Scene 5 若手貴族フィリップ ― 証拠を持つ恐怖
フィリップは、グラスを持つ指先に、わずかな震えが走るのを感じていた。
酒のせいではない。
懐の内側――衣服と体のあいだに隠された重みのせいだ。
そこには二つの紙束がある。
一つは、噂の出所に関わる手紙。
誰が、どの順で、どの言葉を選び、誰の耳に流したのか。
曖昧な噂が「もっともらしい話」に変わるまでの経路が、端的に記されている。
もう一つは、騎士団の非公式な記録。
正規文書には載らない、命令の迂回。
責任の所在が意図的にぼかされた行動履歴。
――出せば、終わる。
――だが、出した瞬間に、次は自分だ。
フィリップは、笑顔を貼りつけたまま、周囲を見回す。
王子は朗らかに杯を掲げ、
リリアは人々に囲まれ、
大臣は少し離れた位置で、すべてを眺めている。
(今は、出すべきでない)
それは理性的な判断だった。
この場は祝宴だ。
「終わった話」を確認し合うための夜だ。
(だが……持っているだけで、危険だ)
証拠は、使われる前から人を縛る。
誰にも見せていないのに、
誰にも言っていないのに、
フィリップ自身の立ち位置を、じわじわと固定していく。
彼は、さりげなく一人の貴族に近づく。
声をかける。
当たり障りのない冗談を交わす。
――今なら、渡せるかもしれない。
――今なら、責任を分散できるかもしれない。
だが、手は動かない。
懐に触れることすらできない。
渡せば、物語が動く。
渡さなければ、自分が動けなくなる。
フィリップは結局、何も渡さないまま、その場を離れた。
証拠は、まだ彼のものだ。
そしてそれは、彼を守る盾ではなく、首にかかった鎖になりつつあった。




