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悪役令嬢だけど、断罪イベント会場がフリーマーケット化して大騒ぎなんですけど!?

作者: マグロサメ

 朝から、王城前広場がやけにうるさかった。


 焼き立ての生地が焦げる匂い、鉄板で油が跳ねる音、どこかで子どもが笑い、別の場所では値切り交渉がこじれている声。冷たい石畳の感触だけが、「ここは断罪会場のはず」というかろうじて真面目な現実を思い出させてくれる。


「……おかしいですわね」


 セシリア・ルーメン公爵令嬢は、レースだらけのドレスの裾をつまんで持ち上げ、人波の隙間を縫うように歩きながら、眉をひそめてあたりを見渡した。


 焼き菓子の屋台が一列、その隣には串焼きの屋台。さらに少し離れたところには、怪しげな模様のテントからお香の煙がゆらゆらと立ちのぼっている。色とりどりの旗、吊るされた提灯、騒がしい呼び込みの声。


 断罪会場というより、どう見てもお祭りである。


「……わたくし、今日、婚約破棄される予定でしたわよね?」


 自分で言いながら、だんだん腹が立ってきた。今朝は断罪される覚悟で肌を整え、涙で崩れても困らないよう、防水のマスカラまでわざわざ選んできたのである。あれこれ悩んで化粧品を並べていた時間を返してほしい。


「セシリア様ー! こっちです、こっち!」


 人混みの向こうから、妙に元気な声が飛んできた。ピンク色の髪が、波打つ人の頭の上でひらひら揺れる。


 声の主は男爵令嬢マリアベル。この世界でただ一人のゲームヒロインであり、本来なら今日、セシリアを糾弾する張本人である。


 セシリアは、胸のざわつきを一度飲み込んでから、彼女に歩み寄った。


「マリアベル様。これは……どういう状況か、説明してくださる?」


 できるだけ上品に、と心がけた声は、しかし少しだけ上ずる。自覚した瞬間、舌の裏に嫌な汗の味が広がった。


「えっとですね!」


 マリアベルは、なぜか誇らしげに胸をそらした。ふわふわとした大きなリボンが、うきうきと揺れる。


「王太子殿下が『公開断罪イベントやるぞ!』って仰ったじゃないですか」


「仰ってましたわね。忘れたい黒歴史の一ページですけれど」


 セシリアは遠い目をした。ここ数週間、取り巻きたちがその話題で盛り上がっていたのを思い出す。笑い声とひそひそ話が耳にこびりついていて、今もふとした拍子に蘇るのだ。


「それでですね」


 マリアベルは一拍置き、にこにこと笑った。その笑顔だけなら、世界を救ってもおかしくない。


「女神様が、ノリノリで乗ってくださったんです!」


 こめかみの内側で、何かがきゅっと縮んだ。


「……女神様が、ですの?」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど乾いていた。


「はいっ!」


 マリアベルが空を指さす。セシリアもつられて視線を上げた。


 王城の塔の上空に、金色の光が浮かんでいる。昼の空だというのに、その光だけが妙にくっきりと輪郭を持っていた。渦を巻くように集まり、人の形にまとまっていく。薄布のような衣をまとった少女の姿。笑っている口元が、どうしようもなく悪戯っぽい。


『皆さーん! 本日はよくぞお集まりくださいました!』


 頭上から、よく通る声が降ってきた。


 広場中の視線が一斉に空へ向かう。セシリアだけが、胃のあたりをわしづかみにされるような感覚に襲われ、少し前かがみになった。あの声は、ゲームのオープニングで散々聞かされた声だ。


