表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/48

【第46話】投票


 その声を一度聞いただけで、俺ははっきりとした不快感を覚えてしまう。ペデストリアンデッキの向こう、JRの駅の入り口では、明日投票を控えた候補者が最後の街頭演説を行っていた。


 それを見て俺が思わず顔をしかめてしまったのは、その候補者があの「日本人ファースト」を掲げている政党から出馬していたことが大きい。以前見たときとまったく同じ場所で演説をしていて、もっと新宿とか渋谷とか人が集まるところでやればいいのにと思うほどだ。


 そして、一目見ただけでその候補者の周囲には前見たとき以上の聴衆が集まっていることも、俺の不快感に拍車をかける。その候補者や政党が掲げている「日本人ファースト」に疑問は持たないのだろうかと、一人一人に訊きたいくらいだ。


 だけれど、その光景をたとえ一秒でも目にするのが嫌だった俺は、すぐに背を向けて足早にペデストリアンデッキを下りていった。その候補者が発する声から少しでも離れられるように、図書館へと歩を進める。


 信号を渡ってしばらく歩くと、ようやく街頭演説の声は聞こえなくなった。それでも、俺の脳裏には先ほど一瞬でも見てしまったあの光景が残り続ける。正直まだ不愉快で、この思いをどうやって打ち消せばいいのか、その方法は一つしかないように俺には思えた。





 図書館に本を返した俺は、新しく別の本を借りることもなく、すぐに図書館を後にしていた。そこは午後五時で閉まってしまうこともあって、俺は少し早足になってしまう。駅に到着して、すぐにモノレールに乗る。


 そして、最寄り駅で降りた俺は、そのまま脇目も振らず家に帰った。すぐにリビングに向かっていき、テーブルの上に置きっぱなしだったいくつかの郵便物の中から、それを手に取る。


 そして、それをバッグに入れると、俺はまたすぐ家を出ていた。今はもう四時半を回っていて、終了時刻まではあと三〇分ほどもない。距離的には間に合うと分かっていても、それでも万が一のことを考えて俺の気持ちは逸っていく。


 俺の家から一番近い市役所の支所に着いたときには、もう時刻は午後の四時五〇分を回っていた。それでも、間に合ったことには違いないので、俺は上京してきたときに住所の変更手続きをして以来となる、支所の中に足を踏み入れる。各種窓口には目もくれず、階段で二階に上がる。二階には会議室が二室あって、その手前の方の部屋がまさに俺が用事があるところだった。


「期日前投票所」と書かれた案内に従って室内に入ると、入り口の側には二人の職員が座っていた。俺は家に届いた投票券を差し出して、代わりに投票用紙を受け取る。そして、俺はいくつかの衝立で仕切られた机へと向かった。


 そこは紛れもなく投票者の名前を記す場所で、鉛筆を持つと俺は改めて息を呑んでしまう。


 思えば一八歳になってからは、地元で一回市議会選挙があったけれど、俺はそこへは行かなかった。だから、投票をするのは、俺には今日が初めてだ。こうして投票用紙と向かい合っていると、「一票の重み」という言葉をひしひしと感じる。


 そして、俺はそこに意を決して名前を書いた。それには「この人が選ばれてほしい」という思いよりも、「あの『日本人ファースト』と唱えていた人は選ばれてほしくない」という思いの方が強かったことは否めない。


 でも、どんな形とはいえ一票は一票だろう。


 俺は振り返って投票箱に投票用紙を落とした。ストンという小さな音が、それ以上の大きさを持って鼓膜に響いた。


 でも、とある候補者に一票を投じたところで、俺の投票は終わらなかった。当然だが、まだ比例代表への投票が残っている。


 そうは言っても、比例代表の仕組みは正直なところ、俺には大雑把にしか分からない。だから、何となくと言ったら語弊があるが、それでも明確に「日本人ファースト」を掲げているあの政党以外の名前を記入して、俺は再び一票を投じた。


 そうすると、俺の生まれて初めての投票は、あっけないほど簡単に終わった。来る前はもっと責任重大な行為にも思えていたのだが、それでも少し腰が抜けそうになってしまうほどすぐに終わって、これだったら新潟にいたときにも選挙に行っておけばよかったと感じる。


