【第48話】反対
そして、俺たちはまだ忙しそうにしている先輩や同僚に「お先に失礼します」と告げてから、映画館を後にしていた。
とはいえ、店に電話して予約を入れたのは夜の七時だったから、俺たちにはまだ時間的な余裕がある。それでも、映画館の混雑具合が波及して、いつも以上に混んでいる隣のショッピングモールに行く気にも俺たちはなれず、モノレールに乗った。
そして、俺たちはJRに接続している駅で降り、そのまま近くにある映画館に入った。いくら今は多くのスクリーンを鬼滅が占有しているとはいえ、それでも全ての映画館が鬼滅を上映しているわけではない。それは商業ビルの最上階にあるこのミニシアターもしかりで、俺たちは適当に時間が合った単館系の洋画のチケットを買って、スクリーンに入る。
館内は思っていたよりも空いていて、ひっきりなしに人で混み合っていたシネコンとは、別世界のようだった。
映画はまあまあ面白かった。派手な展開があったわけではなかったけれど、それでも心にじわじわと沁みこんでいく良さがあった。グエンも好感触を得たようで、俺たちは気分よく映画館を後にできる。上映時間も一時間半くらいだったから、俺たちは余裕を持って電車にも乗れる。
そのベトナム料理店の最寄り駅には、俺たちは三〇分もしないうちに辿り着いた。時刻も六時半を回ったところでちょうどいい。日も沈んでいたからか、心なしか涼しくなってきたようにも感じられる。日曜の夕食時ともあって、駅前も大分賑わっている。
でも、この日ばかりは人が多くいる分、グエンの不安も増していそうだ。俺はなるべくグエンと歩調を合わせて、店へと向かった。グエンが不安そうにしていたら、いつでも声をかけられるように。
そうしていると、俺たちは約束していた時間よりも少し前に、そのベトナム料理店に到着してしまう。やはり今が店も一番賑わう時間帯なのか、入る前から中にいる客の話し声も聞こえてくる。当然、店内は冷房も効いているのだろう。
だけれど、俺たちはすぐに店内には入らなかった。俺は今日はトゥーも交えて、三人で一緒に店内に入って、同じタイミングでチャ・ダーで乾杯をしたかったからだ。
グエンもそれに了承してくれて、俺たちは店先でトゥーがやってくるのを待つ。空も大分暗くなってきて、暑さも少し和らいでいたから、俺たちもあと十数分くらいなら外で待っていられた。
そして、店がある路地に入ってきたトゥーの姿が見えたのは、七時も一〇分前のことだった。
俺たちは合流して軽く言葉を交わす。それでも、トゥーの表情からも以前会ったときほどの元気は感じられなくて、それはトゥーも今日も昼間にカラオケ店でアルバイトをしていたことだけが原因ではないと、俺には思えてしまう。
それでも、俺たちは深く詮索することはせず、そのまま店内に入った。店内は以前訪れたときから何も変わっておらず、流れているベトナムのポップスも再び来た分、耳触りがよく感じられる。
そして、やってきた店員に七時から予約をしていることを告げると、俺たちは前と同じテーブル席に通された。
腰を下ろしてみると、俺は少し落ち着ける感覚があったのだが、それでもグエンたちはそうではないのは、俺には雰囲気からなんとなく察せられてしまう。でも、それももうすぐ全ての結果が出る以上、無理もないだろう。
チャ・ダーは、今日も俺たちが注文してから数分もしないうちに提供された。相変わらず日本茶とは違う鼻に抜けるような匂いが鼻腔を刺激する。
そして、俺たちはそのままチャ・ダーを手にしてすぐに乾杯、ということには今日はならなかった。グエンたちがチャ・ダーを手にしようとした瞬間に、俺が「その前にちょっといいか?」と呼び止めていたからだ。
グエンとトゥー、二人の視線が一斉に俺に向く。すると、これからしようとしている話の重大さに少し怯むようだったけれど、それでも俺は意を決して、「大丈夫。そんなに時間は取らないから」と前置きをしてから、その話を切り出した。
