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あした  作者: 秦江湖


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7/7

いなくなった夜

そのコンビニの自動ドアが、初めて静かに感じたのは、中二の冬の終わりだった。


その日も、いつも通りのコースで家に帰ってた。


部活はとっくにやめてて、放課後の時間はスカスカ。どこか寄り道するほど仲いい友達もいない。


だから結局、学校と家のあいだにあるそのコンビニへ、吸い寄せられるみたいに足が向く。


――どうせ家行っても、誰もいないし。


鼻の奥が冷たくなる夜の空気の中、薄汚れたアスファルトを踏んで歩く。黄色い看板が見えると、なんとなくホッとした。


自動ドアの前に立つと、機械音声。


『いらっしゃいませー』


蛍光灯の白い光が、ガラス越しにこっちまで流れてくる。ホットスナックのケースの向こう、レジに――いつもの金髪ピアスの兄ちゃんを探す。


……いない。


代わりに、見知らぬおじさんがエプロン姿で立っていた。髪は薄くてメガネ。「店長です」って顔。


(なに、今日休み?)


そんな日もあるかと思いながら店内をぐるっと回る。肉まんの前で少し迷って、からあげ棒を一本だけレジに持っていく。



「……これ」


「はい、からあげ棒ひとつね。三百四十円になりまーす」


マニュアル通りの声。


「袋、どうする?」

「いらない」

「はいよ」


普通のやりとり。なのに、からあげ棒を受け取った瞬間、胸のどこかがスカスカしてるのに気づいた。


「中二」とか「明日」とか呼んでくる、眠そうな声がどこにもない。



レジの奥もバックヤードのドアも、一応目で追ってみる。でも、金髪もピアスも見えない。

会計を済ませて自動ドアを出る。夜の空気が、さっきより刺さる。


(まあ、たまたまシフト入ってないだけっしょ)


そう自分に言い聞かせる。


店の横の灰皿。いつもなら兄ちゃんが腰かけてタバコ吸いながら「おつかれー」とか言ってる時間。でも今日は誰もいない。


白線の剥げた駐車場が、やけに広く見えた。


からあげ棒をかじりながら、しばらく突っ立っていたけど、寒さに負けてマフラーを巻き直し、家に向かう。


その日は、それで終わった。



次の日も、その次の日も、同じ時間にコンビニに寄った。


でもレジに兄ちゃんが立ってることは、一度もなかった。いるのは店長っぽい人と、たまに入る大学生っぽい女の人だけ。茶色いパーカーも、じゃらじゃらしたピアスも、どこにもない。



三日目の夜。


さすがに気になって、からあげ棒をレジに持っていったついでに聞いてみた。

「あのさ」

「ん?」

「前まで夜いた、金髪の兄ちゃんは」

「金髪?」


店長がきょとんとする。


「ピアスいっぱいつけてて。ちょっと眠そうな目の。……いつもレジやってた人」

「ああ……あいつか」


やっと思い出したような顔になる。


「やめたよ、あいつ」

「……やめた?」


「うん。先週だっけかな。急に“今日で最後です”って。色々あったみたいでね。ま、若い子はそういうもんだろ」


「色々」のところだけ、少し声が濁る。こっちの顔色なんて気にもしてない調子で、レジは進む。


「三百四十円ね」

「……はい」


トレーに小銭を置く指先が、ちょっと震えた。


「領収書いる?」

「いらない」

「はいよ」


レシートには、兄ちゃんの乱暴な数字じゃなくて、ただの印字だけ。


「急に、なんで」


気づいたら口が勝手に動いてた。


「ん?」

「急にやめたの。……なんで」


「さあねえ。家の事情とか、そんなんじゃないの。学生のバイトなんて、そんなもんだよ」


そんなもんで片づけないでよ――と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、からあげ棒を握りしめたまま店を出る。



外の空気が、さっきよりもっと冷たい。


駐車場の端っこで、看板を見上げる。黄色いネオンは何事もなかったみたいに光っている。店内BGMも、からあげ棒の湯気も、全部いつも通り。


違うのは、「お前さ」とか「明日」とか呼んでくる声が、どこにもないってことだけ。


(……なんで、なんも言わないでいなくなんの)


店長の「そんなもんだよ」が、頭の中で何度もリピートされる。


そんなもん、ってなに。


ウチには、「そんなもん」で済ませられるほど軽くなかったのに。家でも学校でもない場所が、やっとちょっとだけ見つかった気がしてたのに。


からあげ棒にかじりつく。いつもより味が薄い。油の匂いだけがやたら強くて、胃がむかむかする。



家までの道が、やけに長い。マンションの窓の明かりがバラバラに灯っている。どの窓の向こうにも「ただいま」とか「おかえり」があるんだろうなと思うと、ムカついた。


(どーせみんな、勝手にいなくなんでしょ)


父親だってそうだった。ある日突然、荷物が消えてた夜。「お父さんは?」って聞いたら、母親が「知らない」とだけ言って、テレビの音だけがやたらでかかった。


あのときからウチの中では、「大人は説明しないで消える生き物」になってる。コンビニの兄ちゃんも、そのカテゴリにきれいに収まっただけ。


……そういうことにしようとした。




家に着いて、暗い部屋の電気をつける。テーブルのコンビニ袋、洗ってない茶碗、電気代の封筒。いつもの光景。


ジャージのまま床に座り込み、スマホを取り出す。連絡先アプリをスクロールする。当然、兄ちゃんの名前なんてない。そもそも本名も、年齢も、住んでる場所も知らない。


知ってるのは、金髪でピアスじゃらじゃらで、「からあげ棒、あついから気ぃつけろよ」って言ってたコンビニ店員だったことだけ。


そんなの、「いなかった」のとほぼ同じじゃん、って思う。それでも確かにそこにいた時間が体のどこかに残ってるから、余計タチが悪い。


布団に倒れ込んで、天井をにらむ。蛍光灯のカバーに、小さな虫が一匹、潰れてへばりついている。



(バイトやめるくらい、別に、言うほどのことじゃないし)


頭の中で、もう一人の自分が淡々と言う。


(ウチ、ただの客だし)


「常連」って言われたことはあっても、「友達」とか「仲間」なんて言われたことはない。兄ちゃんにとってウチは、百何人いる客の中の一人。たまたまよく来る中坊の女。


そんなもん。


そんなもんだって言い聞かせれば言い聞かせるほど、胸の奥がチリチリ焼ける。


「……どうでもいいし」


天井に向かって呟く。その言葉を吐くときだけ、少し楽になる。本当はどうでもよくないって、ちゃんと分かってるのに。




次の日から、コンビニに行く回数を少しずつ減らした。行っても必要なものだけ買って、さっさと出る。からあげ棒もあんまり買わなくなった。レジの奥を探す癖も、だんだん薄れていく。


黄色い看板は、ただの「通り道の目印」に戻った。家と学校のあいだにあった三つ目の場所は、静かに消えた。



――人ってさ、なんか言ってくれる前に、勝手にいなくなる。


その認識が、あの冬にウチの中で、ほぼ完成した。先輩《あの兄ちゃん》が、ちゃんと「いなくなります」って言わなかったから。


でも、このときのウチはまだ知らない。何も言わないで消えた、って決めつけてるだけで、本当はあっちにもあっちの事情があったことを。


それを知るのは、ずっと先。黒髪になったあいつと、また夜の灯りの下で向き合う頃の話だ。

今はまだ、中二のウチが布団の中で天井をにらみながら、何回も同じ言葉を繰り返してるだけ。



――どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。


そうやって、自分の傷に、薄いガムテープを雑に貼っているだけだ。




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