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仮面の下の吐息と焼きたての夢

「ば、馬鹿な!暗殺ギルドの精鋭が、返り討ちだと!?しかも、全員が生きているだと!?あれは、わしへの脅しだ……『次は貴様だ』という脅しに違いない!」


彼は恐怖と激しい苛立ちで、自室に戻るなり、部屋中の花瓶や装飾品を叩き割った。


「どうする!どうすればあの忌々しい『影の牙』を潰せるのだ!?」


領主は、酒瓶を呷りながら、疲れ果てて自室の椅子に身を沈めた。その瞬間、彼の背筋に冷たいものが走った。


部屋の隅、暖炉の火の光が届かない闇の中に、フードの付いたローブを纏った一人の人影が立っていた。

フードを深く被り、顔は鉄の仮面で完全に覆われている。細身だが引き締まった体つきで、腰には殺傷力に特化した細身の剣を差している。その剣は、四代目お頭の剣と似たよう見えた。


恐怖で声も出ない領主に対し、仮面の盗賊は静かに、そして冷たい声で話し始めた。


「ご機嫌よう、領主アルベルト殿。夜分遅くに失礼いたします。わたくし、『影の牙』の五代目お頭、ギンと申します」


領主は、顔面蒼白になり、後ずさりした。まさか、自分の寝室にまで敵が入り込んでいるとは。領主邸の警備は、この街で最も厳重なはずだ。


「き、貴様……どうやってここに!?」

「どうやって、ですか。それは、あなたが今知ったところでさして意味がないでしょう。それよりも、あなたの部下たちは皆、血の匂いがしない平和な強奪方法に驚いて、目を凝らしていましたが、まさか、その『誰も傷つけない』という手法が、同時に『誰も気づかせない』ための回避と潜入の極意だとは思いもしなかったのでしょうね」


ギンの体は、幼い頃から滝行で水圧を耐え、崖の上から転がされる大岩を躱し続けることで、極限まで研ぎ澄まされていた。彼女の動きは、音もなく、風もない。彼女の潜入術は、「早朝、近所迷惑にならないように静かに作業をこなす」という、パン屋の夢を叶えた時のために磨き上げた体幹とバランスの極致であり、それはプロの暗殺者すら凌駕するレベルに達していたのだ。


  ───パン屋の朝は早いんだから近所迷惑を考えるのは当然よね。



ギンは、静かに懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに置いた。


「本題に入りましょう、アルベルト殿」

「わたくしどもは、あなたがこれ以上『影の牙』にちょっかいを出すことを望みません。もし、あなたが再び冒険者ギルドや、暗殺ギルドや盗賊ギルドといった裏ギルドのような血生臭い輩を使ってわたくしどもに手を出そうとするなら……」


ギンは、置いた羊皮紙の端を、指先で叩いた。


「これを、街中に公開させていただきます」


領主は、テーブルに置かれた羊皮紙に目をやると、そこには、これまで領主が行ってきた悪事の詳細が書き連ねられていた。


『日照税』や『井戸税』といった悪税の私的流用はもちろん、彼が裏ギルドを使って暗殺を依頼した貴族たちの名前、さらには、彼が不正に土地を買い占めるために行った脅迫行為の記録まで、すべてが緻密に記録されていた。


「こ、これは……!馬鹿な、なぜこんなものが!」

「なぜでしょうね。あなたは、人が丹精込めて作った物よりも、金目の物しか見てこなかった。しかし、私たちは違います。略奪品の中には、あなた方の悪事の証拠となる文書も含まれていたのですよ。あなたが金目の物以外には無関心であったからこそ、私たちはここまで深くあなたの悪事にたどり着けた」


ギンの声は、感情を抑えた低いトーンだったが、領主にとってそれは、冷酷な死刑宣告のように響いた。


 領主は、震える手でテーブルを掴んだ。


「警備兵!警備兵を呼べ!すぐにだ!」


彼は大声で叫び、部屋の隅にある召喚用の鈴を乱暴に振った。


「無駄ですよ」


ギンは、静かに答えた。


「あなたの警備兵たちは、今頃、安らかに眠っているでしょうから」


領主は信じられず、怒鳴りつけた。


「嘘をつけ!わしの護衛は、この領地で最も強い兵士たちだぞ!」

「ええ、その通り。彼らは確かに強い。しかし、私は彼らを戦闘不能(眠らせた)にした」


ギンは、一歩前に出た。彼女の仮面の奥で、瞳が鋭く光る。


「彼らは、私が動くのを『視る』ことすらできませんでした。彼らの強さは、殺傷術に特化している。ですが、私には無意味です。彼らが剣を振ろうが魔法を放とうが、そんなものが当たらない場所に私はいる。私は回避と防御にはちょっと自信があるんですよ」


