【第7話】応募
トゥーと一緒にご飯を食べたその次の日に、ボクはさっそくホアさんに連絡を取っていた。「アルバイトを始めたいのだが、どうすればいいか」と伝えると、直接会って話したいので、留学生支援機構のオフィスに来てほしいと言われる。履歴書の書き方や面接を受ける上でのアドバイスも教えてくれるらしい。
ホアさんの都合も聞きながら、ボクはなるべく近い日時を伝える。そしてその結果、来週の月曜日にホアさんはボクのために時間を作ってくれることになった。その約束を漕ぎつけただけで、ボクは一歩前に進んだような気持ちになっていた。
事前にネットでいくつかの求人サイトを見て、興味があり、なおかつボクの家からも通えそうなアルバイト先をいくつかチェックしてから、ボクは月曜日になって留学生支援機構へと出向いた。
山手線の駅が最寄り駅となっているそこへ向かうには、利用者数も多いターミナル駅を経由しなければならなくて、ボクは目が回るような思いがしたけれど、それでもどうにか最寄り駅へと辿り着く。
留学生支援機構のオフィスは、出口から一〇分ほど歩いたところにある、ビルの三階にあった。エレベーターを降りると、オフィスの入り口はすぐそこにあって、ボクはやってきた職員に「ホアさんを呼んでもらえますか?」と伝える。
すると、ホアさんはすぐにボクのもとへとやってきた。手にはファイルが握られていて、ボクを見るなり『よく来てくれましたね』と、穏やかな声をかけてくれる。
そして、ボクが頷いたのを見ると、ホアさんはボクをオフィスの奥にある別室へと案内した。擦りガラスで隔てられたそこは、職員が集まって簡単な会議も行えるようになっていて、支援機構にやってきた留学生との面談の場にもなっていた。
席に着いて改めてお互いに『今日はよろしくお願いします』と挨拶をしてから、ホアさんはボクに、まずは『今どんなアルバイトをやりたいと思っているか』と訊いてきた。ボクも事前にブックマークしていた、いくつかのアルバイトの応募ページをホアさんに見せる。
それは、コンビニエンスストアの店員だったり、スーパーマーケットでの調理員だったり、商業施設の清掃だったり、オフィスで行うデータ入力の仕事だったりして、ホアさんも一つ一つに『なるほど』といった様子で頷いてくれる。
一通りボクが候補となっているアルバイト先を見せ終わると、ホアさんは『私も少し調べてきたのですが』といって、いくつかの求人票をボクに見せてくれていた。駅のコンビニエンスストア、飲食店といったボクが通える範囲のアルバイト先や、はたまた家でもできるリモートワーク、内勤の仕事までいくつか紹介してくれる。時給の良さや仕事のしやすさなど、いくつもの条件をホアさんは考慮してくれていて、ボクもその全てを『いったん考えてみます』と引き取った。
ホアさんが紹介してくれたアルバイトの中には、いくつか興味を惹かれるものもあったし、今この場でここに応募したいと、急いで決める必要もないだろう。
そうしていくつかアルバイト先の候補を挙げたボクは、その中からひとまず一つを選び、そこに応募すると仮定して、ホアさんから履歴書の書き方についてアドバイスを受けた。基本情報や経歴、資格といった基礎的な内容をホアさんに教えられながら埋めていき、重要度の高い志望動機や自己PRの書き方についてもレクチャーを受ける。
志望動機は、どうして他にも数多あるアルバイト先からそこを選んだのかを具体的に書くことが効果的であることや、自己PRは漠然とした説明だけでなく、数字や具体例を挙げると説得力が増すことを教えられる。ボクも頭を悩ませながら、ホアさんと相談して少しずつ履歴書を埋めていく。
そうして、履歴書一枚書き終えるには優に一時間以上かかっていて、ボクはアルバイトとはいえ応募するハードルの高さを改めて思い知っていた。
次にボクが留学生支援機構のオフィスを訪れたのは、同じ週の金曜日のことだった。最初の応募先を歩いて一〇分ほどの距離にあるコンビニエンスストアに決めて、下書きした履歴書をホアさんに見てもらったり、月曜日に行われることになった面接の練習をするためだ。
ホアさんはこの日も穏やかな様子でボクを迎え入れてくれていたけれど、ボクは用件が用件なので、前回は感じなかった緊張を感じてしまう。
再び会議スペースに入って、ボクはまず下書きした履歴書をホアさんに見てもらった。読まれている間はやはりドキドキしたものの、それでもホアさんは読み終えると、まず『よく書けていると思います』と言ってくれた。その言葉にボクも、一つ胸のつかえが取れた感覚がする。
