【第41話】演説
翌日の火曜日はグエンは二限に選択科目を取っていたけれど、俺には一限にも二限にも講義は入ってはいなかった。だから毎週火曜日は、俺はその気になれば昼頃まで寝て過ごせるのだが、それでも今日ばかりはそれが仇となったように思えてしまう。
講義がないということは、特に大学に行く理由もないということで、昼休みの時間までグエンに会えないことが、今の俺にはじれったく感じられる。ラインで「最近どうかしたのか?」と訊いてみても、グエンは「別に何ともないよ」と返信するだけだろう。いくらそれが本当ではないと思ったとしても、ラインではグエンの表情や声色を窺い知ることはできない。
直接顔を合わせなければ分からないことは数多くあって、いくらラインでやり取りをしても、今は何の意味もないように俺には思われた。
そして、俺は正午を迎える少し前になって、大学の学生食堂に入っていた。ひとまず入り口近くの席に座って、講義を終えたグエンがやってくるのを待つ。
すると、事前に学生食堂に着いたこともラインで知らせてあったから、グエンは二限の終了を告げるチャイムが鳴って間もなくして、学生食堂に現れた。入ってくるその様子は大分普段と変わらなくなってきたように見えるし、「よっ」と俺が声をかけても、「おう」と自然に応じている。その姿は気がかりなことなんて何もないように、俺には見える。
それでも安井さんと、何より俺自身が心配しているからには、たとえ少し心苦しくても訊かないわけにはいかない。
俺たちは食券機で選んだ料理を配膳口で受け取って、適当に空いている席に二人並んで座る。そして、お互いの料理を食べ始めてから、わりかしすぐに俺は第一声を発していた。
「あのさ、グエン。違うなら違うって否定してくれてもいいんだけどさ」
そう前置きをした俺にもグエンは「何?」と反応している。それが素なのか、取り繕っているのかは俺には分からない。
だけれど、こういうことは先延ばしにしても訊きづらくなるだけなので、俺も一度切り出した流れに乗るように尋ねた。
「お前さ、最近何かあったのか?」
「何かって?」
「いやさ、ここ最近のお前って、なんだか少し元気がないように見えるからさ。何か心配なこととか、気がかりなこととかあったんじゃねぇのかなって」
「えっ、ボク、そう見えてた?」
「まあ、少なくとも俺からは。あと、安井さんも少し心配してたぞ。お前に何かあったんじゃないかって」
俺が安井さんの名前を出してまで尋ねると、グエンは少し黙ってしまっていた。カレーライスを食べる手も止まっていて、その横顔が俺には、どうやって答えようか考えているように見える。
「……いや、何でもないよ」
グエンのその返事は、あからさまに取り繕っていた。すっと本音を胸の奥に引っ込めたであろうことは、いくら何でも俺にも察せられてしまう。
だけれど、ここで根掘り葉掘り訊くことは俺にはためらわれた。グエンが言った「何でもない」は明らかに嘘っぽかったが、それでもここでしつこく訊かれてもいい思いはしないのは、俺も逆の立場に立ってみれば分かる。
悩んでいるからこそ、そう簡単に打ち明けられないことは、誰にだって一つや二つはあるだろう。
「そっか。まあ、でも何かあったら、俺に相談してくれてもいいんだからな。別に遠慮なんてしなくたっていい。俺もできることがあったらするし、どうすればいいのかもできる限りお前と一緒に考えるから」
「う、うん。分かったよ」
そう返事をしたグエンは、やはりどこか乗り気ではないようだった。きっといくら友達とはいえ、打ち明けるのには少なからず勇気がいるのだろうと、俺は想像する。だから、俺もこの場で無理に訊きだそうとはしない。
いつの間にか止まっていた昼食を再開させようと、俺は自分から生姜焼き定食を再び食べ始める。グエンもまたカレーライスを口に運んでいる。
冷房の効いた学生食堂は、一息つく学生たちの気の抜けた声で溢れていた。
「なあ、グエン。今日この後って空いてるか?」
三限の時間を別々に過ごし、四限で同じ必修科目の講義を九〇分間みっちり受けてから、講義が終わった瞬間に俺は、隣に座るグエンに話しかけていた。今日はもう俺たちには講義は入っていないし、映画館でのアルバイトも二人同時に休みを貰えている。
