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【第6話】平穏

 フットサルもうまくできず、その後の打ち上げでもあまり話に入れなかったボクは、それでも次の日にはFC KEICHOへの入会を決めていた。フットサルはやっていくうちにうまくなっていくかもしれないし、何よりせっかくサークルで知り合った人と離れてしまうのが、まだ大学に話し相手を見つけられていないボクには怖かったのだ。


 加賀さんに入会する旨をラインで伝えると、「ありがとう!」と返ってくる。それは言葉だけを見れば喜んでいるようだったけれど、でもラインでは相手の表情は見えない。もしかしたら加賀さんは、フットサルもうまくないボクを本当は歓迎していないのかもしれない。


 もちろん諸手を挙げて喜んでいる可能性もあったけれど、そう思うくらいには初めてのFC KEICHOでの活動は、ボクには苦い思い出として刻まれてしまっていた。


『で、どうだよ、カン。敬朝大学は。もう入学してから二週間が経つけど』


 チャ・ダーで軽く乾杯をすると、目の前に座るトゥーが訊いてくる。日本に来る少し前から、同じ留学生支援機構にお世話になっていることもあって知り合った、ボクと同じベトナム人学生だ。


 ロンアンとホーチミンで出身地が近いこともあって、ボクたちが仲良くなるまではあまり時間はかからなかった。ラインで何回かやりとりはしているけれど、こうして会うのは入学してからは今日が初めてだ。


 店内には、音楽には少し疎いボクでも知っているようなベトナムのポップスが流れている。


 この日、ボクたちがやってきていたのは、トゥーの通っている大学から近いベトナム料理店だ。店内には様々な原色が散りばめられていたが、不思議と統一感があって、ボクも落ち着いて過ごすことができる。


『まあ、良い大学だと思うよ。留学生のボクに対する支援もちゃんとあるし、講義も内容自体は分かりやすいし。何より構内に活気があって。大学選びも間違っていなかったと思う』


『そっか。じゃあ、友達はできたか? 日本人でも、俺たちのような留学生でもさ』


『それは正直に言えば、まだまだこれからって感じかな。でも、俺サークルに入ってさ。まあまだ入りたてなんだけど、それでもこれからメンバーの人たちとは少しずつ仲良くしていけると思う。みんな良い人たちだしね』


『それって、どんなサークルなんだよ?』


『フットサルのサークルだよ。毎月二回集まって、フットサルをするんだ』


『なるほどな。やっぱりそれって終わった後に打ち上げとかあったりするのか? だとしたら大変だろ』


『まあ、毎回活動が終わった後に打ち上げはあるみたい。でも、メンバーの人たちと仲良くなる重要な機会だからね。大変なんて言ってられないよ』


『そっか。まあ無理せず、カンのペースでやってけばいいと思うぜ。ただでさえ俺たち、日本に来てからまだ一ヶ月も経ってないわけだし』


『そうだな。で、トゥーはどうなんだよ? 藍佐大学、大変か?』


『いや、思ってたほどではねぇかな。キャンパスもコンパクトで移動しやすいし、講義にも今のところはついていけてる。学食も値段のわりには美味いし、良いとこだよ』


『それはよかった。お前が藍佐大学で、つつがなく過ごせているようで』


『なんかその言い方、親みたいだな』


『そうか?』ボクは小さく笑う。『そうだよ』とトゥーも微笑みながら返していて、ボクたちの間に涼やかな空気が広がる。


『で、お前こそどうなんだよ? 大学に友達はできたのか?』


『まあ、何人かはな。茅原(ちはら)さんとか星川(ほしかわ)さんとかとはよく話したりする。必修の英語の講義で一緒になってさ。それから仲良くなったんだ』


『そ、そっか。それはよかったな』と相槌を打ちながら、ボクは少し後ろめたさも感じてしまう。


 トゥーはボクよりも日本語も英語も達者だ。単純に頭も要領もいいのだ。だから、日本人学生と仲良くなるのにも大きな苦労はいらなかったのだろう。


 それがようやく話し相手を作れたばかりのボクには、とても羨ましく思える。


『そうそう。あと俺もサークル入ったぜ。軽音サークル』


『ああ、お前音楽が好きで、趣味はギターを弾くことだって言ってたよな。で、どうだよ? 楽しいか?』


『ああ、楽しいぜ。今は同じ一回生の人たちとバンドを組んで、初めてのバンド練習に向けて練習してるところだ。ベトナムにいた頃もそうだったけど、人と合わせるために練習するのは、何か気分が高まってくる感じがあるよ』


『なるほどな。聞いてるだけで、俺も何かいいなって思えてくる』


『ああ。それにさ、俺日本のロックも前々から聴いてたから。バンプとかラルクとか。その話をしたらサークルの人たちも喜んでくれてさ。やっぱ音楽ってのは簡単に国境を越えるんだなって思ったよ。反対に俺が好きなベトナムのバンドも教えたら、『いいね!』って言ってくれてさ。まだ始まったばかりだけど、サークルに入ってよかったって思う』