その上でホアさんは『こうすればもっと良くなる』というアドバイスをしてくれて、それは自分では気づかなかったことだから、ボクは清書する前にホアさんに相談してよかったと思う。
続いてボクは面接の練習を受ける。座った状態で「よろしくお願いします」と改まった挨拶から始まった練習は、日本語で履歴書の内容も参考にしながらなされた。
志望動機や自己PR。どのシフトにどれくらい入れるのかや、コンビニエンスストアでの業務の実際。今までのアルバイトの経験から、最後には反対に何か訊きたいことはあるのかなど。
練習でも、気心知れているホアさん相手でもボクは緊張して、実際に初めて会う人と面接をするときには、それ以上の緊張を抱くことは間違いないと思う。
ホアさんが訊いてきた内容はボクにとっては知らないようなことも多くて、つまりはそれだけ実践的なのだろう。何の準備もせずに面接に臨んだら、まだ勉強途中の日本語で受け答えすることもあって、ボクは答えに詰まったり、酷いときには固まったりしていたに違いない。
だから、ホアさんと一度でも面接の練習をすることはボクには効果てきめんで、間違いなくやってよかったと思える。一通り終わった後に『ここはこうした方がいいと思う』というフィードバックを受けられるのも、本番ではないから、ボクはホアさんに指摘されたことを一言も漏らさないよう、頭の中に刻み込んだ。
そして、何度も面接で答える内容を確認したり、改めてウェブ記事を読んだりしていると、あっという間に土日は終わって、ボクは面接日である月曜日を迎えた。
講義が終わってすぐに家に帰ったボクは、ホアさんにアドバイスされたポロシャツと持っている中で一番綺麗なジーンズに着替えて、再び家を出る。
今回ボクが応募したのは、駅や大学とは反対方面にあるコンビニエンスストアだ。初めてではないにせよ、なかなか来ることのない方面に、ボクの鼓動は速まっていく。喉も渇き始めて、店舗までの道のりが実際よりも長くも感じられていた。
それでも歩いていると、街道に面した水色と黄緑色が目立つ店舗が近づいてくる。ボクは一つ息を吐いてから、店内に入った。もうすっかり耳に馴染んでいる入店音を聴いてから、ボクはまず店員を探す。
すると、男性の店員が一人レジに立っているのと、女性の店員が一人弁当を並べているのが見えた。店内には他の客もいたから、レジの店員に声をかけるのは気が引けて、ボクは弁当を並べている店員に「あの、すいません」と呼びかける。
すると、その店員は手を止めて、「どうかされましたか?」と答えた。それだけでボクの緊張はさらに高まったが、それでも堪えて「あの、今日アルバイトの面接に来たんですが」と用件を伝える。
すると、その店員は納得したように頷いて、「少々お待ちください」と言ってバックヤードに入っていった。
その店員が戻ってくるまでには、数分もかからなかった。その店員の隣には、同じ制服を着た少し腹の出た四、五〇代と思しき男性店員がいて、この人が今日ボクを面接するのだと瞬間的に感じる。
その男性店員は「オーナーの粂田です。ウチに応募してくれたグエンさんですよね?」と名乗ってから、確認してきた。ボクが緊張しながら頷くと、「じゃあ、さっそく面接を行うのでついてきてください」と粂田さんは言う。そして、ボクも続くようにバックヤードへと入っていった。
バックヤードは通路の脇の棚にいくつもの商品や段ボールが置かれていて、人と人とがようやくすれ違えるくらいの幅しかなかった。
そして、ボクは二つある部屋のうちの奥にある方に通される。ここにもいくつかの段ボールが積まれ、壁にはマニュアルや注意事項を書いた紙が何枚も貼られている。
机は部屋の中央と奥に二つあって、奥の方の机にはパソコンが設置され、書類も束になって置かれている様子から、オーナーである粂田さんが事務仕事をするときに使うのだろうと察せられる。
そして、もう一方の中央の机を挟むようにパイプ椅子が二脚置かれていて、ここで面接をすることはボクにはわざわざ説明されなくても分かった。
今まで入ったどの部屋とも違う独特の圧迫感を感じながら、ボクは粂田さんに促されるがまま、入り口側の席に座った。粂田さんが向かい合って腰を下ろすと、ボクの緊張はさらに高まる。
いつ履歴書を出せばいいのか、そのタイミングも掴めなくて、気持ちは逸る一方で身体は固まってしまうかのようだった。
(続く)




