今日もギリギリ
一時間目が終わるチャイムが鳴ったとき、ウチはまだ駅から全力疾走してた。
「……っは、マジ、しぬ」
校門の前で膝に手をつく。冬の空気が肺に刺さるみたいに冷たくて、喉の奥がヒリつく。心臓がバクバクしてる。
それでも、ギリ一時間目は出席扱いになる時間だ。たぶん。
上着のポケットからスマホを出す。時刻と、母からの「今日遅くなる」のLINE。
どうでもいい。
既読つけるのもだるくて画面を消し、ブレザーの裾を引っぱりながら校門をくぐる。
門のところのオッサン教師が、あからさまに眉をひそめた。
「神崎。またか」
「おはよーございまーす」
ポケットに手を突っ込んだまますれ違う。視線が、ウチの髪とピアスとネイルを上から下までなぞっていく。
ミルクティー色のセミロングは根元が黒くプリン。左耳に小さいフープピアス二つ。ネイルはベージュにラメ少し。校則的にはアウト寄り、でも完全アウトまではいかないライン。
「ホームルームには出なさいって、何度言った?」
「出てましたよ? 心だけ」
「そういうの言わなくていい」
ため息をつかれて、肩をすくめる。
昇降口でローファーに履き替え、窓ガラスを鏡代わりにのぞく。アイラインで跳ね上げた目尻、マスカラで盛ったまつげ。曲がってたネクタイを指で真っ直ぐにする。
「……よし」
二年三組の教室のドアを開けると、何人かの視線がかすめた。黒板には「数学Ⅰ」。前のほうでしゃべってた男子が一瞬黙って、またどうでもいい話に戻る。
「おそーい、神崎」
窓際後ろから二番目。隣の席から顔を出したのは、高橋。唯一そこそこ話す女子。
「一時間目、でた?」
「出てない。今からがウチの一時間目」
「はいはい。ノート写させてあげよっか?」
「神。マジ感謝。なんかあったらスタバおごる」
「スタバの前に、まず授業出ようね?」
高橋は笑いながらノートを半分こっちにずらす。細かい丸文字が真面目そう。
「神崎。遅刻届、あとで職員室に出しに来なさいよ」
教卓の前で数学の先生がじろっと見る。
「はーい」
片手だけ上げて座る。心の中では「別に出さなくてもよくね?」って思いながら。
窓の外では、サッカー部が準備運動してる。白い息が空に溶けていく。
あー。今日も、一日、長ぇな。
「神崎、教科書」
「はいはい」
高橋に小突かれてカバンを開ける。中身はプリントとイヤホンと割り箸がぐちゃぐちゃ。教科書を引っ張り出すと、ページの端が折れてて、シャーペンの芯がポロっとこぼれた。
「相変わらずだね、そのカバン」
「芸術は爆発ってやつ」
「それ違うから」
笑い声。ウチも口角だけ上げておく。
——適当に笑って、適当に合わせてれば、その場は回る。
別に、仲良くなりたいわけじゃない。深く関わるつもりもない。
どうせ、誰かと本気でくっついたって、いつか勝手に離れてくでしょ。父親だってそうだったし。中学のときの、あの人だって。
チャイムが鳴いて、先生が黒板に数式を書き始める。ウチは机に頬杖をつきながら、頭の中でべつのリズムを刻む。
——今夜、ジム。
——サンドバッグ。
——汗。
——殴る音。
それだけ考えてれば、とりあえず息はできる。
「神崎。ちゃんとノート取れよ」
「取ってまーす」
実際には、ノートの端に意味のない落書きを増やしてるだけ。テストで赤点取ったって、死ぬわけじゃない。……進級できなかったら、ちょっと困るかもだけど。
どうでもいい、どうでもいい。
そう言っておかないと、全部が重すぎて、呼吸できなくなる。




