最終話 「何も変わらない Scene 1 戴冠なき実権 ― 大臣バルタザール
王城の奥、政務局の執務室は、今日も変わらず静かだった。
玉座の間のような荘厳さはない。ただ、整然と並んだ書類棚と、広すぎない机。朝の光が高窓から差し込み、紙の縁を淡く照らしている。
王子が廃位されてから、国は「暫定体制」にあると発表されていた。
合議制。教会との協調。各部署の自律。
表向きの言葉はどれも柔らかく、誰の顔も立てる響きを持っていた。
だが、実際の決裁はすべて、この部屋を通っていた。
机の上には書類の山。
政策案、予算配分、地方からの要望、教会との折衝記録。
その多くの末尾には、同じ言葉が並んでいる。
――確認済
――代行決裁
大臣バルタザールの署名は、そこに添えられてはいるが、決して目立つ位置ではない。
大きくもなく、主張もしない。
誰かの名前を押しのけるような形でもなかった。
彼は、机に向かいながら淡々と書類をめくる。
新たな命令を出すことは少ない。
否定することも、ほとんどない。
ただ、通す。
整える。
順番を揃える。
結果として、すべてが彼の机を経由する。
だが誰も、それを「支配」とは呼ばなかった。
廊下では、役人たちがこう囁く。
「今は過渡期だから」
「正式な体制が決まるまでの間だ」
「皆で国を支えている」
その言葉を、バルタザールは否定しない。
肯定もしない。
彼は王にならなかった。
戴冠式もなければ、称号が増えることもない。
だからこそ――
彼は、王以上の実権を持っていた。
名を前に出さず、責任を叫ばず、
ただ「正しい手続き」の中に居続けることで。
この国は今日も、問題なく動いている。
少なくとも、書類の上では。