『これより、「運命の赤い糸フェス」第一回を開催しまーす!』


 歓声と悲鳴と、事情を知らない観客の素直な「おおー!」が混ざり合う。セシリアの胸の中では、派手なため息が一つ膨らんでから、喉のあたりで詰まった。


「……断罪イベントでは、ないんですの?」


 念のため確認すると、マリアベルは「えへへ」と笑って両手を合わせた。


「断罪って、雰囲気悪いじゃないですか。どうせなら楽しくいこうって、女神様が」


 ね? と言いたげな目で見上げられ、セシリアは思わず額を押さえたくなった。


 マリアベルの指先には一本の赤い糸が絡んでいる。その先は、王城の階段を降りてくる金髪の青年――王太子アルベルトの手首へと伸びていた。


 そこだけは、原作通り。


 この世界が乙女ゲーム『運命の恋路は突然に!』の中身であり、自分がその中の悪役令嬢であると気づいてから、もう三年が経つ。本来なら今日ここで、アルベルトはセシリアを公開断罪し、婚約破棄を宣言する。ヒロインへの嫌がらせだの、陰湿な罠だの、いろいろと盛られた罪状付きで。


 そこに、なぜ屋台とフェスと女神のノリが混ざっているのか。


『参加者の皆さーん! 今から皆さんには、それぞれ屋台やブースを担当していただきまーす! 愛と商才で、このフェスを盛り上げてくださいねー!』


 女神の能天気な声が、肉の焼ける音やら人々のざわめきやらと混じり合い、頭の中までかき回してくる。


「待ってくださいまし!」


 セシリアはとうとう、空に向かって声を張り上げた。胸の奥に溜まっていた空気が、一気に外へ押し出される。広場のざわめきが、ほんの一瞬だけ薄まった。


「本日の主役は、断罪される側のわたくしのはずですわ! この日のために肌を整え、涙でマスカラが落ちないよう防水のものを選び、準備してまいりましたのに!」


 あちこちから、笑い声が漏れた。


 王城の階段の途中で、アルベルトがぎょっとした顔で振り向く。その隣でマリアベルが小声で「防水なんだ……」とつぶやいているのが聞こえた。


『いいじゃないですかー。断罪もフェスも、どっちもやりましょうよ!』


 女神がひらひらと手を振る。袖口から金色の粒がこぼれ、空中で絡まり合って赤い糸に変わった。


『はい、まずはこの子! 悪役令嬢セシリアちゃん!』


「ちゃん付けしないでくださ……っ」


 言い終わる前に、赤い糸がセシリアの手首に巻きついた。冷たい水に指を突っ込んだみたいな感覚が肌を走り、腕じゅうに鳥肌が立つ。糸はぐっと締まり、そのままセシリアの身体を前に引き寄せた。


『セシリアちゃんの運命のお相手は――』


 女神の声が、わざとらしい間を作る。広場全体の空気が、甘い焼き菓子の匂いから、好奇心と面白がりの匂いに変わった気がした。


『――まとめて全部!』


「全部?」


 思わず聞き返した瞬間、一本だった赤い糸がするすると分裂し始める。


 手首から伸びた糸が増え、蜘蛛の巣みたいに四方八方へと伸びていった。


 王太子アルベルト。若き宰相レオン。筋肉の塊のような騎士団長。そして、柱の陰に控えていた近衛騎士ユーリ。ついでのように、屋台の店主役を押し付けられているモブ貴族たちの腕にまで、赤い糸が絡みついていく。


