいらっしゃいます」
日頃は無口なヘレンが静かに肯定した。
お嬢様……ならば、間違いではないはず。
パルミディアとヴェルセシュカの休戦条件として交わされたのは、お互いの人質交換だ。パルミディアからはリューネリアが婚姻という形ではあるが、ヴェルセシュカに嫁いできた。では一方、ヴェルセシュカからパルミディアへはどうなっているかといえば、現在、ヴェルセシュカ王家には人質として出せるような適当な人物はいない。唯一当てはまるのが、現国王の姪の子供。ランス公爵夫人がその姪にあたる。つまり彼女の子供こそがパルミディアへの人質として差し出される最有力候補なのだ。しかし年齢は四つ。それはあまりにも酷である。ここはパルミディアが譲歩という形で、彼女が十歳になるまで保留という形を取ることとなった。もちろん、それがパルミディアには不利だということも考慮した上で、西の大国ルーヴェルフェルトの王族から一人、長期留学という形でパルミディアに留まるという形をとってくれている。つまり、もしヴェルセシュカがパルミディアへ宣戦布告をするものなら、ルーヴェルフェルトも敵に回るということになるのである。が、これはあくまでも表面的なものであって、実際に再戦されるものならルーヴェルフェルトは傍観することも考えられるのだが――。
難しい顔をしてしまっていたのだろう。ダーラが慌てたように言い添えてきた。
「皆さま、別に寵を競おうとしていらっしゃるわけではありませんよ。殿下のご婚約が決まっても変わらずお付き合いをされていますし、同類って感じではないのでしょうか」
その言葉に、他の侍女たちも頷く。
同類――。
愕然とするリューネリアに、傍で話を聞いていたニーナも信じられないといった顔をしている。
パルミディアではあまり褒められるべきではない社交術が、ヴェルセシュカでは華やかに展開していることに、もはや二の句が告げられなかった。
「ですが、殿下がリューネリア様に向ける眼差しは他の女性に向けるものとは別物ですよ」
安心させようにと思ったのか、もう一人の最年少の侍女であるバーニスが頬を赤くしてつけ加えた。
すると周囲の侍女たちも色めき立って同意する。
「もう、なんていうのか……、見ていることらが恥ずかしくなるほどですから」
「そうそう、思わず叫びたくなりますわ」
口々に言われ、リューネリアは顔が引きつる。
確かに、ウィルフレッドは人目も憚らずに触れてくる。ちょっと待てと言いたくなるほどだ。それを、身の回りの世話をしてくれる侍女たちに見られているのだ。王宮内の情報を網羅している侍女たちの口から、仲がいいという噂をばら撒くためとはいえ、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
真っ赤になったリューネリアに、再び侍女たちが恥ずかしげもなく言い始める。
「わたし、もうリューネリア様を尊敬しますわ。ただでさえお美しい殿下に見つめられて平気でいられる人なんて、そうそういらっしゃらないですもの」
「あら、それはもう慣れていらっしゃるのではないのかしら」
「そうですわよね。毎日寝起きを共にされているんですもの」
ほぅっとため息をつきながらの発言である。
そうなのだ。
朝、彼女たちが起こしに来るのだが、大抵、その時もリューネリアはウィルフレッドの腕の中で眠っているのだ。眠る時から起きる時まで解放されることはない。これは毎日だ。
その状態を毎朝、起こしに来る彼女たちに見られているのだから、もうそれだけで勘弁して欲しいところだ。こんなことを口に出して言われると余計にでも恥ずかしさが増す。
背中にじわりと嫌な汗が浮かぶ。
余裕の笑みでも浮かべていれば上等なのだろうが、真っ赤になった顔でそんなことをしても意味はない。
そんなリューネリアをニーナは気の毒そうに見て、空になっていたカップにお茶を注いでくれた。
どんどん過激になっていきそうな話に、どうにか軌道修正を加えなければ、とリューネリアは考える。
「と、ところで、その三人の方々はどういった方なのかしら?」
もちろん、彼女たちなら知っているだろう。
聞いたところによると、ミレス公爵夫人は三十歳近くの美女で、やはりヴェルセシュカ国王の姪だった。つまり、ウィルフレッドの従姉になる。ソーウェル侯爵令嬢は騎士団に所属し、銀髪の美しい女性で、同性からも絶大の人気があり、話をしながら侍女たちも頬を赤く染めていた。ヴァーノン子爵夫人はもともと商家の娘で、見初められて子爵家に入ったというだけあって、美しくそして聡明な女性ということだ。
