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【第36話】幽霊


 トゥーと一緒に三人でご飯を食べてからも、俺たちは大学にアルバイトと変わりのない日々を過ごしていた。


 五月も半ばを過ぎたことで、大学では四月にあった初々しさやどこか浮き足立っていた感じは大分薄れてきていた。俺たちも講義の間も少しずつ集中力が持つようになってきていたし、課題にもまだ手こずることはあるけれど、いくらか要領を得られてきた感覚がある。


 映画館でのアルバイトも、土日でも映画館自体がゴールデンウイークのときよりは混んでいなかったこともあって、俺たちは身体が悲鳴を上げるほどまで働くことはない。業務自体にも、長時間の立ち仕事にも随分と慣れてきた。


 それに、五月の二〇日には初めての給料が入って、俺たちは思わずにやついてしまう。それはたったの数万円だったが、それでも自分の自由に使えるお金が増えたことは、俺もグエンも金額以上に嬉しく感じた。


 そうしていると時間はあっという間に流れて、気づいたときには五月ももうすぐ終わろうとしていた。


 そして、その日は五月最後の木曜日だった。五限の講義を終えた俺たちは、そのまま七号棟の七一二教室へと向かう。説明会でも使用したここは、俺たち映画研究会の主な活動場所となっている。


 教室に入ると、すでに何人かのメンバーはやってきていて、俺たちも安井さんや基山さんと活動開始時間まで軽く雑談をした。映画のことも、それ以外のこともいくつか話題を変えながら話していると、他にもメンバーはやってきて、それぞれ半ば暗黙の了解になっているいつもの席に座る。


 それでも、室内ではあちこちで会話が生まれていながらも、どこかいつもとは違った緊張感を俺は感じる。それは、昨日のうちに片瀬さんから映画研究会のグループラインに送られていた連絡が大きいように、俺には思われていた。


 壁掛け時計が六時半を指す。それと同時に片瀬さんが席を立って、教壇に向かう。そして、「それではこれから今日の映画研究会の活動を始めます」と言うと、俺たちの視線も一気に教壇に立った片瀬さんに向いた。それぞれが簡単に「よろしくお願いします」と答える様は、まるで授業みたいだ。


 普段はなんとなく活動が始まることが多い中で、今日こうして改まったように活動が始まったことには、やはり理由がある。


 そして、次の瞬間には片瀬さんは「では、昨日のグループラインでも伝えた通り、今年度の学園祭に向けて制作する映画の脚本が完成しました」と言っていて、俺は内心で拍手をすると同時に小さく息を吞んだ。


 俺たちに完成した台本を配っていたのは、二回生の箕輪(みのわ)さんだった。俺もホチキスで留められた二〇ページほどの台本を受け取って、さらに後ろのグエンに回す。


 表紙には『煙草と小説』と書かれていて、これが今回撮影する映画のタイトルなのかと、俺は察した。


 一番後ろの席まで台本が行き渡ったことを確認してから、片瀬さんは「それではひとまず五〇分まで、台本に目を通してみてください」と言う。俺も台本の一ページ目を捲る。


 たとえ学生映画だとしても、俺は脚本や台本というものを初めて目にするので、どうやって読んだらいいのかはすぐには分からない。だけれど、シーンの舞台が設定されていて、登場人物の動きが地の文で説明されていて、書かれたセリフを追っていけばいいことは、なんとなくだが分かる。


 どうやら主人公は、タイトル通り小説を書いている設定らしい。それでも、なかなか思うようにいかない中で、ある日ひょんなことから一人の男性と出会う。


 ストーリーの多くは、その男性との他愛もないやり取りやありふれた日々を描いていたが、それでも終盤でその男性が既に死んでいて幽霊のような状態になっていることが明かされ、主人公との別れが訪れる。そして、その主人公がその男性と過ごした日々を小説に書き始めたところで、物語は終わる。一〇分もかからずに読み終えた脚本の内容は、要約するとこんな感じだった。


 最後まで読み終わったとき、俺は「よくある話だな」という第一印象を受ける。「登場人物は実は死んでました」なんて設定の話は、古今東西にありふれている。


 それでも、読み終えたときに俺はにわかに感動もしていた。日常的なシーンに織り込まれた独特の着眼点は、きっと脚本を執筆した箕輪さんならではのものだろう。短い時間でもそれが積み重なることで、別れのシーンが印象的になっている。


 この脚本を十全に映画にできれば、きっと観に来てくれた人にも深い印象を残すに違いない。そんな様子が、俺には想像できるようだった。


 少し時間も余っていたので、俺が最後までもう一度読み返すと、そのタイミングで時刻は六時五〇分になり、片瀬さんの「皆さん、読み終わりましたか?」という声が聞こえた。俺たちも顔を上げる。


 すぐ後ろにいるグエンがどう思ったのかは分からないが、それでも少なくとも教室の雰囲気はどこか余韻に浸っているように穏やかで、悪くはなかった。


「では、この脚本に込めた意図や想いを、少し箕輪の方から話させてもらいます」


 片瀬さんはそう言って、教室の前方に立ったままでいる箕輪さんに話を振った。箕輪さんも頷いて、片瀬さんの代わりに教壇に立つ。


 そして、軽くお辞儀をすると、どことなく緊張した面持ちを浮かべたまま話し始めた。


「皆さん、今回は僕が書いた脚本を読んでいただき、ありがとうございました。では、少し僕がこの話を書いた経緯について話をさせてください。実は今年の三月、春休みの間に僕の祖父が亡くなりました。祖父はいつも僕のことを応援してくれていて、僕が小説や脚本を書いたときも、いつも一番の読者となって励ましてくれました。そんな祖父を失って、しばらく僕は何かを書く気にはなれなかったのですが、それでも僕が何もしないままだったらきっと天国にいる祖父は悲しむだろう。そう思って書いたのが、今回の脚本になります。僕たちは生きている。亡くなった人の想いも背負って、生きていかなければいけない。それを死者や幽霊といったファンタジーな存在を通じて、この映画で描けたらと、僕は思いました。要するにこれは、僕のきわめて個人的な想いから生まれた脚本なのですが、皆さんいかがでしたでしょうか……?」


 箕輪さんは最後はおそるおそるといったように俺たちに尋ねてきていて、俺はどう反応したらいいのかしばし迷ったが、それでも片瀬さんや安井さんといった三回生のメンバーは、自然と箕輪さんに拍手を送っていた。


 それは言わずもがな、この箕輪さんの脚本を元に映画を撮ることを認めた合図で、俺たちも続くように小さく手を叩く。俺も空気に流されたわけではなく、箕輪さんの脚本に胸を打たれた部分は確かにあった。


 後ろからは、グエンも手を叩いているのが聴こえてくる。


 俺たちは全員が箕輪さんに拍手を送っていて、もはやそれは満場一致と言ってよかった。箕輪さんも「ありがとうございます」と深々と頭を下げている。


 進むべき道が定まったことで、俺にも何かは分からないが、何かをやれそうな気がした。



(続く)

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