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【幕間】魔女とパン屋の見習い

パックスヴェイルの朝は早い。



「リリィさん、おはようございます! 今日も助かります」


 冒険者ギルドの裏口。納品に訪れたリリィ・ベルベットに職員が最敬礼で応じる。

彼女がギルドに持ち込んだのは、魔物除けの香油と、獰猛なオーガベアも逃げ出す劇薬だ。


「いいのよ。こちらもギルドには助けてもらってるんだから」


リリィは薄く笑った。二十代後半に見える瑞々しい肌、夜の帳を溶かしたような黒髪。だが、その瞳には一朝一夕では得られない深淵な知性が宿っている。


そんなリリィがギルドのホールを通り抜けようとした時、不躾な視線が突き刺さった。


「おいおい、あんな美人が薬師だって? 姉ちゃん、俺の『元気』が出る薬も作ってくれよ。まぁ、姉ちゃんが今晩相手してくれて元気づけてくれてもいいんだぜ⋯⋯へへへっ」


腕に自信があり最近冒険者となったばかりで、まだあまりギルドに馴染みのない駆け出しの男が、仲間たちと下品に笑いながらリリィの肩を掴もうとする。周囲のベテラン冒険者たちが「馬鹿、やめろ!」と顔を引きつらせ止めようとしたが、もう遅い。


リリィが指先を小さく振る。


「……え?」


男の視界が歪んだ。


彼の目に映ったのは、愛想笑いを浮かべる美女ではない。自分の足元から無数の腐った腕が這い出し、全身を泥の中へと引きずり込む光景だ。


「ぎ、ぎゃあああああ!! 来るな、来るなァ!」


男は悲鳴を上げ、ギルドの隅で蹲ると同時にガタガタと震え出した。


「あらあらどうしたんだい? まぁ、こんな美人を前にして震えが止まらなくなるのもわかるけどね……」


リリィは冷ややかな声を残し、やれやれといった感じでため息を吐く冒険者たちを尻目に悠然とギルドを後にした。



 午後、リリィが営む道具店『ベルベットの揺り籠』には近所の老婦人たちに特製の湿布薬を売ったついでにいろいろと相談に乗っていたリリィの元へ、カランカランと軽やかなドアベルの音が響いた。


「こんにちは、リリィさん」


現れたのは、綺麗な銀髪を一時的に茶髪に染める薬をよくリリィの店で買っている爽やかな少女だった。彼女の名はコハク。町では評判の『まどろみベーカリー』の見習い店員であり看板娘だが、その正体は盗賊団『影の牙』の五代目お頭、ギンである。


「あら、コハク。今日はパンの注文してないわよ?」

「ええ。実は、店でお客さんに出してるお茶に使っているハーブを切らしちゃって。リリィさんのところなら『星屑のハーブ』があるかなって思って来たんだけど⋯⋯」


リリィは棚を確認し、少し眉を寄せた。


「残念。ちょうど品切れみたいね。冒険者ギルドに採取依頼出さないと」


ガックリと肩を落とすギン。その姿は、盗賊団のお頭とは思えないほど、普通の少女そのものだった。


最初は「盗賊団のお頭がパン屋になりたいなんて、ふざけているのか」と思っていたリリィだったが、彼女の焼くパンの温かさを知った今は、その青い夢を悪くないと思っている。


「……ちょうどいいわ。私も別の素材を採りに行きたかったの。コハク、私と一緒に森へ行かない? 町の外にある森だから30分もあれば行って帰ってこれるし、採取した星屑のハーブを分けてあげるわよ」

「本当ですか!? ぜひお願いします!」


それからコハクはすぐに自身が働くパン屋『まどろみベーカリー』に戻ると店主に事情を話し外出の許可を貰い、リリィと共にパックスヴェイル郊外の森へと向かった。


 木漏れ日が差し込む中、リリィは隣を歩くギンの横顔を見て、不意に遠い記憶を呼び起こした。


「……昔ね、あなたのおじいちゃんの『三代目』と、ここに来たことがあるわ」


ギンが四代目に拾われた子であり、三代目や四代目とは血の繋がりがない、などということはリリィも知っている。それでもリリィはギンを四代目の娘であり三代目の孫として扱っている。


