Scene 8 静かなすり替わり ― 証拠の所在変更
誰かが笑った。
誰かが杯を掲げた。
その間に、何かが確定した。
フィリップは、胸元に手を添えたまま、ほんの一瞬だけ呼吸を止める。
懐の内側。
紙の角が、指先に当たる感触がある。
(――今は、違う)
彼はそう結論づける。
正義でも、勇気でもない。
ただの判断だ。
ここで出せば、自分が終わる。
出さなくても、危険は消えない。
だが――まだ、終わるよりはましだ。
彼は手を離し、何事もなかったように姿勢を正す。
笑顔を作り、隣の貴族の話に相槌を打つ。
その動きを、補佐官ヘルマンは見逃さない。
会話には入らない。
誰にも近づかない。
ただ、視線だけを動かす。
(戻したな)
確認は一瞬で終わる。
噂の出所。
騎士団の記録。
それらは今、フィリップの管理下にある。
ヘルマンの中で、紙が一枚、静かに書き換えられる。
――証拠保持者:若手貴族フィリップ。
事実かどうかは重要ではない。
重要なのは、「そう整理された」ということだ。
そのさらに外側で、クラウディアは同じ瞬間を見ている。
彼女は動かない。
視線も、表情も変えない。
ただ、理解する。
(持ったままにした)
それだけで十分だった。
証拠は、もう物ではない。
誰が抱えているか、という重さに変わった。
大臣バルタザールは、そのすべてを知らない。
そして、知らないまま肯定する。
「皆、よく考えておられる」
軽い言葉。
意味のない称賛。
だが、その一言で、現状は「正解」として固定される。
誰も暴かれない。
誰も救われない。
誰も罪を認めない。
それでも――
晩餐会の裏で、裁きの準備だけが、一段進んだ。
悪は、まだ姿を現さない。
ただ、置き場所だけが、静かに変わった。
それに気づいている者は、ほんの数人しかいなかった。