「ちょ、ちょっと待ちなさい女神様!?」

「セシリア! お前は一体、どれだけの男を……!」


 アルベルトの声が、途中から妙な方向にねじ曲がった。顔は耳まで真っ赤である。怒りなのか、焦りなのか、本人にもよく分かっていない顔だ。


「殿下、落ち着いてくださいまし。わたくしだって状況が飲み込めておりませんのよ!」


 セシリアが言い返しながら糸を振りほどこうとすると、あちこちから均等に引っ張られ、今度は自分がよろけた。


「これはつまり、セシリア嬢がここにいる男どもをまとめて手玉に取っていたという意味でしょうか」


 レオンが、半分楽しむような声で言う。赤い糸を指でつまみ、硬さを確かめるように軽く引いた。灰色の瞳に、疲労と好奇心と、ほんの少しの愉快さが混じっている。


「宰相閣下まで勝手に話を作らないでくださいまし!」


 セシリアが叫ぶと、レオンは肩をすくめた。


『あ、やば。バグったかも』


 空から、やる気のない神託がぽとりと落ちてきた。


「いや、『バグったかも』では済みませんわ!」


 セシリアの声が一段高くなる。胸の中のどこかが、盛大にきしんだ。


『まあまあ。今から三時間くらいで解けますからー。その間にフェスを盛り上げて、誰と一番相性がいいか決めちゃってください!』


 三時間。タイムセールみたいな数字が、広場の空気の上にぶら下がった。


『ではまず、セシリアちゃんは――』


 女神の指先がくるりと回り、広場の隅を指し示す。視線の先には、黒いテントと白いテーブル。そして、雑な筆致で「悪役令嬢の黒マカロン」と書かれた看板が立てかけられていた。


『ここの店長でーす! 悪役令嬢らしく、ちょっと危ない味も混ぜておいてくださいね!』


「混ぜませんわよ!?」


 セシリアの叫びは、祭りのざわめきにすぐ飲み込まれた。


 こうして、断罪イベントは半ば強制的に「運命の赤い糸フェス」へと作り替えられてしまったのである。


 黒いテントの中には、焼き上がったマカロンが山のように積まれていた。


 つやのある黒は煤ではなく、上質なカカオの色らしい。指先でそっと触れると、表面は薄く固く、そのすぐ下にふわりとした柔らかさが隠れている。


「……材料自体はまともですわね」


 セシリアは用意されたレシピをざっと目で追い、胸の前で腕を組んだ。毒も呪いも入っていない。女神の「危ない味」という発言は、おそらく完全にノリだけだ。


 問題は、看板の「悪役令嬢」という文字と、この色と、そして何より自分の評判である。


 手首の赤い糸は、テントの中から隣の串焼き屋台へ、さらに占いテントと金魚すくいの水槽へと伸びていた。歩こうとすると、四方から微妙な引っ張りがかかる。やけに下手な操り人形になった気分だ。


「セシリア。こっちは串焼きの準備中だ」


 炭火の匂いと一緒に、アルベルトの声が飛んできた。


 王太子殿下は、貴族とは思えない手つきで肉を串に刺し、炭火の上に並べている。マントの裾に油が跳ね、侍従たちが青い顔で布巾を持ち、右往左往していた。


「殿下、その焼き加減では半分は炭で、残り半分はまだ動き出しそうですわ」


 セシリアが冷静に告げると、アルベルトはびくりと肩を揺らし、意地になったように肉をひっくり返した。


「これぐらいが男らしいだろう!」


「食あたりを男らしさでごまかさないでくださいませ」


 つい本音が出る。占いテントの中から、くぐもった笑い声が漏れた。


「護衛任務の一環として、こちらにも立てと言われました」


 すぐ隣では、ユーリが金魚すくい用の水槽を覗き込んでいた。銀色の髪に提灯の灯りが映り、水面が揺れるたびに光が彼の頬をかすめる。


「護衛なら、この糸、さっさと切ってくださらない?」


 セシリアは、半分冗談、半分本気で、自分の手首を彼の目の前に突き出した。赤い糸は、脈に合わせるように微かに震えている。


 ユーリは糸をじっと見つめ、それから視線をテントの布へと移した。布の端には、運搬のときについたのだろう黒い擦り跡が残っている。


「できません」


 静かな声が落ちた。


「女神の魔力です。無理に切ろうとすれば、先にセシリア様の腕の方がちぎれます」


「そんな仕様、誰が得しますのよ」


 セシリアが額を押さえると、ユーリの唇がわずかに震えた。笑いをこらえているのだと気づくまで、一呼吸遅れる。


 その間にも、フェスは着々と始まりつつあった。


 最初の客が並んだのは、やはり串焼き屋台である。炭火の匂いは、人の足を簡単に引き寄せる。「王太子の串焼き」という物珍しさも手伝い、男たちが次々と列を作り始めた。


「殿下、焦げております」

「これはこれで香ばしい!」


 侍従が必死に止めようとするのを、アルベルトは王族の自尊心と勢いで押し切っている。炭と生の境界線を堂々と踏み越えているあたり、ある意味、彼も肝が据わっているのかもしれない。