「じいちゃんと? へえ、リリィさんとじいちゃんがコンビを組んでたって噂、本当だったんだ」


リリィはクスクスと笑った。


「コンビなんて格好いいものじゃないわ。あの人はとにかく無鉄砲でね。この先に星屑のハーブの群生地があるんだけど……当時の三代目は、ハーブの特性を知らなかったの」


リリィの脳裏に、若かりし頃の三代目の姿が浮かぶ。


『リリィ、こんな草、さっさと摘んじまえばいいんだろ! 俺に任せとけ!!』


そう言って、彼は不用意に土足で群生地へ踏み込んだ。星屑のハーブは繊細だ。外部からの強い魔力や刺激に触れると、一瞬で自らを枯らしてしまう。


「彼が踏み込んだ瞬間、青く輝いていたハーブが一気に真っ黒に枯れ果ててね。依頼は失敗。私はギルドでこっぴどく叱られたわ」

「……じいちゃんらしいや」


ギンが苦笑いする。


「頭にきて、私が当時拠点にしていた宿へと何度も謝りに来る彼を無視し続けたの。でもね、あの人……それから一週間後に、ボロボロの姿で私の宿に来たのよ。隣国の、もっと危険な魔物が棲む森まで行って採取した、これと同じハーブを抱えてね」


リリィは、目の前に広がる青い花の群れを指差した。


「『これで勘弁してくれ』って言って、差し出されたのは泥と血にまみれた星屑のハーブ。……馬鹿な人だと思ったけれど、あの時ばかりは、その真っ直ぐな毒気に当てられちゃって許しちゃったわね」


ギンは感心したように、丁寧にハーブを摘み取り始めた。


「じいちゃんの武勇伝はよく聞くけど、そんな情けない話は初めてだよ」

「ふふ、今のあなたによく似ているわよ。パンのために一生懸命なところなんて、特にね」


そう言うと、リリィは何やら粉薬が入った瓶の蓋を開ける。蓋を開けると、瓶に入っていた粉は霧となって瓶から溢れ出ると、周囲に寄ってこようとした魔物を音もなく仕留めた。


かつて「ポイズンリリィ」と恐れられた魔女は、今、三代目の孫が大切そうにハーブを抱える姿を、柔らかな眼差しで見つめていた。


「さあ、帰りましょう。なんだか『まどろみベーカリー』のパンを食べたくなったわ。ついでに美味しいお茶も淹れてもらわないとね、五代目」

「今は『コハク』ですよ、リリィさん……それにしてもじいちゃん、そんなに無茶してハーブを届けたんだね」


摘み終えたハーブの入ったショルダーバッグを肩にかけ感心するギンに、リリィは少しだけ視線を逸らして続けた。


「ええ。でもね、あの人は本当に救いようのない馬鹿だったわ。……この星屑のハーブに、特別な意味があることも知らなかったのよ」

「意味?」


リリィは一輪の青い花を指先で弄ぶ。


「このハーブにはね、パックスヴェイルの古い言葉で『時を越えてあなたに届く』……転じて、『一生を捧げる愛』っていう意味があるの。普通は、プロポーズの時にたった一輪、意中の相手に贈るような花なのよ」


コハクの手が止まり、目を見開いた。


「……え、じゃあ、じいちゃんは」

「そう。あの人は謝罪のつもりで、私の部屋の床が見えなくなるくらいの星屑のハーブを抱えてきたわ。隣国の森にある群生地を、根こそぎさらってきたんじゃないかしら。ズタボロの服で、顔中傷だらけにして……『これで足りるか!?』なんて息巻いてね」


リリィは当時の光景を思い出し、今度は隠さずに可笑しそうに笑った。


「愛の告白を数百回分、一気に叩きつけられたようなものよ。本人は花言葉なんて一文字も知らなかったでしょうけど。……届けられたハーブのせいで、町中で噂になるし、そのうえ数日間は部屋中が星空みたいに青く光って、眩しくて眠れやしなかったわ」


ギンはじいちゃんのあまりに過剰で真っ直ぐな謝罪(という名の無自覚な愛の告白)を想像して、頬を掻いた。


「それは……じいちゃんらしいというか、なんというか。リリィさんは、どうしたの? その花」

「さあ、どうしたかしらね。……ただ、あの時以来、ポイズンリリィに手を出そうなんて考える不届きな男はいなくなったわね」


リリィはそう言って、大切そうにハーブを籠に収めるギンを見つめる。


「あはは⋯⋯世間から恐れられた三代目がリリィさんに求婚したという噂が広まればそうなるよね」


三代目がリリィのために命懸けで届けた花。そんな三代目の孫が今、誰かを癒やすためのパンやお茶のために、同じ花を求めている。


それがリリィはなんだか嬉しく思えた。


「……コハク。あなたには、三代目みたいな無鉄砲な男はおすすめしないわ。でもね⋯⋯」


リリィは一輪だけ、ひときわ鮮やかに輝くハーブを摘み取ると、コハクの耳元にそっと添えた。


「いつか、この花を摘むためなら傷だらけになっても構わない。……そんな風に思わせてくれる相手が現れたら、その時はちゃんと女の子の顔で受け取ってあげなさい。いいわね?」

「……あはは。パンを焼くのに必死で、そんな暇があるかなぁ」


コハクは照れ隠しに笑いながら、リリィが耳元に添えた花を手に取り、深く香りを吸い込んだ。

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