銀髪の戦乙女?
清らかな水の音が聖都の朝を告げる。
デュアルスターズ・アカデミーの騎士科寮、その一室で目を覚ましたギンは、深くため息をついた。昨日、カイルという名の生徒による「公開告白」の余波は、一晩経っても収まる気配がない。
それどころか、朝食をとるため食堂へと向かう途中の廊下では、左右から「あの方が……」「銀髪の聖女様……」という、むず痒くなるような視線の集中砲火を浴びる始末だった。
ギンは基本的にオシャレに無頓着だ。化粧や服などに金や時間を費やすくらいなら新しいパンのアイデアでも考えていたいと思っており、普段から着飾ることもしない。父である四代目からも「お前は女でせっかく容姿もいいのだから女を武器にしろ」などと言われたがイマイチよくわからなかった。
「女を武器にする」とはどういうことかとゴウに聞いたことはあったが、「お嬢はそんなこと知らなくていいことだ」と言われそれ以上は教えてくれなかった。
デュアルスターズ・アカデミーに入学が決まった時も、ゴウから『お嬢、貴族はケダモノですから気を付けてください』と忠告を受けたが、言葉の意味が理解できず「あの嫌な領主のように豚みたいな貴族もそりゃいるだろうけど、ちゃんと人間だから大丈夫だよ」などと的外れな返答をしてゴウを余計心配させたものだ。
今回の「公開告白」もアカデミーで用務員をやっているゴウの耳にも当然入っており、「盛りのついた分不相応な猿は去勢するのが一番だ」などと言って護身用に隠し持っていたナイフを出し研ぎ始めたゴウに説教をし、ついでにナイフも取り上げた。
そして、そんなギンに。潜入二日目にして最大の難関が訪れた。
騎士科Sクラス、屋外実技――剣術の授業。
手入れの行き届いた中庭の芝生の上で、Sクラスの面々が木剣を手に整列していた。
そこには、昨日の「告白少年」ことカイルの姿もあり、彼はギンが姿を見せた瞬間から、まるで物語に出てくる英雄に憧れる子供のようなキラキラとした視線を送る。
「今日の授業は、基本の型と対人戦だ」
教官のエヴァンズが、手に持った槍の音を鳴らして前に出た。彼はこのアカデミーでも屈指の使い手であり、名門貴族の嫡男たちを指導する立場にふさわしい、厳格な男として知られている。
「コハク。君は編入したばかりだが、剣の経験は?」
「あ、ええと……。少しだけ。父に護身術程度に教わったくらいです……。ですから、その、お手柔らかに」
ギンは精一杯の「か弱い新人生」を演じながら答えた。
彼女のプランはこうだ。
適当に木剣を振り回し、適当なところでバランスを崩して転倒し、「きゃっ、やっぱり私には向いてないみたい」とでも言っておけば、その後は野に咲く花のように目立つことなく授業を見学し静かに周囲を観察できるはずだ。
「完璧な作戦だわ!!」
だが、そのプランは一瞬で崩れ去る。ギンは今、自分が騎士科の、それもエリートたちが集うSクラスいることを思い出したのだ。
あまりにも酷い動きをすれば退学なんてこともありえるかもしれない⋯⋯。
「では、まずカイル。君が手本を見せてやれ。コハクを相手に、基本の打ち込みだ」
「はい! 喜んで!!」
カイルが鼻息荒く飛び出してきた。彼はギンにいいところを見せようと意気込んでいる。その瞳は血走っており、とても「お手柔らか」なんてものは期待できそうになかった。
(うぅっ……なんか鼻息荒いし、ハァハァ言ってるし、どこまで手加減するべきかもわからないし、何なのよもう……)
ギンの盗賊としての、いや、女としての本能が警鐘を鳴らす中、カイルが木剣を上段に構える。
一般的にカイルのとった『上段の構え』は防御無視の攻撃特化型の構えとされている。だが、ギンとカイルでは実力に雲泥の差があるため、カイルが攻撃特化の上段で構えようが、はたまた防御の構えとされる下段で構えようがギンにとっては騎士の真似をして遊んでいる子供と何ら変わらなかった。
カイルという男、剣技はたいしたことないが何か身の危険を感じたギンは一計を案じた。
足の踏み込み、肩の筋肉の収縮。ギンには、彼が次にどこを狙って、どれだけの力で打ち込んでくるかが、スローモーションのように手に取るように分かった。
「では、まずカイル。君が手本を見せてやれ。コハクを相手に、基本の打ち込みだ」
「はい! 喜んで!!」
カイルが勢いよく飛び出した。
上段に構えた木剣は、確かに力強く振りかぶられている。ただ、その踏み込みはどこか浮ついていて、肩に力が入りすぎているのが丸わかりだった。
(……あー、もう。完全に力任せじゃん)
ギンは内心でため息をつきながら、騎士科のエリートが集まるSクラスの実力を疑われない程度に手加減をしようと決め両手で木剣を構えた。
「いくぞ、コハクさん! はぁっ!!」
カイルの木剣が、真っ直ぐ頭上から振り下ろされる。
力み過ぎて速さがなく、それでいて強くもない。ただ、勢いだけはある。
ギンは一瞬、本能的に最小限の動きで躱そうとした。
───まずい、バレる。
咄嗟に判断を切り替えた彼女は、わざと右足を引っかけてバランスを崩し、そのまま尻もちをつく体勢に持っていった。
同時に、座ったまま左手で木剣を握り直し、右足の踵を支点にして腰を半回転させる。
カンッ!