 一方で、黒マカロン屋台は、見事なまでに閑古鳥だった。


 黒くて正体の分からない菓子。看板には「悪役令嬢の黒マカロン」。通りかかった人々は、興味と警戒を半々に混ぜた目で眺め、結局はほかの屋台へと流れていく。


「……やはり名前を変えるべきでしたかしら」


 セシリアがそっとため息をついたそのとき、小さな影がテントの前に立った。


「一個ください」


 澄んだ声。顔を上げると、薄茶色のワンピースを着た少女が、両手で銀貨一枚を握りしめていた。裾は少しほつれ、靴のつま先には乾いた泥がひび割れている。


「お小遣いで買えるの、一個だけだから……どれが一番おいしいですか?」


 少女は、真剣な瞳でマカロンの山を見ていた。さっきまで串焼きの匂いに引き寄せられていたのだろう鼻先が、今は黒マカロンの甘い香りにくすぐられている。


 銀貨の鈍い光を見た瞬間、セシリアの胸の奥がきゅっと縮んだ。


 孤児院の帳簿と、薄い毛布。公爵家の倉庫で余っていた毛布とパンを、名前だけ添えて流したささやかな寄付。それでも、あの冬を越すには意味があったはずだと、自分に言い聞かせた夜のことを思い出す。


 あのとき届いた子どもたちの礼状の中に、「セシリア様」という名前が震える字で書かれていた。


「これですわ」


 セシリアは、山の中から少し大きめのマカロンを選び、少女の手のひらにそっと乗せた。紙袋の底には、小さなクッキーを二枚、何気ない顔で滑り込ませる。


「サービスですの。悪役令嬢の気まぐれ、ということにしておいてくださいませ」


「悪役令嬢さん、ありがとう!」


 少女の顔にぱっと笑顔が咲いた。黒マカロンを大事そうに抱えて走り去っていく後ろ姿を見送りながら、セシリアは胸に張り付いていた冷たさが少しずつ溶けていくのを感じた。


 その様子を、広場のあちこちから誰かが見ていた。


「あれ、セシリア様じゃない?」

「孤児院にこっそり物資回してるって噂の……」

「でも悪役令嬢って、もっとこう、ヒロインを階段から突き落とすタイプじゃ……」


 ひそひそ声がひそひそ声を呼び込み、小さな出来事がつながっていく。


 舞踏会で転びそうになった侍女の腕をさりげなく支えた夜。雨の日に、馬車を待っていた少年に傘を押し付け、自分はびしょ濡れで帰った夕方。断罪のネタにはならないこまごまとした行動が、あちこちから掘り起こされていた。


「ちょっと食べてみる?」

「……一個くらいなら」


 客が一人、二人と列に加わっていく。気づけば、黒マカロンの前には、広場の真ん中まで伸びる行列ができていた。


「おい、セシリア。こっちは全然売れてないぞ!」


 串焼き屋台から、アルベルトの半泣きの声が飛んでくる。炭火の上には、焼けたのか焦げたのかよく分からない肉が並んでいた。


「殿下の串焼き、半分は炭で、残り半分はまだ生ですもの」


 セシリアが正直に告げると、アルベルトの肩が、目に見えてしゅんと落ちた。


「ぐっ……!」


 その様子を、占いテントの中からレオンが眺めている。布を少しめくって顔を出し、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。


「ポイント的には、セシリア嬢の大勝利ですね、殿下」


「うるさいぞ、レオン!」


 アルベルトの怒鳴り声に、レオンは楽しげに肩をすくめる。


 その間も、ユーリは黙々と働いていた。列が乱れないよう客を誘導し、子どもが疲れれば椅子を持ってきて、年配には日陰を案内する。セシリアが皿を取り落としそうになれば、無言でトレイを支えた。


