聖都『クリスタリア』
「……よし、こんなもんかな?」
崖の上のアジト。カビ臭い空気の漂う私室の姿見の前で、ギンは自分の姿を点検していた。
いつも身に纏う漆黒の盗賊服でも、粉のついたパン屋のエプロンでもない。紺色のブレザーにチェックスカート、そして首元には丁寧に結ばれたリボン。
この世界の四大精霊が一柱、ウンディーネの祝福を受けた精都『クリスタリア』。そこにある名門校【デュアルスターズ・アカデミー】の制服だ。
「まさか、この歳になって学生服を着ることになるなんてね……」
ギンは苦笑しながら、机に広げられた極秘資料に目を落とした。
道化師を捕らえた後の調べで、恐るべき事実が判明したのだ。エデンの製造元の一部がクリスタリアに潜伏し、アカデミー内で「改悪版」を流通させているという。
元のエデンが三日間眠らずに動ける薬なら、新型は「飲んだ瞬間に深い眠りに落ち、二度と目が覚めない」という薬だった。
「どういうつもりでこんな薬作ったのかはわからないけど、こんなものが影の牙のみんなやパックスヴェイルの人たちを害する前になんとかしなきゃ……」
ギンは拳を握りしめた。
今回はいつもとは違い内部に溶け込み、薬の出どころを突き止めなければならない。であれば、こそこそと屋根裏から忍び込むのではなく、生徒として堂々と正面から潜入するのが一番だ。
このアカデミーには、騎士を目指す者たちが剣術や格闘術を学ぶために通う騎士科、そして宮廷魔道士なんかを目指す者たちが通う魔法科があり、入学するためには、どちらの科も高度な剣技や魔法技術を求められる。それだけではなく、筆記試験もあるため高度な知能も要求される超難関。貴族や王族が通うこのアカデミーでは、平民など数名しかおらず、それも名の知れた商家の子息たちくらいなもので、読み書き計算すらできない盗賊など門前払いが関の山だが、ギンは違った。
(昔、お父様には「そんなものより暗殺術の一つでも覚えろ」って何度も怒られたけど、勉強しておいて本当に良かった……)
彼女はパン屋になるという夢を叶えるため、幼い頃から独学で読み書き計算を完璧に修めていた。さらには、凝り性な彼女の性格が高じて薬学や鑑定学まで学んでいた彼女にとって、編入試験など赤子の手をひねるようなもの。結果は見事、満点合格だった。
────だが、問題はもう一人。
「お、お嬢……本当に、大丈夫なんですかい?」
背後から、沈痛な面持ちで声をかけてきたのはゴウだった。彼はパツパツに弾けそうな新品の学生服を着込み、顔の傷を隠そうとして顔中に絆創膏を貼っている。
「ゴウ、言ったでしょ。あなたは不合格だったんだから、その制服は脱ぎなさい」
「そもそもあの試験問題だって納得いかねえ……! わけのわからねぇ図形の角度だ面積だが何の役に立つって言うんだ!!」
「あのね? どんな問題でも『だいたいこれくれい』なんて答えて正解になるわけないでしょ? それに、 あなたが理事長さんを脅して入学しようとしたのも、全部試験官たちに報告されてるんだからね。生徒としての潜入は絶対に無理よ」
ギンはコンコンとお説教をくらわせ、ゴウの「強引な編入プラン」を粉砕した。
シュンと肩を落とし、泣く泣く学生服を脱ぎ捨てるゴウ。ギンはそんな幼馴染をなだめつつ、一足先に『コハク』としてクリスタリアへと向かった。
ちなみに、見習いとして働いているパックスヴェイルのまどろみベーカリーには、最初こそ「身内に不幸があり帰省することになった」と嘘をついて暇を貰うつもりであったが、いつも世話になっている店主夫妻に嘘はつけないとギンは『アカデミーに合格した』ことを正直に告げてしまった。
そんな店主夫妻からは「アカデミーに合格なんて凄いじゃない。うちにはいつでも戻れるようにしておくから頑張って来なさい」という予想外な温かい言葉をもらい、怒られる事を覚悟して打ち明けたギンは「ありがとうございます」と「ごめんなさい」を繰り返しながら号泣した。
───聖都クリスタリア
精霊ウンディーネの加護で守られ、水晶のように澄んだ水が流れる水路が街中を巡る美しい街。北側には精霊ウンディーネを生み出した女神クリスタとウンディーネを祀る大聖堂が建てられており、街の南側の城壁から見る眺めは壮観である。
ギンもクリスタリアのことは人伝に聞いてはいたが、見ると聞くとでは大違いだ。水路の澄んだ水音が耳に心地よく、遠くの大聖堂が街を守るように輝く姿に息を飲む。想像以上だ。
デュアルスターズ・アカデミー。その学び舎の門を、ギンは「編入生コハク」としてくぐり、職員室の奥にある校長室の扉を開けアカデミーの校長に挨拶をしていた頃、校門の前では一人の男が立っていた。
「……これだ。これしかねえ」
ゴウだ。
彼は試験の際、不合格通知を突きつけられて絶望しながら校門を去る途中、校門に貼られていた一枚の張り紙を目にしていたのだ。
その張り紙には
『急募:用務員。体力に自信のある方。学園の備品修理および清掃全般』
と、書かれていた。
ゴウの目が、獲物を狙う盗賊のそれへと変わった。
「計算ができねえなら、掃除と修理で潜り込んでやる。お嬢一人をこんなケダモノ貴族共ばかりが通うケダモノの巣窟に放り込めるか!」
ゴウは即座に校門に貼られていた求人の紙を手に取りアカデミーの事務局へ乗り込んだ。
最初はゴウの威圧的な態度に怯えていた職員たちだったが、ゴウが「挨拶代わりだ」と言って、長年壊れたまま放置されていた中庭の巨大な噴水の噛み合わせを直して完璧に修理してみせると、空気は一変した。
「……君、それだけの腕力と技術があれば重機も魔法もいらないな。今日から採用だ」
こうして、ゴウは「用務員」という、学園の隅々まで合法的に徘徊でき、かつ生徒の動向を影から見守れる最強のポジションを手に入れたのである。
放課後、校長や教師たちに挨拶を済ませアカデミーの寮へと戻ろうとしたギンだったが、人影のまばらな廊下の床を熱心に磨いている男の姿が目に止まった。
「……ちょっと、ゴウ。何やってるの!? その格好はなんなの!?」
「見ての通り、ただの用務員です。お嬢⋯⋯いや、ただのアカデミー生徒のコハクさん。廊下が滑りやすくなってるんで足元に気をつけてくださいよ」
ゴウはこれ以上ないほど真剣な顔でモップを動かしていた。ギンは呆れて開いた口が塞がらない。
「あなた、本当に採用されたのね……」
「へへ。これでいつでもお嬢をサポートできます。……それよりお嬢、さっきからあそこの時計塔の影に、妙なガキが一人隠れてチラチラ見てますぜ」
ゴウがモップの先で示した方向。そこには、エリートの証であるバッジをつけながらも、幽霊のように青白い顔をした男子生徒が、震える手を握りしめてこちらを見ていた。
職員室で教師たちに挨拶していた時、ギンは数人の教師たちが「最近生徒の体調不良が多い」などと、話していたのが聞こえた。
「さっそくアタリかしら? 改悪版エデンの被害者かも」
ギンの瞳から穏やかさが消え、鋭い盗賊の光が宿る。
優等生と用務員。奇妙な主従による、学園潜入調査がいよいよ本格的に始まろうとしていた───さっさとこんな事件片付けて、早くあの幸せな匂いに包まれたパン屋に戻りたいわ。