短く乾いた音。
カイルの木剣は、地面すれすれで止められていた。
ギンが座ったまま横薙ぎに払った一閃が、ちょうどカイルが振った木剣を軽く叩き受け流す形となった。
「……え?」
カイルがぽかんとする。
自分の一撃が、座った女の子に軽く受け流れた事実に、頭が追いついていない。
ギンはそのままの勢いで、腰をもう半回転。
カイルの脇を、まるで相手の懐を縫うようにするりと抜ける。
砂埃が小さく舞い、朝の日差しに一瞬だけキラッと光った。
「やっぱり凄いです。私なんてまだまだ……って、あれ?」
その場にいた全員がギンに視線を向け固まっている。
「……今の……」
最初に声を上げたのは教官のエヴァンズだった。
彼は目を丸くしてギンを見つめている。
「座った状態から……片手で剛力を殺して、しかも女子が男子相手に……?
あれは……円を描くような……受け流した?」
カイルはまだ状況を理解できていない様子で、赤面しながら叫んだ。
「す、すごい……! コハクさん、今の動き……まるで、水面を滑る白鳥みたいで……!」
(いや、ただのパリィ( 受け流し)だから)
ギンの心のツッコミは、誰にも届かない。
周囲の男子生徒たちは一瞬固まったあと、ざわざわと囁き始めた。
「おいおいマジかよ?」
「どんな師匠に習ってるんだよ!?」
「護身術って言ってたけど……あれ護身術でできる動きか?」
その喧騒の中で、ただ一人。
教室でギンが威圧のため放った殺気を感じ取った金髪ポニーテールの少女――リヴィアだけが、静かにギンの右手を見つめていた。
彼女の視線は、ギンが木剣を握っていた指の付け根にできた、硬いタコに注がれている。
「……剣ダコ」
リヴィアがぽつりと呟いた。
「何年も努力を重ねてきた手の証……ね」
ギンの背筋に冷たいものが走った。
(まずい。こっちのほうがよっぽどまずい)
リヴィアはゆっくりとギンに近寄り、低い声で告げた。
「午後の戦術講義。あなたの強さの秘密……じっくり聞かせてもらうわ」
そう言い残して踵を返す背中は、すでに戦いを挑んでいる騎士のそれだった。
一方、中庭の隅……
用務員のゴウは、芝生を刈る手を完全に止めていた。
持っていた剪定バサミの刃が、ギチギチ……と悲鳴のような音を立てている。
(お嬢……目立たないって言ったのはどこの誰だよ……!
つか、あのガキ。いつまでもエロい目でお嬢を見やがって許せねぇ。あとできっちりヤキの一つも……)
ゴウの心の叫びは、誰にも聞こえないまま、静かに中庭の空に溶けていった。
静寂が中庭を支配した。
「……信じられん」
真っ先に声を上げたのは、教官のエヴァンズだった。彼は顎が外れそうなほど口を開け、ギンを凝視している。
「今の……見たか? 相手の剛力を殺すだけでなく、その力を利用してカイルの木剣をはじいた。まるで……水の精霊ウンディーネが舞っているかのような、洗練された円舞剣……!」
「素晴らしいッ!!」
一拍遅れて、カイルがそう叫んだ。彼は自分の攻撃が空を切ったことなど気にも留めず、頬を赤らめて興奮している。
「見たか!? 今のコハクさんの足運びを! 踏み込みの際に舞った砂埃が、日の光を反射して、まるでダイヤモンドの粉のように彼女を祝福していた……! ああ、なんという美しさだ。まさに戦乙女! いや、戦場の女神だ!!」
(もう、本当に勘弁して! 目立ちたくないんだってば……)
ギンの内心のツッコミは、周囲の熱狂にかき消された。
他の男子生徒たちも、木剣を握ったまま固まっている。
クラスメートたちの視線が、単なる「可愛い転校生」への興味から、次第に「未知の天才」への畏怖へと変わっていく。
────授業の終了を告げる鐘が鳴る。
ギンは「第二回・公開告白」でも始めそうなカイルから逃げるように、そそくさと木剣を置いて教室に戻った。
背後では、用務員のゴウが、中庭の噴水を掃除するふりをしながら、ギンを追って教室に戻ろうとしたカイルの足元にワザとらしく水を撒き散らしていた。
「あーっと、失礼! 足元が滑りやすくなっておりますので、生徒の皆さんはお嬢……あ、いや、コハクさんから三メートル以上離れて行動してくださーい!!」
中庭では、お嬢にまとわりつく「虫たち」を牽制するように、怒りを含んだゴウの野太い声が響き渡っていた。