 セシリアは、客に笑顔を見せながらひたすらマカロンを渡していく。気がつけば、日が少し傾き始めていた。喉が渇き、足の裏がじんじんする。


「……あなたは、何も言ってくださらないの?」


 一段落したところで、セシリアはぽつりと尋ねた。


 赤い糸が、二人の手首の間でゆるく揺れる。


 ユーリは手袋の端を整え、少しだけ視線を伏せた。木の屋台の縁には、人々の腕が擦れた跡が残っている。


「言えば、糸が解けますか」


 低く抑えた声。いつもの無表情に、かすかな迷いの影が差しているように見えた。


「解けませんわね」


 セシリアは、自分で言っておきながら苦く笑う。


「では、言いません」


 ユーリは短くそう告げると、「列が伸びています」とだけ言って前へ出た。客の誘導に戻っていく背中を眺めながら、セシリアは胸の中に残るくすぐったい違和感を持て余す。


 本来なら、今ごろ彼女は断罪されていたはずだ。冷たい視線と罵声と、逃げ場のない孤独。ずっとそう覚悟してきた。


 代わりに今、耳に届いているのは、甘い匂いと笑い声と、「おいしかったです」と微笑む客の声。


 世界は、思っていたよりも賑やかで、あたたかい。


 空の色が、少しずつ朱に傾いていく。


 女神が空の高いところでぱんぱんと手を叩いた。


『はーい! 制限時間終了でーす! 皆さん、お疲れさまでした!』


 赤い糸がふっと光る。セシリアの手首に絡みついていたそれが、ゆっくりとほどけていった。解放感と、少しだけ名残惜しさが混じり合ったような感覚が胸の中に広がる。


『ではここで、集計結果を発表しまーす! 一番お客さんを笑顔にした屋台は……』


 女神が金色の巻紙を広げる。広場の喧噪が、ほんの少し音を潜めた。串焼きの煙だけが、細い線となって空へ昇っていく。


『「悪役令嬢の黒マカロン」! ダントツ一位です!』


 歓声が爆発した。


 耳の奥がじんじんする。足元がふらつき、セシリアは、とっさにすぐそばにいたユーリの腕を掴んだ。


「……セシリア様?」


「ちょっと、足が」


 自分でも情けない言い訳だと思う。それでも、ユーリの腕は何も言わずに支えをくれた。


『ご褒美として、セシリアちゃんの「本当の赤い糸」を、正しい相手に繋ぎ直してあげますねー!』


 女神が軽い調子で言い、指を鳴らす。


 再び赤い光が走り、今度は一本だけ、細い糸が現れた。


 それは迷うことなくセシリアの手首に巻きつき、そのまままっすぐ隣へ――


「……え」


 思わず声が漏れる。


 赤い糸は、ユーリの手首に結ばれていた。


「ま、待ちなさい女神! それはどういう意味だ!」


 アルベルトが慌てて前に出る。レオンも珍しく目を見開き、女神と糸とセシリアを交互に見ていた。


『だって、この三年間ずーっと護衛して、誰よりもセシリアちゃんのいいところも悪いところも見てきたの、この子ですよ?』


 女神は楽しそうに続ける。


『毎晩、彼女が断罪される夢見てうなされてたの、誰の部屋だと思ってました?』


 ユーリの肩が、びくりと震えた。セシリアの心臓も似たようなリズムで跳ねる。


「……見てたんですの?」


 セシリアが問うと、ユーリはほんのわずかだけ視線を逸らした。


「職務中でしたので」


 返ってきた言葉は簡潔だが、声の端がかすかに揺れている。


『殿下の赤い糸は、こっちねー』


 女神はあっさりとアルベルトとマリアベルの手首を結んだ。二人は同時に顔を真っ赤にし、互いの顔をまともに見られずにいる。それでも、どこかほっとしたように見えた。


『他の皆さんも、それぞれ一番相性のいい人に繋いでおきましたから! あ、ただし糸は、本人が望めばいつでも解けます。運命って、そういうものでしょ?』


 女神がウインクする。


 あちこちから拍手と笑い声が湧き上がった。さっきまで断罪の場だったはずの広場は、いつの間にか、誰かの幸せ話で締めくくられるフェスのエンディングになっている。


