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寮にて

 ……静まり返った女子寮の一室。


 窓から差し込む月光が、荒れ果てた室内を冷たく照らしていた。床には、簀巻きにされて猿轡を噛まされたシュラと、そのシュラの手下と思われる数名の暗殺者たちが気絶させられ転がっている。気絶しているシュラの手下たちの覆面を剝ぎ、ギンはホッと胸を撫で下ろす。


    ( よかった、影の牙の仲間たちじゃないわ)


「……さて。いろいろと聞きたいことはあるけれど……まず、アナタたちはどういう関係で、この人たちはなんなの!?」


リヴィアが剣を鞘に収めながらも言い逃れはさせないといった感じの険しい顔でギンを問い詰めた。

彼女の右腕の袖は裂け、そこから赤い血が滲んでいる。先ほどの乱戦、模擬戦闘の経験はあれど実戦経験の乏しいリヴィアは、シュラ率いる暗殺者たちの連携に苦戦を強いられた。一方、パジャマ姿のギンと、用務員姿のゴウの動きは、学生と用務員とは思えないほどあまりにも「手慣れて」いた。


「その前にあなたの手当てするから……ちょっと動かないでね」


ギンはリヴィアの追及をいなすように、机の引き出しから小さな薬瓶と包帯を取り出した。


「これ、私が調合した傷薬。少し染みるけど、治りは早いんだよ」


手際よくリヴィアの傷口を清め、自作の薬を塗っていく。その迷いのない指先と、薬草の独特な匂いに、リヴィアは眉をひそめた。


「調合って……貴女、薬学にまで精通してるの……? ただの商家の子女じゃないわね。それにその男、用務員じゃなくて貴女の護衛でしょう?」


ゴウは気まずそうに目を逸らし、転がっているシュラの尻を八つ当たり気味に蹴り飛ばす。


ギンは手を止め、リヴィアの瞳をじっと見つめた。


隠し通すことはできる。だが、この少女は命を懸けて自分を守ろうとしてくれた。そして何より、リヴィアの瞳には、秘密を知ったとしても自分を売るような卑しさなど微塵も感じなかった。


「……わかったわ、全部話すわね。まず私の本当の名前はギン。盗賊団『影の牙』の五代目頭領よ」


リヴィアが息を呑む。


「盗賊団の……お頭? じゃあ、この人たちは……」

「覆面をしていた奴らは知らないけど、リーダー格の男はシュラといって私の部下だった男よ。……まぁ、今は裏切り者だけどね」


それからギンは、エデンの調査のためにアカデミーへ潜入した経緯、そして自分がなぜ、常人なら即死、あるいは廃人となるはずの「エデン」を飲んで、なお無事でいられたのか、その理由を語り始めた。


それは、ギンの意識がエデンの闇に沈んでいく時に見た、忌まわしくも鮮明な「走馬灯」の記憶だった。 


          

           ・

           ・

           ・

           ・

           ・



「お父様、これ……苦いよ。お腹が痛いの」


幼いギンは、震える手で木製のスープ皿を差し出した。

目の前に立つのは、影の牙四代目。冷徹な眼差しで娘であるギンを見下ろす、盗賊団の絶対的な権力者だ。


「それが致死量の半分だ、ギン。そんなものはまだまだ序の口、次はその倍を飲ませる」


四代目の声には慈悲などひとかけらもなかった。


「影の牙という大盗賊団の長となる者は命を狙われることなど多々ある。盛られた毒で死ぬ、などという失態は許されん。身体に刻め。毒を受け入れ、己の血肉とし、どんな毒にも耐性をつけるのだ」


     ────それがギンの「日常」だった。


町の子供たちが、明日の遊びの予定を考え温かいベッドで眠りにつく頃、ギンは内臓を灼くような激痛と戦っていた。口からは毒に染まった青い血を何度も吐き出し、次第に手足の感覚が無くなっていき痛みも感じなくなり気絶する。それから数日寝込んで目を覚まし、自分の部屋の見慣れた天井が目に映ると、今回もなんとか生き延びたと実感できる。そんな生と死の狭間を行ったり来たりする異常な毎日を過ごしていた。


朝食には神経を麻痺させる粉が混じり、夕食には呼吸を止める液体が混ぜられる。

そんな地獄のような修行の傍らで、いつも拳を血が滲むほど握りしめていた少年がいた。若き日のゴウだ。


「……お嬢、すまねぇ。俺にできることはお嬢の無事を祈ることだけだ……すまねぇ、お嬢」


高熱に浮かされ、自室のベッドで喘ぐギンの額を、ゴウは濡れたタオルで何度も拭った。


四代目の命令で、修行を止めることは許されない。介入すれば、ギンへの処罰がさらに重くなることをゴウは知っていた。幼いゴウにできるのは、ただ彼女のそばで、その苦しみを代わってやれない己の無力さを呪うことだけだった。


