【第8話】面接
「では、これから面接を始めたいと思います。グエンさん、よろしくお願いします」
「は、はい。よろしくお願いします」
とうとう始まった面接に、ボクは声色からして緊張を隠せない。手ぶらの状態では、粂田さんの落ち着いた視線もグサグサと刺さってくるようだ。
「では、最初に履歴書を見せていただけますか?」
粂田さんにそう促されて、返事をしたボクは背負ってきたリュックサックに手を伸ばして、クリアファイルに入った履歴書を取り出した。「よろしくお願いします」と、粂田さんに渡す。
受け取った粂田さんの目の動きから、隅々まで履歴書を読んでいるようで、ボクが抱く緊張はホアさんとの模擬面接のときとは段違いだ。何度も息を呑んで、手に汗さえかいてしまいそうになる。
「なるほど。家はこの近くなんですね」
「はい。通いやすく、続けやすそうだと思って、応募させていただきました」
「今は敬朝大学に通ってらっしゃるんですか」
「はい。四月から日本にやってきました」
「なるほど。そして、当店でのアルバイトを志望した理由としては、ベトナムで暮らしていた頃に、同じ系列の店が近所にあって、親近感があったからとありますが」
「はい。ボクが中学生の頃に近所にオープンしまして。家から一番近かったこともあって、ボクもよく通っていたんです。そこの店員さんがとても親切で、好印象があって。日本に来たからには、同じ系列のお店で働いてみたいと思ったんです」
「そうですか。とても良い理由だと思いますよ」
「はい、ありがとうございます」
粂田さんの表情は穏やかなままで、皮肉で言っているわけではなさそうだった。ボクも少しだけれど、息をつくことができる。ここと同じ系列の店が近所にあったのは本当のことだし、だからこそボクも少しは知っている系列の店で働きたいと思ったのだ。ここを落とされれば、ボクは途方にさえ暮れてしまうことだろう。
だからこそ、良い形で面接を始められたらしいことは、ボクも素直に良かったと思えた。
それからも、面接は比較的穏やかな雰囲気で進められていっていた。粂田さんはボクの書いた自己PRも「ここでの仕事に向いている性格だと思いますよ」と評価してくれていたし、実際にどれくらいシフトに入れるのかとも訊いてくる。
ボクも講義がない時間帯や、週に数回程度なら深夜や早朝のシフトにも入れることを伝える。もっと日本での生活を楽しむためにボクにはお金が必要だったし、サークルも月に二回ほどしか活動がないことも幸いした形だ。
粂田さんも「なるほどね」と頷いていて、ボクは好感触を得る。レジ打ちや品出しに限らない、様々なサービスの取次や店内外の清掃などの具体的な業務内容を伝えていたのも、ボクを採用することに前向きになっているからなのかもしれない。
だから、ボクも緊張はしながらも、それでも好印象を与えられるように丁寧に受け答えをする。覚えなければならない仕事は多そうだったけれど、それを理由に尻込みするわけにはいかなかった。
「では、以上で私からの質問は終了になりますが、反対にグエンさんから何か訊いておきたいことはありますか?」
粂田さんがそう訊いてきたのは、立て続けに訊かれる質問に答えるのに、ボクが少しだけ疲れ始めた頃だった。ホアさんとの模擬面接でも出てきたその質問に、ボクは面接がもう終盤に差しかかっていることを思う。
そして、ボクは「いえ、ここまでで全て説明していただけたので、質問はありません」と答える。それはボクが面接に気を張り、頭も回し続けていて少し疲労を覚えているからではなく、粂田さんの説明が日本にやってきてからまだ日も浅いボクにも分かりやすかったからだ。
はっきりと返事をしたボクに粂田さんも「そうですか。分かりました」と頷いている。その表情は厳しくはなくて、この段階でもボクが適切な受け答えができていることを示しているかのようだった。
「では、グエンさん。これにて面接は終了になりますが、最後にもう一つだけ、私から訊かせていただいてよろしいですか?」
「は、はい。何でしょうか」と返事をしながら、ボクはわずかに息が詰まるようだった。ここまでは悪くない感じで来られているとは思うが、それでも最後に粂田さんに何を言われるかは、正直なところ分かったものではない。
内心で再び身構えたボクにも、粂田さんは自然な表情を崩さなかった。
「グエンさんは先ほど『明日からでも働けます』とおっしゃっていましたが、具体的には明日は何時からシフトに入れそうですか?」
「はい。明日は四時頃に講義が終わるので、五時にはシフトに入れます」
