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【第45話】前日



 そのまましばらくは俺もグエンも何一つ喋らず、動けず、部屋には外から聞こえてくる雨音だけが響く時間が続いた。そうしてどれだけの時間が経ったのかは分からなかったけれど、グエンはふと顔を上げて、「友貴、アニメ見よう」と言う。


 俺も頷いて、テレビの電源を入れてサブスクリプションサービスで配信されていたそのアニメを、先週の続きから俺たちは二人で見始めた。


 だけれど、先週はあんなに面白く感じられていたそのアニメが、今の俺にはそのときの半分ほどの面白さも感じられない。


 それはアニメがつまらなかったからではなくて、間違いなく俺たちの方に原因があった。無言でアニメを見続けているグエンが発している重苦しい雰囲気はなかなか和らがず、同じ空間にいると本当に申し訳なかったけれど、俺は息が詰まるような心地を感じてしまっていた。


 外で激しく降っていた雨は、本当に通り雨みたいな感じで、俺たちが家に帰ってきてから一時間もしないうちに大分弱くなっていたし、二時間もした頃にはもうすっかり上がっていた。


 そして、最後の一二話までアニメを見終えたところで、グエンも自分の家へと帰っていった。まだ心配だった俺は「一緒に帰ろうか?」と申し出たのだが、それもグエンは「ううん、大丈夫」と断っていた。その表情にはまだ重苦しさが見え隠れしていて、あまり大丈夫なようには見えなかったが、それでも俺はグエンがそう言うならと引き下がるしかない。


「また明日な」「うん、また明日」そう最後に短く言葉を交わして、グエンが玄関を閉めた途端に、俺は猛烈な不安と寂しさに襲われる。いつも暮らしている自分の部屋なのに、気持ちはまったく落ち着かない。


 テレビの音もしなくなった中で、俺は一人立ち尽くす。


 明日、グエンは大学にやってくるのだろうか。俺たちは、また無事に顔を合わせることができるのだろうか。


 今の状況では一〇〇パーセントそうだとは言い切れず、俺の胸に巣くう不安は大きくなっていくばかりだ。


 そして、この状況を作っている元凶にも、俺は明確に思い至る。そのことを考えると、やり場のない怒りさえ俺には込み上げてくるようだった。


 そして、翌朝。九時過ぎに目を覚ましてみても、昨日感じた不安はまだ俺の中から姿を消してはいなかった。朝起きた瞬間から、グエンのことを思ってしまって気が気でない。


 ひとまず「おはよう」というラインを送ってみても、すぐに返信は来なくて、それが俺の不安をますます増幅させる。もちろんまだ寝ている可能性は大いにあるが、それでもグエンに何かあったのではないかと、俺は居ても立っても居られないような思いにも駆られる。


 だけれど、俺はこれまで一度もグエンの家に行ったことはなかったし、住所すらも知らない。俺にできることと言えば、グエンは今日も必ずやってくると信じて、二限の講義に間に合うように大学に行くことしかなかった。


 俺が二限の講義が行われる一号館に着いたのは、講義が始まる一〇分ほど前のことだった。でも、そのタイミングになってもエントランスにも教室にもグエンの姿はなくて、俺は不安を通り越して焦ってしまう。「先に入ってるからな」というラインにも返信はない。既読すらついていない。


 これはいよいよ本当にグエンの身に何かあったのではないか。もしこのままグエンが来なかったら、気になって講義にも集中できない。


 その思いを、俺が強くしている矢先だった。講義の開始まであと一分を切ったところで、勢いよく教室のドアが開いたのだ。


 大きな音がしたので、俺もその方を向くとそこにはグエンが立っていた。急いで来たらしいことは、軽く上がっている息と腕や顔に流れている汗で分かる。


 そして、グエンも早足で俺のもとまでやってきて、隣の席に座った。「ごめん、友貴! 遅くなった!」と開口一番謝っていて、俺も「いや、いいよ。ギリギリだけど、間に合ってるんだし」と応じる。


 なんとなく想像はついたものの「それより、どうしたんだよ?」と訊くと、「うん。ちょっと寝坊しちゃって。本当に間に合わないと思ってたけど、こうしてギリギリ間に合ってよかったよ」という答えが返ってくる。


「寝坊したのは、なかなか寝れなかったからで、それはやっぱり不安だったからか?」とは俺も訊きたかったけれど、それは訊く必要もないことだったし、何よりその前に講義開始を告げるチャイムは鳴っていた。


