やり過ごす技術
数学が終わって、次の英語までの五分。
教室のざわざわが一気にでかくなる。
「ねえ神崎、今日マック寄ってかない?」
前の席のきっちりした女子が振り返る。
「無理。金ない」
「また〜? バイトしなよ」
「未成年搾取とかマジ無理なんで」
ほんとはジムの掃除で小銭はもらってるけど、説明するのはだるい。彼女は「ふーん」と流して、別の友達としゃべり始める。
高橋が数学ノートを閉じてこっちを見る。
「英語プリント、昨日のやってきた?」
「やってない」
「だと思った」
プリントを一枚抜いてウチの机に置く。
「名前だけ書いて出しな」
「高橋、マジ神。結婚して」
「いやそれは遠慮する」
そこへ英語の先生が入ってくる。ざわざわがしぼんでいく。
ウチはプリントの名前欄に「神崎 明日」とだけ書いた。
「じゃあ昨日のプリント、出してない人はあとで職員室まで持ってきてね」
何人かが「やべ」とか言ってる中、ウチはプリントを重ねて机の中へ突っ込む。
——出しても出さなくても、大差ない。
ウチも多分、その辺のゾーン。
それでも完全に切り捨てないでいられるのは、高橋がさりげなく助けてくるからだ。
「やりなよ」と押しつけず、「名前だけでも書きなよ」とハードルを下げてくる。
ありがたいけど、借りを作るみたいで、落ち着かない。
「じゃあ、次、神崎」
名前を呼ばれて少し背筋を伸ばす。英文を適当に読む。発音なんか気にしない。先生が「もう一回」と言いかけて、やめるのが分かる。
——賢い大人は、ちゃんと見切りをつける。
父親も、たぶんそうだった。母も、どっかでウチのこと切り捨ててんのかもしれない。
「ナイス、神崎。意外と読み方ちゃんとしてた」
「意外とは余計」
「褒めてるのに〜」
高橋は笑って前を向く。ウチも口元だけ緩める。
——そこそこ笑って、そこそこ真面目っぽくしておけば、「完全に終わってる子」には見えない。
退学まではいかない、留年もギリ回避できそうな地点。そこに自分を置いて、やり過ごす。
昼休み。少し離れた窓際で、ウチはコンビニおにぎりの袋を破る。ツナマヨ。
「またそれ? あきないねえ」
高橋が、ちゃんとした弁当のふたを開けながら言う。色とりどりのおかず。
「ツナマヨは正義だから」
教室のあちこちで笑い声と「昨日さ〜」「マジそれな〜」が飛び交ってる。
ウチは、その輪の中に入りたいわけじゃない。でも、完全に外でもない。高橋が隣にいるから、ここは一応「自分の場所」と呼べるのかもしれない。
「ねえ神崎」
「ん」
「進路調査票、出した?」
「出してない。てか、書いてない」
「だよね」
「“だよね”って何」
「ううん、なんとなく」
高橋は苦笑して、カバンからプリントを取り出す。
「先生から預かったやつ。神崎、まだって言ってたから」
白い紙に「進路希望調査」の文字。第一志望、第二志望、専門学校、就職、その他。
「書くことないんだけど」
そう言うと、高橋は少し真顔になる。
「書くことないなら、空欄でも一応出したほうがいいよ。“何も考えてません”ってサインにはなるから」
「それサインしたくなくね?」
「しとかないと、先生たちが勝手に“就職希望”扱いにするよ、多分」
「は? 勝手に決めんなよ」
「だから、一応自分で出さないと……って、先生が言ってた」
うざ。マジで進路とか無理。
「まあ、まだ書かなくてもいいけどさ。締切ギリギリには、ね?」
「ギリギリなら得意だから」
「そういう意味じゃないって」
また笑い声。ウチも鼻で笑う。
——二十歳とか三十歳とか、想像できない。
ジム通って、サンドバッグ殴って、コンビニでおにぎり買って、たまにファミレスでだべって。その繰り返しが、ずっと続くわけないのは分かってるけど。
心の中で、またつぶやく。
どうせ、何書いたって、ウチの人生なんか、ろくな方向には転がらない。
だったら今は、「どうでもいい」って顔して、今日一日をやり過ごすしかない。