「……で、殿下。婚約破棄の件は、どうなさいますの?」


 セシリアは、タイミングを見計らって口を開いた。アルベルトは気まずそうに頭をかき、珍しく言葉を選んで喋る。


「その……もう、いいだろう。お前は今日、十分に王国に貢献した。フェスの売上も、全部孤児院と被災地に寄付するつもりだ」


「勝手に決めないでくださいませ」


 セシリアがすかさず噛みつくと、アルベルトは慌てて両手を振った。


「じゃあ……半分はお前に」


「八割で手を打ちますわ」


 きっぱりと言い切ると、そばで見ていたレオンが苦笑した。


「殿下、交渉で負けてますよ」


「うるさい!」


 アルベルトが叫び、レオンが肩をすくめる。そのやり取りは、もう断罪の場のものではなかった。


 セシリアは、自分の手首に結ばれた赤い糸を見下ろす。


 糸は、さっきまでのようにきらきらと騒がしく光ることはなく、静かに、けれど確かに輝いていた。反対側で同じように結ばれているユーリの手首へと伸び、夕焼けの色と混ざり合っている。


「……いやなら、解いてくださいましね」


 ぽつりとこぼれた言葉に、自分でも少し驚いた。


 ユーリが小さく目を見開く。


「嫌なら、と仰いました?」


「ええ。運命を押し付けられるのは、お互いごめんですもの」


 セシリアは笑う。喉の奥が、焼きたてのマカロンみたいに少し熱かった。


「だから、あなたが望むなら、いつでも――」


 そこまで言いかけて、言葉が喉で引っかかった。


 代わりに、ユーリの指が、そっとセシリアの指先に触れる。


「望みません」


 短く、それでいて逃げ道を塞ぐみたいにはっきりした声だった。


「俺は、セシリア様の護衛です。これからも。できれば一生」


「……それ、プロポーズですの?」


 からかうように言うと、ユーリは視線をわずかに逸らした。


「護衛任務です」


 素っ気ない答えのくせに、耳まで真っ赤になっている。


「今、顔が赤くなってますわよ」


 指摘すると、ユーリは誤魔化すように「片付けを手伝ってきます」と言い、少し離れた屋台へ歩いて行った。赤い糸が、そのたびにゆるく揺れる。


 王城前広場は、まだ賑やかだ。


 屋台を片付ける音。売れ残った串焼きを押し付け合う声。次回のフェスを企画しようと盛り上がる貴族たちの笑い。誰かが歌い出し、別の誰かが適当なハモりを乗せる。


 断罪の日は、祭りの日に変わった。


 悪役令嬢の人生は、バザーの値札みたいに勝手に貼り替えられてしまったけれど、その新しい値札は思っていたほど悪くない。むしろ、少しだけ誇らしい。


「ユーリ」


 セシリアは、まだ手首に残る糸を指でつつきながら呼びかけた。


「はい」


 振り返ったユーリの顔は、いつもの無表情だ。ただその目の奥に宿る光は、以前より柔らかい。


「明日も、黒マカロン作ってみませんこと? 評判がいいなら、お店にしてもよろしいですわ。王城公認フェス第二回の目玉として」


 ユーリは少し考え、それから静かに頷いた。


「味見役が必要なら、いくらでも」


 短い言葉の中に、いくつもの意味が込められている気がして、セシリアは思わず笑ってしまう。


 夕焼けの中で、赤い糸が揺れた。


 その揺れ方が、どうしようもなく賑やかで、どうしようもなく愛おしかった。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。


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最近は長編『死んだことにされた悪役令嬢、辺境の敗軍騎士団長に拾われて帝国を建て直します』も毎日更新しています。もしご興味ありましたらそちらも覗いていただけると嬉しいです!

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