Scene 5 大臣バルタザール ― 最後まで正しい顔
政務局の執務室は、いつもと何一つ変わらなかった。
窓から入る光の角度も、机に積まれた書類の量も、壁際に控える書記官の立ち位置も。
変わったのは、ただ一つ。
ここで扱われる「名前」だけだった。
大臣バルタザールは、提出された最終書類に目を通す。
王子レオンハルト廃位の確定文。
関係者整理の完了報告。
教会側の同意書。
政務局の承認欄。
どれも、想定の範囲内。
一行一行を確かめるというより、「順番が合っているか」を確認するだけの作業だった。
「……妥当です」
それが、彼の言葉のすべてだった。
声に抑揚はない。
評価も感想も混じらない。
書記官が一瞬だけ視線を上げ、すぐにペンを走らせる。
クラウディアの名が書類の中にある。
だが、功績欄ではない。
告発者でもない。
ただの「整理に関与した承認者」の一人。
バルタザールはそこに一切言及しない。
王子の名もある。
だが、叱責も失望も語られない。
「状況を踏まえた判断」という、柔らかい言葉に包まれている。
リリアの名は、ない。
最初から存在しなかったかのように、どの紙面にも載っていない。
バルタザールは、その欠落を確認するが、眉一つ動かさない。
彼は誰も褒めない。
誰も責めない。
誰の感情にも触れない。
ただ、結果を「正しい位置」に収める。
書類を閉じ、封をする。
その動作は、過去何度も繰り返してきたものと同じだった。
この国で起きる出来事の多くは、
善悪で終わらない。
勝敗でも終わらない。
ただ、「整理されたかどうか」で終わる。
大臣バルタザールは最後まで、正しい顔をしていた。
誰の敵にもならず、
誰の味方にもならず。
そしてその中立こそが、
最も多くの人間の運命を、静かに決めてきたのだった。