頭の中で、それぞれを記憶に留めておく。
いつか出会う機会があるかもしれない。
その時の対応も考えておかなければならないだろう。
だが、そのいつかは思いのほか、リューネリアが対応を考えるよりも早くに訪れてしまった。
昼食後、侍女と護衛の騎士を伴って、いつものように執務室へと向かっていると、ちょうど目的の部屋から出てきた女性がいた。侍女ではない。金の髪を結いあげて、青いドレスに身をつつんだ女性は、リューネリアに気づくとそれは綺麗に微笑した。年のころは二十代半ばぐらいだろうか。結いあげた髪にはドレスと共布で作った飾りがさしてある。
扉の前で侍女と別れた後、彼女は立ちふさがる護衛の騎士を手で制すと、リューネリアの目の前までやって来た。
「ごきげんよう、リューネリア様」
軽く膝を折って挨拶され、リューネリアもそれに答える。
一応、王子妃であるリューネリアの方が身分は上のはずである。それでも護衛の騎士たちが彼女に従うということは、彼女もそれなりの身分のある者――王族に連なる者であろうか。しかし、ヴェルセシュカの王族の顔は全て覚えているので、はじめてみる彼女は王族ではないはず。
訝しんでいると、青い瞳を煌めかせて彼女は名乗った。
「コーデリア・エルシー・ランスと申します」
告げられた名に、息をのむ。
ウィルフレッドの恋人の一人で、パルミディアへの最も有力である人質候補を娘に持つ女性だ。
執務室の扉の前にいる衛兵たちも、ウィルフレッドの恋人たちの噂を聞いているのだろう。引きつった顔をしている。どうやら間違いはないようだ。
護衛の騎士も一応控えてくれてはいるが、彼らの身にまとう空気が冷ややかなのは気のせいではないはず。
それでも彼らに恐れも見せず、コーデリアは堂々とした態度を崩さない。
「ずっとお会いしたいと思っておりましたのよ」
ウィルフレッドの恋人と言われているわりに、リューネリアに対して敵愾心を見せているようには見えない。むしろ青い目を輝かせているのは好奇心のように見える。だからだろう。騎士たちも迂闊に二人の間に割り込める機会を逃してしまっているようだった。
どう答えていいか迷っていると、そっと両手を取られた。
「少し、お時間をいただけません?お茶をご一緒しましょう」
近くに寄った彼女からは、花のような良い香りがした。
「あの、ですが今から殿下の手伝いを……」
彼女の本意がつかめず、湧き上がってくるのは警戒心だ。遊びだと割り切っているとはいえ、それはやはりウィルフレッドだけかもしれない。
警戒していることが伝わったのか、彼女はニコリと微笑んだ。
「では、お許しをいただきましょう」
そう言うなり、手を握られたまま執務室へと身体の向きを変えた。さすがに制止しようとした騎士たちを留めたのは、今度はリューネリアだった。彼女は一応ノックをして、中からの返事も待たずに扉を開け放つと、慣れたようにつかつかと部屋に押し入った。
「殿下。妃殿下をお借りしますわね」
部屋にはウィルフレッドとエリアスがいた。二人とも、挨拶もなしに用件だけを告げたコーデリアの行動と、彼女の背後で手をつかまれているリューネリアを、時が止まったように固まって見ていた。完全に事態がのみ込めていない顔だ。
「では、失礼しますわ」
許しもなにも、一方的にコーデリアは告げることだけすると、略式の礼をする。
「お、おい。待て!」
ウィルフレドがさすがに慌てて立ち上がった。
「待ちませんわ。さ、行きましょう」
言い置いて、くるりと向きをかえて部屋を出ていこうとするコーデリアに、有無を言わせず連れ出される。無情にも扉は背後で音を立てて閉まった。
状況がのみ込めていない騎士たちは、付いてこようとしたがすぐに執務室の扉が勢いよく開き、動きを止めた。
「ちょっと、待て!」
珍しく声を荒げてウィルフレッドが追いかけてくる。
「別に取って食おうといわけではありませんのよ。すぐにお返ししますわ」
楽しそうにコーデリアは笑い、歩むことを止めない。
そんな二人の慣れたような言葉の掛け合いと態度に、やはり彼らは特別な関係なのだと窺うことが出来る。
リューネリアは心を決めると、ウィルフレッドを振り返ってから告げた。
「ちょっと行ってきます」
大丈夫だと思いたい。
軽く頷いて、取りあえずコーデリアについていくことにした。
残されたウィルフレッドは呆然としたまま見送ることしか出来ず、騎士たちは遅れを取りながらもコーデリアに連れ去られるリューネリアの後を追いかけてきた――。