「どうしたの?」と不思議そうな顔をして訊き返しているグエンに、俺は自然に答えた。
「いやさ、よかったらまた一緒に映画でも観ねぇかって。今さ、新宿のミニシアターで面白そうな映画がやってんだよ。だから、お前と一緒に観たいんだけど」
「う、うん。誘ってくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと今日行くのは難しいかな……」
グエンはどんな映画なのかを訊くこともせず、そう返事をしていて、本当に今日は都合が悪いことが俺には伝わってくる。一応「どうしてだよ?」と理由を尋ねてみると、「いや、まだ明日の講義で提出しなきゃいけない課題が終わってなくて。これから今日のうちに、それを終わらせちゃいたいんだ」という答えが返ってくる。
それは厳密に言えば、本当のことなのかどうかは俺には分からなかったが、それでもここで俺はグエンを疑うような真似はしたくなかった。グエンがそんな嘘をついてまで、仲のいい人間の誘いを断るような人間ではないことは、俺にもここまでの付き合いで分かっている。どのみち単位を取るためには、課題は提出しなければならないのだ。
だから、俺は「そっか。そういうことならしょうがないな」と素直に頷く。「うん。よかったらまた誘ってよ。そのときはまた観に行くから」というグエンの言葉も、俺には本心で言っているように聞こえていた。
四限の講義が終わったのが午後の四時で、新宿でその映画の上映が始まるのが午後の五時半。だから、俺は講義が終わるとすぐに敬朝大学を後にしていた。すぐに出発すれば、その映画館にはちょうどいい時間に辿り着くことができたからだ。
一人で最寄り駅からモノレールに乗り、JRとの接続駅で降りる。
すると、その声は駅を出る前から聞こえてきていた。マイクか拡声器を通したような声の発生源はJRの駅の方向だ。
そして、モノレールの駅を出ると、その光景はすぐに俺の目に入ってきた。ペデストリアンデッキの上、南口の付近に人だかりができていたのだ。その先には一段高い台に上った男性が、オレンジ色の名前が書かれたタスキをかけている。その両脇にはこれまたオレンジ色の幟が立てられていて、「ご通行中の皆さん、こんにちは。私○○党から出馬しています、参議院議員候補の××です」という声に、それが選挙演説であることが俺には分かった。あまり意識したことはなかったけれど、今が参議院選挙の選挙期間中であることを俺は再認識する。
そして、その光景に俺ははっきりと「面倒くさいな」と思う。だけれど、JR線に乗り換えるためには、その選挙演説が行われている前を通るしかない。イヤフォンでも持ってくればよかったと、軽く後悔する。
俺はその選挙演説をなるべく聴かないように、興味も持っていないというように、足早にペデストリアンデッキを歩く。それでも何も遮るものもないと、その候補者の選挙演説は自然と耳に入ってきてしまっていた。
「皆さん、今の日本において何が一番大切か分かりますか? それは諸外国の脅威から日本を守ることです。今の国際社会では情報、経済、サイバー領域など様々な領域で侵略・攻撃する『超限戦』が当たり前のように行われています。そして、それは日本においても例外ではありません。私が参議院議員になった暁には、防衛・政治外交・経済・情報文化といった分野を強化し、日本を守ります。具体的には外国人に関する諸課題を一括して取り扱う『外国人総合政策庁』を設置します。社会の不安定化を防ぐために、外国人の流入規制、特定技能制度の見直し、外国人留学生に対する優遇措置の厳格化、不法移民・不法滞在・不法就労への取り締まり強化等を行います。そして、何より尊重されるべきはこの国で暮らす皆さんの生命や安全、伝統や文化です。私、そして私たち○○党は『日本人ファースト』を掲げ、全力で皆さんをお守りすることを誓います。ぜひ皆さん、そして日本人一丸となって諸外国の侵略・攻撃にも負けない、強い日本を作っていきましょう」
(続く)