ギンの語る「回避術」と「防御術」は、父が彼女を殺すつもりで課した修行の賜物だった。崖の上からの大岩を躱す訓練は、動体視力と反射神経を極限まで高め、真水の滝行で鍛えられた体幹は、どんな体勢からでも体勢を立て直すことを可能にしていた。


領主は、自分の豪華な寝室のドアに目をやった。ドアは閉ざされているが、そこから全く物音がしないことが、ギンの言葉の真実を雄弁に物語っていた。領主邸全体が、まるでこの世界から隔離されてしまったように静まり返っていたのだ。


(全員……殺されたのか!たった一人の盗賊に、わしの護衛兵が皆殺しにされたというのか!)


領主の頭の中で、ギンの「戦闘不能にした」という言葉は、恐怖によって「皆殺しにした」という誤解へと歪んだ。彼は、床に崩れ落ち、震え始めた。


「た、頼む!わ、わしを殺さないでくれ!言うことは聞く!何でもする!」


ギンは、冷酷な目で領主を見下ろした。彼女の心は、血を見るのは嫌だが、この悪徳貴族をここで終わらせなければ、自分の仲間や、パン屋の夢さえも潰されるという強い危機感で満たされていた。


「私の要求は二つです。一つ。『影の牙』への討伐依頼を即刻撤回し、二度とちょっかいを出さないこと。二つ。私たちが『義賊』として活動する限り、それを見て見ぬふりをすること」

「わ、わかった!約束する!全て約束する!だから、どうか命だけは……」


領主は、床に額を擦り付けて懇願した。


「良いでしょう。約束は、命をもって守ってください。次、あなたが私どもに牙を剥いた時、私どもが牙は、あなたの首と、あなたの悪事の証拠を白日の下に晒すでしょう」


ギンはそう言い残すと、音もなく窓から夜の闇へと滑り降りていった。


     ───領主邸から遠く離れた、裏通りの屋根の上。


 ギンは、足を止めた。そして、深く被っていたフードをゆっくりと外し、顔を覆っていた鉄の仮面を外した。冷たい夜風が彼女の顔を撫でる。


「……はぁ」


彼女は、心の底から安堵のため息を吐き出した。


(怖かった……。あの領主、本気で私を殺そうとしてた。でも、誰も傷つけずに済んだ……)


仮面の下の顔は、汗で濡れていた。血を見るのは嫌だが、人を殺すのはもっと嫌だ。領主邸に侵入する際、彼女は、領主邸にアジトから持ち出した大量の眠りの粉を風向きを読んで煙幕のように振りまき領主邸の外回りを警備していた兵たちを眠らせた。


邸内に侵入してからは、眠りの粉とともに父の修行で培われた回避術や防御術も駆使し気づかれないように領主の護衛たちを眠らせ完璧に無力化してしまった。


彼女の耳に、遠くからゴウの指笛が聞こえた。

       ───合図だ。


一仕事終えたギンの心に、再び焼きたてのチーズパンの温かい香りが満ちてくる。


「パン屋……。平和で、温かくて、血の匂いがしない、あのパン屋……」


彼女は、手に持った仮面を見つめた。


「私が五代目でいる限り、盗賊でいる限り、私は自分と、そして仲間たちの居場所を守るために『仮面被り』続けるんだ」



彼女は、自分自身の力を、父が求めた「冷酷な牙」としてではなく、「自分と仲間たちを守っていくための力」として振るうことを決意した。


「よし」


ギンは、仮面を懐にしまい夜空を見上げる。


「ゴウ、ただの盗賊じゃなくて、パン屋になりたい盗賊って言ったけど、これからは違うわね」


彼女は小さく呟いた。


「私は、パン屋の夢も、仲間たちも、影の牙も守って何一つとして諦めないお頭になるわ」


その声は、どこまでも澄んでいて、彼女の心の中に生まれた、新たな誇りを示していた。彼女の夢は、もはや逃げ道ではない。それは、彼女の生きる道、そして「影の牙」の五代目お頭としての新しい使命となっていた。


「それは何とも強欲なことですね」とは、ゴウ。

「当たり前じゃない。だって私は盗賊団のお頭なんだから。お宝を目の前にして引き下がれないわ」


そう笑顔で言うと、彼女は月明かりの下、ゴウと共に影の牙のアジトへと向かい静かに駆け抜けていった。彼女の夢はまだまだ遠そうだ。

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