 そして、投票を終えて会議室から出ると、俺は思いがけない清々しさを感じた。自分が本当に微力でも社会に参加している気がして、国民の権利を行使するとこんなにも爽やかな気分になるのかと感じる。


 もちろん、俺が一票を投じたとしても、その影響力はたかが知れている。


 でも、それも投票をしないまま選挙結果を知るよりはずっと良くて、家に帰っている間も俺の自己肯定感はにわかに上がっていた。





 そして、次の日も俺は開館時間からアルバイトに入るため、朝の六時には目を覚ましていた。いつにも増して寝覚めがよかったのは、昨日期日前投票を済ませたからだろうか。窓の外の空もいい具合に雲がかかっていて、そこまで気温は上がっていなかったし、投票日当日は選挙運動が禁止されているらしいから、選挙カーや街頭演説に出くわすこともないだろう。


 だけれど、冴えていた俺の頭は出かける前にスマートフォンでSNSを見ると、少し重くなってしまう。トレンド欄には今日が投票日当日だからか、朝からいくつも今回の選挙に関連したワードが上っていた。その中には「日本人ファースト」を掲げるあの政党を連想させるようなものもある。


 選挙の結果が出ることはおろか、まだ今日の投票すら始まっていないから、当然まだ何一つ決まっていない。


 でも、俺はグエンもこのSNSを見ているのだろうかと気を揉む。いや、たとえ見ていなくても「日本人ファースト」を掲げるあの政党は少なくない数の議席数を確保する予測も出ているから、きっと俺とは比較にならないほど気が重くなっているに違いない。


 だから、そんな中でも俺は、できる限り普段通りグエンに接しようと決める。俺までいつもと違った様子を見せていたら、グエンもますます不安に苛まれると思った。


 そして、俺がいつもとほとんど同じ時間に最寄り駅に着いても、そこにまだグエンの姿はなかった。ラインを送ると「もうすぐ着く」という返信は来たものの、それでも俺は心配せずにはいられない。


 それはモノレールの時間に間に合うかどうかもあったけれど、それ以上に参院選の投票日を迎えた今のグエンの精神状態の方が俺には気がかりだった。待っている間もモノレールの出発時間は刻一刻と近づいてきて、俺は少し焦り始めてしまう。


 そして、グエンがやってきたのは、モノレールが出発するまであと一分になろうかという頃だった。「ごめん! 遅くなった!」と謝られても、もう頭上では「間もなく電車が到着します」というアナウンスが流れていたから、俺にはグエンを慮っていられる余裕はない。


「いいから早く行こうぜ!」と俺たちは急いで改札をくぐり、駆け足でホームへの階段を上る。そして、ちょうどホームに停まっていたモノレールに何とか駆け込むと、その直後にドアは閉まってモノレールは動き出した。車内はまだ空いていて、俺たちは隣り合って座席に腰を下ろせる。


 そして、一息つくと俺の胸には心配がぶり返してくる。グエンがここまで遅れてしまったのは、やはり今日の選挙のことや「日本人ファースト」を掲げるあの政党のことが気がかりで、またあまり眠れなかったのではないかと。


 だけれど、いくら何でもそれをストレートに訊きだすことを俺はしない。俺は今日一日、グエンの前ではいつも通り振る舞うと決めたばかりだった。


 そうしてモノレールに乗っている間、グエンは少しウトウトしていて、やはりあまり眠れなかったのかもしれないと俺は察する。俺も無理に話しかけることはせず、グエンのしたいように任せて、それでも映画館の最寄り駅に着くとグエンを起こして、モノレールから降りた。


 今日もどうにか出勤時間には間に合い、制服に着替えた俺たちは全員での朝礼に参加する。島屋さんは「今日も引き続き、非常に多くの観客の来場が予想されます」と言っていて、もちろん大変なことには違いなかったけれど、それも今の俺には少しだけプラスにも捉えられる。


 きっと動き続けていれば、グエンも昨日のようにまた極度の不安に苛まれずにいられるだろう。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