「ゴウ……いいの。これ、終わったら……また、パックスヴェイルのパン、食べに行こうね……」


意識を失いかけながらも、ギンはゴウを安心させようと微笑みながら呟く。

四代目の過酷な教育の中で、ギンが唯一、修行の苦しみを忘れ、自分が人間であることを思い出せた瞬間。それは、パックスヴェイルのパン屋『まどろみベーカリー』の主人がこっそりと差し出してくれた、毒の入っていない、ふわふわで優しい味のするチーズの入った白いパンだった。


四代目の毒スープが「鼻を刺すようなアンモニア臭や金属臭」だったのに対し、まどろみベーカリーのパンは「焼きたての小麦の香ばしさと、とろけるチーズの濃厚な香り」がしてギンは当時、それを『幸せの匂い』と呼んでいた。


「私の好きなパンには、毒なんて入ってない。代わりに美味しいチーズが入っているの。私はいつか、そっちの世界に行きたいな」


地獄の耐毒修行では味覚を失ってしまう者もいる。だが、研ぎ澄まされたギンの味覚は、失われるどころか皮肉にも「パンの甘み」を感じ取り、いつか美味しいパンが作れる人になるという、パン職人への憧れを強める結果となった。


「……お父様は、私を最強の盗賊にしたかったみたい。でも、私の体質は、お父様の期待とは違う方向に育っちゃったみたい」


ギンは自嘲気味に笑いながら、リヴィアの腕に包帯を巻き終えた。


「今回、エデンを飲んで精神世界に引きずり込まれたのは、きっと新型エデンに魔術的な成分が含まれていたから。私の『身体』は毒を分解して死ななかったけど、『心』までは防げなかった。身体が生きていたからこそ、意識が繋ぎ止められて、帰ってこられたんだと思う」


リヴィアは言葉を失っていた。


目の前にいる牛柄のパジャマ姿の少女が、どれほどの泥沼を歩いてきたのか。

その小さな肩に、どれほどの重荷を背負ってきたのかリヴィアには想像すらできなかった。


「お嬢……」


ゴウが沈痛な面持ちで口を開いた。


「俺は、お嬢があの瓶を煽った時、昔のあの光景が重なって……生きた心地がしやせんでした。四代目のあの狂った修行を思い出して……」

「ごめんね、ゴウ。でも、おかげで確信したわ。エデンは単なる麻薬じゃない。人の心を『都合のいい夢』に閉じ込めて、魂を搾取する毒薬よ」


ギンの瞳に、これまでにない決然とした光が宿る。


「リヴィア。私は盗賊。この国を裏から食い物にしてきた組織の長よ。……それでも、一緒に戦ってくれる?」


リヴィアは、自分の右腕に巻かれた丁寧な包帯を見つめた。

そこには、毒に蝕まれた過去を持ちながら、誰かを癒そうとするギンの優しさを感じた。

リヴィアはゆっくりと立ち上がり、ギンの目を真っ直ぐに見返す。


「……貴女が何者だろうと、関係ないわ。私は、自分の目で見たものしか信じない。私の目の前にいるのは、友達を助けるために毒を飲み、傷を癒してくれた『コハク』という名の少女よ。影の牙なんて関係ないわ」


リヴィアは微笑んだ。騎士としての凛とした美しさと、年相応の少女としての温かさが混ざり合った、最高の笑顔だった。


「それに、そのシュラっていう男には私を傷つけた慰謝料もとってやりたいわ。このまま私だけやられっぱなしじゃ怒りが収まらないもの」

「ふふ、そうね。高めに請求しておきましょう」


ギンとリヴィアは、固く握手を交わした。


その様子を見ていたゴウも、ホッと安堵の溜め息を吐き、ようやく肩の力を抜くと、シュラの襟首を掴み上げた。


「さて、お嬢。この裏切り者共、どう料理しますかい? 簀巻きにして町の兵士詰所の前にでも放り出してやりやしょうか……?」

「いいえ。この人たちは、エデンの黒幕との『パイプ役』として使わせてもらうわ。……シュラ、聞こえているんでしょ?」


ギンが冷徹な声で問いかけると、気絶したふりをしていたシュラの体がビクリと跳ねた。ギンの瞳には、かつて四代目との修行で会得した「毒耐性」を、自分の意志で「生きるための力」に変換した者の、圧倒的な強さが宿っていた。


「三分は過ぎちゃったけど、夜はまだ長いわ。さあ、あなたたちのボスが、どこでどんなパン……じゃなくて、毒を焼いて……じゃなくって、エデンを製造して何の目的でアカデミーにばら撒いているのか、じっくり教えてもらおうかしら」


パジャマ姿の少女は、レイピアの先を裏切り者の喉元に突きつけた。


闇を知り、地獄を越え、それでも光のパンを選んだ少女の、本当の反撃がここから始まる。

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