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【第40話】選挙


「それでさ、話は変わるんだけど」


安井さんがそう言ったのは、それからも一通り映画の話をして一〇分ほどが経った頃だった。ドリンクと一緒に注文した料理が運ばれてくる気配はまだなかったが、それでも俺は映画の話が楽しかったから、何の気兼ねもなく相槌を打った。


「お前さ、誰に入れるかってもう決めたりしてるのか?」


 そう訊かれただけでは、安井さんが何の話題を始めたのか、俺にはすぐには分からなかった。軽くキョトンとしながら、「何がですか?」と訊き返してしまう。安井さんもさも当然かのように答える。


「いや、何がですか? って今選挙の真っ最中だろ。参院選」


 安井さんに簡単に説明されたことで、俺も「ああ」と合点がいった。確かに今は参議院選挙の選挙期間だ。


 確か三日から始まっていて、SNSでも連日今回の選挙に関連したワードがトレンドに上っている。日本に住んでいれば誰もが、多かれ少なかれ意識せずにはいられないだろう。


 だけれど、俺はほとんど意識していなかったから、返事も少し間の抜けたものになってしまう。それは安井さんにも「いや、『ああ』って」と軽く苦笑されてしまうほどだった。


「お前だって大学生なんだから、もう一八過ぎてるだろ。だったら選挙権もあるわけじゃんか。それなら、もうちょっと意識しててもよくないか?」


 確かにそうだ。一〇〇パーセント正しいことを言われて、俺はぐうの音も出ない。


 でも、この場で選挙の話題を持ち出すあたり、思いのほか安井さんは政治や社会に関心があるのだろうか。それが俺には、少し意外に感じられる。


「そうですね。言う通りだと思います。あの、安井さんはもう誰に投票するかって決めてたりしてるんですか?」


「いや、俺もまだ考えてる最中だよ。どの候補者も、どの政党も一長一短だからな。それでも、選挙自体には行こうと思ってるよ。たとえたった一票だったとしても、俺の声を政治や社会に伝えられるチャンスだから」


「安井さん、凄いですね。俺、今まで生きてきてそこまで考えたこと、一回もないですから」


「そっか。まあそれがダメだとは言わないけど、でもやっぱり俺は投票には行った方がいいと思うぜ。自分はここにいる。ちゃんと考えを持っているって証明するためにも」


「そうですね。おっしゃる通りだと思います」


「ああ。でも、お前もしかしてこういう選挙や政治の話って、あまりしたくない感じか?」


「い、いや、そういうわけじゃないですけど」


「いいよ、無理しなくて。俺もちょっと押しつけがましかったよな。悪いな」


「いえいえ、安井さんが言ったことは本当にその通りですし、僕も選挙に行かなきゃって改めて思いました」


「そっか」そう呟いた安井さんの腹の内が、俺には正直分からない。テーブルの雰囲気も、なんだか少し微妙になってきている。悪いのは、選挙についてまだ何も考えていない俺の方だというのに。


 この状況で何と言ったらいいのか、俺が会話の糸口を探していると、そのタイミングを見計らったかのように店員が料理を持ってやってきた。俺が醬油ラーメン。安井さんが天津飯。さらに二人で分けて食べる用に、餃子もついてきている。


 料理が運ばれてきて、話を終わらせるのにちょうどいいタイミングがもたらされたことに、俺は助かる思いがした。正直、選挙や政治はあまり進んで話したい話題ではない。


 安井さんも「まあ、食うか」と言ってくれていて、俺たちは選挙の話題もいったん切り上げて、夕食を食べ始める。醤油ラーメンはあっさりとした味わいでも、ちゃんと塩気が効いていておいしかった。


「あっ、そうだ。今日お前に訊こうと思ってたことが、もう一つあったんだけど」


 お互いに自分の料理をある程度のところまで食べ進めたところで、安井さんはふと思い出したかのように言った。その切り出し方は、俺に良い予感というよりも、どちらかというと悪い予感の方を抱かせる。


 それでも、そう感じていることはおくびにも出さないように、俺は平静を装って「何ですか?」と返事をする。安井さんも、純粋に気になっているかのように尋ねてくる。


「いや、お前さ、最近グエンとはどうなんだよ。うまくやっていけてんのか?」


 その質問が少し思いもよらなかったから、俺は思わず「どういうことですか?」と訊き返していた。俺としては、今も俺とグエンの間には、何も問題はないように思えるのだが。


「いやさ、だってこの前の映研の活動のときグエン、ちょっと元気なかったじゃんか。だから、お前ならなんか知ってんじゃねぇのかなって」


 そこまで聞いて、俺は安井さんがしている心配がようやく腑に落ちるようだった。


 確かに先週の木曜日は、一日を通してグエンは気がかりそうな表情を浮かべていた。雰囲気もどこか淀んでいたから、安井さんが心配に思うのも無理もないだろう。


 現時点でグエンと一番仲が良いのは俺なのだから、安井さんがグエンのことを俺に訊いてくるのも、また頷けることだった。


「いや、確かに先週のグエンはちょっと元気がないように見えたかもしれないですけど、でも大丈夫だと思いますよ。金土日とバイトをしてても、大分いつも通りの様子に戻ってきてましたし、今日なんて俺と話してるときに、少しですけど笑ってもいましたもん。だから、そこまで心配することはないと思いますよ」


「そうか? 大分ってことは、まだ完全に今まで通りではないってことだよな。そう考えると、俺にはやっぱグエンに何かあったように思えてくるんだけど」


 俺が「大丈夫」だと言っても、安井さんはまだ納得してはいないようだった。それは心配性というわけではなくて、それだけグエンを同じ映画研究会のメンバーとして大事に思っているのだろう。


 そう言われると、俺もますますグエンのことが心配になってくる。ここ最近でもふとした瞬間に、グエンが暗い表情を浮かべているのは、俺も確かに見ていた。


「そうですね。じゃあ、明日にでも何かあったのか、グエンに訊いてみます」


「ああ、頼むわ。俺も解決に協力できそうなら、できる限り協力するよ」


 そう頷く安井さんに、俺はいくらかの心強さを感じる。もちろん簡単ではないかもしれないけれど、それでもグエンと同じ大学に通っている俺たちだからこそ、できることもあるはずだ。


 俺が「ありがとうございます」と頷くと、この話題も終わったのか俺たちは再び食事に戻る。それからも店を出るまで安井さんとはいくつか話をしたが、その間にも俺の頭には「明日どうやってグエンに切り出そう」という考えが渦巻いていた。



(続く)

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