Scene 3 クラウディアの名 ― もっとも整った“悪”
ヘルマンは紙の中央から、視線を少しだけ下へ滑らせた。
そこにある名を見た瞬間、彼の手は止まらなかった。
息も、表情も、変わらない。
――クラウディア・フォン・エーベルシュタイン。
記されている評価は、驚くほど整っている。
> 影響力:高
> 沈黙:異常
> 行動予測:困難
> 将来的危険性:大
形容は少なく、感情はない。
それでも、この数行は、ほかの誰よりも多くの意味を含んでいた。
ヘルマンは心の中で、事実を一つずつ確認する。
――彼女は、何もしていない。
――抗弁も、告発も、暴露も。
――噂に対する反論すら、公式には存在しない。
それは「潔白」を示す行動ではない。
同時に、「罪」を示す行動でもない。
だからこそ、危険だった。
(説明できない存在は、整理できない)
ヘルマンにとって、それは感情ではなく、作業上の原則だった。
行動する者は、評価できる。
反応する者は、予測できる。
怒る者も、泣く者も、恐れる者も、記録に収まる。
だが、沈黙する者は違う。
沈黙は空白ではない。
空白に見えるだけの、密度だ。
ヘルマンはペンを走らせ、補足を一行だけ加えた。
> 備考:外部からの刺激に対する反応、未観測。
それは、観測不能という意味だった。
彼はふと、別の名前が並ぶ紙面を思い浮かべる。
声を上げた者。
涙を流した者。
剣を抜いた者。
彼らは皆、理解しやすい。
クラウディアだけが、理解できない。
だからこそ、この紙の上では、彼女が最も整った“悪”として記録される。
何もしていないという事実が、
最も扱いにくい理由になることを、
彼女自身だけが、知っていた。