 俺たちも話をやめて、前に向き直る。それでも、隣からはまだ焦ったような雰囲気は感じられて、それは落ち着くまでに少なくない時間がかかっていた。


 そして、一日の講義を終えると、その日は木曜日だったので、俺とグエンは二人で映画研究会の活動が行われる七号館の教室へと向かった。八月に行われる映画の撮影はいよいよ近づいていたから、俺たちの打ち合わせも詰めの部分を迎え始める。教室で実際にカメラを回して、演技や機材の扱い方を確認したりもする。


 教室には普段にも輪をかけて真剣な雰囲気が漂っていて、俺が少し懸念していたグエンの様子も、基山さんとともに集中して録音に当たっていて、活動をしている間はいくらかマシになっているようだった。


 そうして、俺たちは金曜日も講義とアルバイトでやり過ごし、土曜日を迎えていた。この日も俺たちには金曜日に引き続いて、映画館でのアルバイトが朝の七時半から入っている。


 だけれど、出勤時間に間に合うように最寄り駅に集合したときにも、グエンの様子はあまり冴えているとは言い難かった。あまり寝られていないかのように、瞼も重たそうだ。


 それは今日が参院選の投票日前日だからだろうと、俺にははっきりと思い至る。投票日を明日に迎えた今日が、実質的な選挙運動のピークだ。きっと全国各地で盛んに街頭演説などの選挙運動が行われるのだろうし、朝起きてSNSを見たときにも、今回の選挙関連のワードがいくつかトレンドに上っていた。


 日本中が参院選を意識しているような空気は、グエンも感じていたのだろう。


 それでも、俺はいつもと変わらない調子で「じゃあ、行こうぜ」と言う。グエンもなるべく普段通りに「うん」と答えようとしている。でも、そのどこか元気のない姿に、俺は今日と明日の二日間を無事に乗り越えられるのだろうかと、心配になってくるようだった。


 それでも、そんな俺の心配もよそにグエンはいざ映画館に着いてコンセッションに出ると、何の問題もないかのように働いていた。


 実は映画館は、今が一年で一番忙しい時期と言っても過言ではなかった。数年前に日本映画の興行記録を塗り替えた、大人気アニメシリーズの最新作が昨日から公開されていたためだ。その人気は数年経っても少しも衰えてはおらず、この映画館でも昨日から一日に何十回も上映しているのに、満席の回が続いている。俺たちもバイトが終わったら観ようとは、気軽に言えないくらいだ。


 だから、コンセッションにやってくる人は朝から絶えることはなく、次々となされる注文に、俺たちも入れる最大の人数で応じる。ポップコーンを掬い、ドリンクを注いで提供する。そんなことを、何十回と繰り返す。文字通り目が回るほどの忙しさだ。


 だけれど、グエンにとってはその忙しさが、立ち止まって考える時間を作らせないという意味で、かえってよかったのかもしれない。一つの大きな機械の歯車になったかのようにひたすら働いているグエンの様子に、俺も頑張らなければという気になる。


 そうしていると、ひっきりなしに観客が訪れていて休む暇さえもほとんどなかった仕事も、着実に時間は過ぎていき、俺たちはこの日の仕事が終わる午後三時半を迎えていた。


「お先に失礼します」と言って映画館から出たときには、俺もグエンも仕事の間はずっと動き続けていたから、かなり疲れていた。ここから未だに混雑している映画館に観客として入って、満席状態のなか二時間以上も映画を観続ける気力は、もはや俺たちには二人ともにない。


 だから、俺たちは隣接しているショッピングモールに寄ることもなく、まっすぐ駅に向かってモノレールに乗った。車内にもやはり昨日から公開された映画を観て、これから帰るところだと思しき乗客が多い。俺たちは珍しく座席に座れなかったことも俺の疲労に拍車をかける。


 さらに、俺はこのまままっすぐ帰るわけにはいかなかった。JRの駅の近くにある図書館で、課題の参考用に借りた本の返却期限が今日だったからだ。


 俺はJRの駅と接続する駅で、モノレールを降りる。他にも多くの乗客が降りて、何とか座席に座れたグエンと別れて、俺はモノレールの駅を出る。


 すると、拡声器に乗ったその声はすぐに聞こえてきた。


「ご通行中の皆さん、こんにちは。参議院議員候補の××××です。今回は皆さんに最後のご挨拶をしたいと思い、やって参りました」



(続く)

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