第8話 「最初の失脚」Scene 1 発端 ― 曖昧な噂の拡散
王都では、いつもの朝と同じように人々が歩き、店が開き、社交界では紅茶が注がれていた。
ただ一つ違ったのは、会話の端々に混じる「確定しない話題」だった。
「……殿下のことだけど」
「ええ、あれね。まあ、前から言われてはいたでしょう?」
「具体的? いえ、誰とは聞いていないわ。ただ……ね」
誰も名前を出さない。
誰も日時を示さない。
それなのに、話題だけは滑らかに共有されていく。
王子レオンハルトの女関係。
それは告発でも、暴露でもなかった。
むしろ、人々は最初から「知っていたこと」を、今さら確認し合っているだけのようだった。
市井では、露骨な怒りは起きなかった。
酒場でも、市場でも、聞こえてくるのはため息に近い声だ。
「まあ、若い殿方だもの」
「でも……王子様、って感じじゃなくなったわね」
社交界でも同じだった。
怒りより先に浮かぶのは、失望。
断罪ではなく、納得。
それが、この噂の恐ろしさだった。
重要なのは、誰も出所を知らないことだ。
教会でも、王城でも、騎士団でもない。
「誰かが言い出した」という事実すら、曖昧なまま。
だが、明らかなことが一つだけあった。
――誰かが、意図的にこの噂を丸くしている。
尖った言葉は削られ、
怒りを呼ぶ表現は避けられ、
否定も擁護もできない形に整えられている。
噂は刃ではない。
切りつけるためのものではない。
それは、静かに広がる霧だった。
前も後ろも見えなくし、
気づいたときには、立っている場所そのものを奪う霧。
王子レオンハルトは、まだ何も知らない。
だが、王都はすでに一つの結論に向かって歩き始めていた。
この噂からは、
逃げる道がない、という結論へ。