 そう言うトゥーは声を弾ませていて、ボクよりも順調な大学生活を送っていることを、ボクは少し妬ましくさえ思ってしまう。同胞であるトゥーが大学を楽しんでいることは、ボクにとっても喜ばしいはずなのに。


 でも、それよりも先にボクには嫉妬が来てしまい、そんな自分をボクは内心で恥じる。トゥーがすんなりと藍佐大学に溶け込めたのは、日本語や英語の勉強を頑張ったおかげなのに。


 ボクは『そっか。それはよかったな』と、表面上は取り繕う。トゥーは『ああ』と頷くと、それでもまだ話し足りていないかのように、さらに言葉を重ねていた。


『それとさ、実は俺先週からアルバイトも始めたんだよな』


 事も無げに言っていたトゥーにも、ボクは思わず『マジかよ。早くねぇか?』と驚いてしまう。ボクたちは日本にやってきてから、ようやく一ヶ月が経つところなのに。


 ボクは今日まで日本での生活や大学での日々に慣れるのに精いっぱいだったのに、トゥーは違うのだろうか。


『いや、マジだよ。大学の最寄り駅の近くにあるカラオケ店で働かせてもらってる』


『そっか。で、どうなんだよ? そのバイトは。楽しいのか?』


『まあ、楽しいって言うよりも、気が楽って言った方がいいかな。もちろん覚えることはそれなりにあるんだけど、でも同僚の人もみんな親切でさ。バイトを始めたばかりの俺にも、丁寧に教えてくれるんだ。おかげで少しずつ仕事も覚えられてきてるし、休憩時間も気楽に話すことができてる。正直バイトってもっと大変なイメージがあったから、逆にちょっと驚いてるくらい』


 そう言うトゥーはリラックスした様子を見せていて、見栄を張ったり嘘を言っているようではなさそうだった。働きやすいアルバイト先を見つけられたトゥーが、やっぱりボクには羨ましくてたまらない。


 まだ日本語も拙いボクを歓迎してくれる職場は、ボクにはそれほどあるとは思えなかった。


『それはいいな。お前が話してるのを聞いてると、なんだか俺もアルバイトをした方がいいように思えてくる』


『そうだな。まあ、絶対にやらなきゃならないってわけではねぇんだけど、でもお前も自分の好きに使えるお金は、少しでもあるに越したことはないだろ?』


『まあな』とボクは頷いた。


 ボクは奨学金も借りているとはいえ、それでも残りの学費は両親に払ってもらっている。その上日本に来るときにある程度まとまった額のお金をもらっているし、今でも月に五万円は仕送りをもらっている。


 だけれど、仕送りはそのまま家賃に消えていて、貯金も食費や光熱費などを払い続けていたら、いつかは底をついてしまうだろう。両親にもこれ以上の経済的な負担をかけないためには、遅かれ早かれボクはアルバイトを始めるしかないのだ。


『そっか。だったら、なおのことバイトを始めた方がいいかもな。自分で働いてお金を稼ぐってことは、それなりに自信にも繋がるから』


『ああ。でもさ、バイトってどうやって探せばいいんだよ? お前は、そのカラオケ店のバイト、どうやって見つけたんだ?』


『それはネットの求人サイトを見たんだよ。たまたまその店が募集をかけてて、応募したら運よく受かった。それだけだ』


『そっか。じゃあ、俺もネットの求人サイト、チェックした方がいいのかな』


『まあ、バイトしたいんならな。それに、なかなか見つけられなかったら、ホアさんに相談するのも一つの手だと思うぜ。ホアさんの方でも、俺たちみたいな留学生が働けるバイト先は探してくれるみたいだし、それに履歴書の書き方や面接の受け方も、アドバイスしてくれるしな』


『マジかよ。そんなことまでやってくれんのかよ』


『ああ。まあ、お前も頑張れよ。変に焦ることなく自分のペースでさ』


 アルバイトも始めてボクよりも忙しい毎日を送っているにも関わらず、トゥーはボクを励ましてくれた。その言葉は混じりけがなくて、だからこそボクも素直に受け取る。


『ああ、ありがとな』と返事をすると、トゥーも微笑んで返してくれる。同じように小さく笑うと、ボクは日本に来てからはなかなかないくらいの心休まる時間を過ごすことができる。やはり同胞と一緒に過ごす時間は、異国の地ではかけがえのないものなのだ。


 ボクの気分をさらに引き上げるかのように、店員がボクたちが注文したフーティウを持ってやってくる。エビや豚肉といったトッピングが目を引き、豚骨スープのかぐわしい匂いに、ボクの食欲はより掻き立てられた。



(続く)

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