Scene 4 リリア ― 名前が消える瞬間
教会の記録室は、祈りの場とは似ても似つかない静けさを湛えていた。
高い棚に並ぶ帳簿は革の背を揃え、埃一つ許さぬよう丁寧に拭われている。ここでは奇跡も涙も、ただ「整理」される。
王子廃位の報が王都を巡ってから、数日が経っていた。
騒動を総括するため、年表と公式記録の改訂が進められている――その作業は、信仰よりも事務に近い。
書記官の指が、淡々と頁を繰る。
「最近の王都騒動」。
見出しの下に並ぶ箇条書きは整然としており、そこに感情の居場所はない。
かつてあった一行が、そこにはなかった。
――リリアの忍耐。
――清らかな象徴。
言葉は削られ、代わりに無機質な表現が残っている。
「社会的混乱の沈静化」。
「関係機関の協調的対応」。
理由は明文化されている。
個人名を出す必要がない。
物語性が強すぎる。
中立性を欠く恐れがある。
誰も彼女を責めてはいない。
誰も彼女を否定していない。
ただ、彼女の名を「不要」と判断しただけだ。
リリアがそれに気づいたのは、しばらく後だった。
噂話でも、非難でもない。
ただ、記録に自分がいない――その事実に、ふと引っかかる。
抗議する理由が、見つからない。
誰かが悪意をもって消したわけではないからだ。
皆、正しく、穏やかに、善意のまま判断している。
(私は……何もしていない)
その思いが胸をよぎる。
だが、同時に、否定できない感覚もあった。
(それでも、確かにここにいた)
名が消える。
それは敗北ですらない。
敗北とは、名を呼ばれる者にだけ与えられる。
リリアは、物語から静かに降ろされた。
誰にも押されず、誰にも憎まれず、
ただ「記録の外」へと。




