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【第42話】羞恥


 その演説は候補者たちの前を通り過ぎて、駅の中に入ってもまだ俺の耳に届いてきていた。数十人いた聴衆が、候補者が言葉を区切ったタイミングで拍手をしたのも同様に聞こえてくる。


 だから、そこから少しでも早く離れるために、俺は足早に駅の中を進み、改札をくぐった。それでも、ホームに降りても次の上り電車がやってくるまでにはまだ数分あって、その間俺はただ待つしかない。


 スマートフォンを手にして、SNSを眺めていても、俺の頭には嫌なことに、先ほどの候補者の選挙演説が残り続けていた。


 それに対する俺の感想は、一言で言うと「何言ってんだろう」だ。もしかしたら俺が平和ボケしているだけなのかもしれないが、それでも俺にはその候補者が言ったことが、すぐには現実には結びつかない。一種の陰謀論のようにさえ感じられてしまう。


 そして、それ以上に俺が嫌だったのは、その候補者が「日本人」という言葉を強調していたことだった。グローバル化が進んだ現代で、それはいささか時代に逆行しているような気がする。スローガンのように用いられていた「日本人ファースト」という言葉も、「自分たち日本人が一番だ」と言っているようで気恥ずかしい。


 その人には左右できない国籍によって優劣をつけているから、今世界には排他的な空気が漂っていて、戦争もまだまだ終わる兆しを見せていないのではないか。その候補者や、その候補者を擁立した政党は、過去の歴史に学んでいないのかとも思ってしまう。


 そして、俺はその瞬間に、はたと気づく。俺はいつの間にか、グエンの顔を思い浮かべていた。


 そういえば、その候補者は「外国人留学生に対する優遇措置の厳格化」を掲げていた。そうなると、それもグエンにまったく無縁な話ではないだろう。


 いや、そもそも「日本人ファースト」を掲げるくらいだから、その候補者や所属政党は日本人を尊重して、グエンをはじめとした外国人は二の次でいいと、思っているのだろう。


 そのことに俺は、少し反感を覚える。俺たち日本人もグエンをはじめとした外国人も、同じ一人の人間で、等しく大切な命なのに、そこに序列をつけるなんて、本当に何様のつもりだろうか。


 もちろん問題を起こす外国人もいるかもしれないが、それは日本人だって同じことだ。何より話している限りでは、俺にはグエンもトゥーもとても良い奴に思える。それはきっと、他の多くの外国人も同じことだろう。


 そう考えると、俺にはその候補者や所属政党は外国人と接した機会に乏しいのかとさえ思えてしまう。俺よりもずっと年齢を重ねて、分別がついているであろういい大人が、臆面もなく「日本人ファースト」と言っていることに、内心で軽く頭を抱えるようだ。


 それに加えて、その候補者の選挙演説を何十人という人たちが真剣な顔をして聞き入っていて、あまつさえ拍手をしていたことを思い出すと、少し気分も滅入ってくる。


 その政党がここ最近になって、良い意味でも悪い意味でも存在感を大きくしていることは、政治に疎い俺ですらなんとなく知っている。ということは「日本人ファースト」という排他的なスローガンに共感したり、支持している人も少なからずいるのだろう。


 その状況を想像すると、俺は恥ずかしくなってしまう。とても今の時代に合っていたり、世界に誇れる姿だとは思えない。


 本当はこんなことは考えたくないが、それでも構内アナウンスがまもなく電車が到着することを伝えてきていても、俺はそのことを考えずにはいられなかった。


 もしかしたら「日本人ファースト」という声が大きくなっていることが、グエンが浮かない表情をしていた理由なのかもしれない。もちろん断定はできなかったが、その可能性は考えれば考えるほど、俺の中では大きくなっていた。





 その翌日も、俺とグエンは二限が始まる前にまた顔を合わせていた。グエンの表情はほとんど今までと変わらないくらいにまで戻ってきていたものの、それでも昨日あの選挙演説を聴いたからには、俺はその奥にある本心を想像せずにはいられない。そのままズバリ「『日本人ファースト』についてどう思ってる?」と、訊きたい思いにも駆られる。


 だけれど、会ったばかりではそんな立ち入ったことは、俺には訊けない。適当に「昨日言ってた課題は終わったのかよ?」というような会話で、お茶を濁す。


「まあ、なんとかね」と答えたグエンは大分落ち着いた表情を浮かべていて、本当のことを言っていると俺にも分かったものの、それでもまだグエンには俺に打ち明けられていないことがあるのではないかと、俺は思わずにはいられなかった。


 この日は俺もグエンもまったく同じ講義を受けていたから、俺たちは講義が終わった後の時間も含めて、長い間一緒にいることができていた。隣で見ている限りでは、グエンはちゃんと集中して講義を聴いていたし、昼休みをはじめとした合間の時間も、俺といることを苦に思っている様子はあまり感じられない。まるで先月までの様子に戻ったみたいに。


 だけれど、それでもやはり俺は、グエンの心情を慮らずにはいられなかった。グエンだって生活をしたりSNSを見ている中で、あの政党の「日本人ファースト」というスローガンには触れているかもしれないのだ。


 だけれど、それを尋ねる踏ん切りは、やはり俺にはなかなかつかない。講義が終わるたびに訪れる訊く機会も、ことごとくふいにしてしまう。


 そうして何も訊きだせないままこの日の講義は終わり、俺たちはアルバイト先である映画館へと向かう。モノレールに乗っている間も、グエンはほとんど切れ間なく他愛もない話を俺にしてきていて、それは俺に何か尋ねる隙を与えまいとしているかのようですらあった。


 映画館でのアルバイトは、この日も夜の一一時よりも前、モノレールの終電に間に合うように終わっていた。平日の夜は映画館も大分穏やかで、コンセッションに並ぶ人も休日ほどには多くなかったから、俺たちはこまめに休憩も取りながら働くことができていたのだ。


 そして、映画館を後にしてモノレールに乗ったとき、俺は少しの疲労とそれ以上の空腹を感じる。映画館の近辺にはショッピングモールくらいしか食事を摂れるところはなくて、そのショッピングモールも既にこの日の営業を終えていた。


「ああ、お腹すいた」と、俺が感じているのと一言一句違わないことをグエンが呟く。アルバイト前に軽くパンは食べたものの、それでも夕食がまだの状態で夜の一一時を過ぎて、空腹を覚えない人間の方が珍しいだろうから、俺も素直に「そうだな」と相槌を打った。


「なあ、これから何食おっか」


「いや、何にするももう今開いてる店なんて、駅の辺りじゃすき家かガストぐらいしかねぇだろ」


「そうなんだよなぁ。昨日はガストに行ったから今日はすき家かなぁ」


「ああ。俺もすき家でいいと思う」


「そっか。じゃあ、ボクは今日もカレーにしよっかな」


「お前、本当毎回のようにカレー食べてるよな」


「いや、別にいいでしょ。美味いんだから。それを言ったら友貴だって、毎回同じ牛丼食ってんじゃんか」


「ああ、そうだな。俺もお前のこと言えなかったわ」


 俺たちは帰りのモノレールの中でも、他愛のない会話を交わす。グエンは和やかに微笑んでいたが、それでも俺は釣られて笑うことはできなかった。昨日から気がかりに感じていることを、俺はまだグエンに訊けていない。


 終電も近い車内には、乗客は片手で数えられるほどしかおらず、どこか今日が終わっていくような物寂しい雰囲気が漂っていることも、俺がなかなかそのことを切り出せずにいる一因だった。



(続く)

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