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悪者――『誰も清くない王国で』  作者: 南蛇井


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35/61

Scene 3 クラウディアの名 ― もっとも整った“悪”

ヘルマンは紙の中央から、視線を少しだけ下へ滑らせた。


 そこにある名を見た瞬間、彼の手は止まらなかった。

 息も、表情も、変わらない。


 ――クラウディア・フォン・エーベルシュタイン。


 記されている評価は、驚くほど整っている。


 > 影響力:高

 > 沈黙:異常

 > 行動予測:困難

 > 将来的危険性:大


 形容は少なく、感情はない。

 それでも、この数行は、ほかの誰よりも多くの意味を含んでいた。


 ヘルマンは心の中で、事実を一つずつ確認する。


 ――彼女は、何もしていない。

 ――抗弁も、告発も、暴露も。

 ――噂に対する反論すら、公式には存在しない。


 それは「潔白」を示す行動ではない。

 同時に、「罪」を示す行動でもない。


 だからこそ、危険だった。


(説明できない存在は、整理できない)


 ヘルマンにとって、それは感情ではなく、作業上の原則だった。


 行動する者は、評価できる。

 反応する者は、予測できる。

 怒る者も、泣く者も、恐れる者も、記録に収まる。


 だが、沈黙する者は違う。


 沈黙は空白ではない。

 空白に見えるだけの、密度だ。


 ヘルマンはペンを走らせ、補足を一行だけ加えた。


 > 備考:外部からの刺激に対する反応、未観測。


 それは、観測不能という意味だった。


 彼はふと、別の名前が並ぶ紙面を思い浮かべる。

 声を上げた者。

 涙を流した者。

 剣を抜いた者。


 彼らは皆、理解しやすい。


 クラウディアだけが、理解できない。


 だからこそ、この紙の上では、彼女が最も整った“悪”として記録される。


 何もしていないという事実が、

 最も扱いにくい理由になることを、

 彼女自身だけが、知っていた。

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