「そうですか。では、また明日午後の五時に、当店にいらしていただけますか?」
そう言う粂田さんの意図するところは、ボクにもはっきりと分かった。心の中でガッツポーズもしてしまう。
それでも、ボクは「あの、それはつまり……?」と尋ねていた。そんなことはないとは思うけれど、もしかしたらボクだけがぬか喜びしている可能性も捨てきれない。
だけれど、粂田さんは今までと変わらない落ち着いた口調で答えてくれる。
「はい。私は当店にグエンさんを採用したいと思っています。今面接をした限りですが、日本語での受け答えにもさほど問題はなさそうですし、当店でのアルバイトに積極的な姿勢が見えました。何より当店は先月に一人アルバイトの方が辞めてしまってから、少し人員不足な状態が続いていましたからね。なので、グエンさんにはさっそく明日から働いていただけるとありがたいのですが」
粂田さんが口にした「採用」という言葉は、ボクの想像とも少しも違わなかった。
もちろん、アルバイトだからといって全ての面接に受かることはない。ホアさんにも模擬面接が終わった後に『当然採用されるのが一番いいが、もし不採用となっても落ち込むことなく、反省を生かしてまた次の面接に臨めばいい』と言われている。ボクだって期待はしていたけれど、必ずしも最初からうまくいくと思っていたわけではない。
だからこそ、「採用」と言われたときに、ボクが感じる喜びはひとしおだった。立ち上がって粂田さんの手を取りたい思いにも駆られる。「は、はい!よろしくお願いします!」と言ったボクの声も、今日で一番前のめりだ。
粂田さんも安心したように「はい。グエンさん、これからよろしくお願いしますね」と頷いてくれている。
その様子にまだスタートラインに立ったにすぎないのに、既にボクの心は大いに満たされるようだった。
そうして迎えた翌日。つまりはアルバイト初日。ボクの心は朝起きたときから、ものすごい勢いで逸っていた。昨日の面接のときも緊張で心は逸っていたのだが、今日はそれ以上だ。
もちろん初めてのアルバイトに緊張する部分は大きいが、それでもボクは期待も抱いてしまう。不安もあるけれど、実際に働いてみるのが楽しみにも感じられる。
いずれにせよボクが感じるドキドキは今まで生きてきたなかでも有数のもので、日中の講義の内容も今までのようには頭には入ってこないほどだった。
もちろん講義に集中しなければならないことは分かっていたけれど、それでもボクの意識は夕方から働くことになるコンビニエンスストアに飛んでしまっていた。
そして、どこか上の空のままこの日の講義を終えたボクは、真っすぐ家に帰っていた。
とはいえ、昨日見たネットの記事には「初日は仕事開始一〇分前に行くのがベスト」と書かれていて、その時間になるまでボクは少し家で時間を潰す。だけれど、スマートフォンを見ていても、ボクはなかなか落ち着くことはない。
じれったく感じられるような時間をしばし過ごしてから、ちょうど一〇分前に着けるような頃合いになって、ボクはいよいよそのコンビニエンスストアへと向かい始めた。
ちょうど指定された時間である午後五時の一〇分前に、ボクはそのコンビニエンスストアへと辿り着く。
昨日来たときには面接を受ける側だったが、今日のボクはここで働く側だ。だから、他のお客さんと同様、店舗入り口から入るわけにはいかない。
ボクは裏手に回って、従業員通用口へと向かう。ドアの前にはパスコードを入力するタイプの鍵がかけられていたけれど、昨日の時点でボクはそのパスコードを粂田さんから教えてもらっている。
一つ一つ丁寧に入力していくとドアは開いて、ボクは店内に響かない程度の声で「失礼します」と言いながら入った。そして、昨日面接が行われた控え室に向かうと、そこには粂田さんが自分の席に座って待っていた。
改めて、先ほどよりも大きめの声で「よろしくお願いします!」と言いながら、ボクは頭を下げる。粂田さんも「うん、よろしく」と応じてくれていて、丁寧語でなくなった返事に、ボクはこのコンビニエンスストアで働く一員になったことを初めて感じた。
「じゃあ、まずこれに着替えてきて」と、粂田さんから最初に渡されたのは、上下が紺色のこのコンビニエンスストアの制服だった。もう数えきれないほど見ているその制服も、いざ受け取るとボクには「いよいよだ」とよりいっそう感じられる。
粂田さんにロッカールームも案内されて、ボクはその制服に着替え始めた。足や袖を通すと涼し気な感触に背筋が伸びて、またサイズも少し小柄なボクに合っていた。
(続く)