「あのさ、今こんな話をしている場合じゃないかもしれないけど、それでも言うわ。今日この国では、これからのこの国の行く末を決める、重要な選挙が行われているんだ」
俺がそう口にした途端、グエンだけでなくトゥーの表情にも緊張が走る。やはりトゥーも今回の参院選について、思うところはあったようだ。
「お前らの前でこんなことを言うのも気が引けるけど、今回の選挙ではとある政党の躍進が予想されてるんだ。知ってるかな。『日本人ファースト』っていう、信じられないようなスローガンを掲げてるあの政党だよ」
俺の言葉にグエンはもちろん、トゥーも押し黙ってしまう。やはりトゥーも『日本人ファースト』という言葉を目にしたり、聞いたことがあるのかもしれない。
でも、だからこそ俺はその先へと言葉を続けなければならなかった。
「でもさ、こんなこと言っても大丈夫だって安心はできないかもしれないけど、俺はその政党には投票しなかったから。日本人もお前らみたいな外国から来た人も同じ等しく大事な命なのに、そこに序列をつけるなんて、俺は絶対に間違ってると思う。いや、間違ってるって言い続けなきゃならないんだ」
「友貴……」グエンが小さく口を開く。それに俺は力強い眼差しで答える。これから言うことに、説得力を持たせるためにも。
「約束するよ。俺は『日本人ファースト』なんて思想には、何があっても絶対に賛成しない。少なくとも俺は選挙の結果がどうなったとしても、明日からも今までと何も変わらずお前らに接するから。だからさ、もしよければなんだけど、これからも俺と仲良くしてくれるか? 俺はこれからも、お前らと友達でいたいんだよ」
俺はそう、頭を下げてまで頼み込みたい思いに駆られた。だけれど、グエンやトゥーから目を離さない方が意思表示になると考え、俺は二人から目を逸らさない。
すると、俺にはグエンやトゥーがほんの少しだけ表情を緩めたように見えた。特にグエンは「なんだ。そんなことか」と感じていることが、俺にはテレパシーかのように表情だけで伝わってくる。
「うん、もちろんだよ。ボクもこれからも友貴と一緒に大学に通ったり、バイトしたりしていたい。他の人はそうじゃないかもしれなくても、ボクには友貴が良い人だっていうのは分かってるから」
「ああ、俺もだ。俺もさ、実は今日を迎えてちょっと不安なところはあったんだけど、それでもお前からこうやってご飯に誘われて、凄く嬉しかった。これからもさ、なかなかこうして会う機会はないかもしれないけど、でもたまには会ってご飯食べたり、ラインしたりしようぜ」
グエンもトゥーも、紛れもなく俺のことを認めてくれている。それが俺には、他の何物にも代えがたいほど嬉しかった。一人で上京してきたときは俺も不安だったのだが、それでもこうしてグエンやトゥーという友達ができたことを、他の誰かに自慢したくなるほどだ。気を抜いてしまうと、頬を伝ってくるものさえある。
だけれど、澄ました表情を見せている二人の前で、俺が泣くわけにはいかない。
だから、俺はチャ・ダーを手にして「ああ、ありがとな。じゃあ、これからもよろしくってことで、乾杯しようぜ」と言う。グエンやトゥーもチャ・ダーを手にすると、俺は「乾杯!」と音頭を取った。グエンやトゥーとコップを突き合わせる軽やかな音が店内に浮かぶ。
そして、俺たちはチャ・ダーに口をつけた。今日も茶葉の匂いが、口から全身に吹き抜けていくようで心地が良い。俺が思わず表情を緩めると、グエンやトゥーも同じようにさらに頬を緩めてくれる。
もしかしたらこれから日本は、排外的なムードに傾いていくのかもしれない。
それでも、俺はグエンやトゥーと一緒にいられる時間を最大限大事にしようと決めていた。
(完)




